標高330mのモノローグ

富士山の10分の1、東京23区最高峰の10倍の山間に暮らして20年。地域の自然や思いを綴ります。

「光は粒子と波動の合体」という私にとっての難問が、コウモリに例えた説明で光明を見出す! 

2018-11-24 20:48:26 | 日記
私は、文系の人間だ。学生時代は数学、物理、化学は嫌いだった。特に高校時代、数学で赤点を取ったことがある。だが、今は理解しているとはいえないが、数学や物理は好きで、関心がある。図書館でも借りる本は、数学、物理関係の本が多い。

さて、時代は遡り、2度目の職場は故郷から遠く離れた地だった。その時は単身寮生活だった。
赴任してからしばらくして仕事には慣れてきたが、まだ、友人もいない。ほぼ定時で寮に戻っても、退屈していた。そんな時、たまたま実家から持ってきた本の中に数学の問題集があった。確か数ⅡBだったと思う。当時は高校2年で習得する内容だ。暇つぶしにその問題を解きだした。数1ですら理解しているかどうか分からない。解くといっても解法が記述された問題ばかりだったが。そして、実家に帰省した時、高校時代の数学の教科書を持ち出し、寮の本棚に入れた。こうして、微積分が自動車やロケットなどの走行・飛行、速度などを導き、分析できることを知った。興味は物理へと移っていった。

この後、転勤するたびに仕事に追われ、定年退職するまでは、数学・物理の世界からは遠ざかっていた。定年後再び、数学・物理に関心を抱いている。

その中で、多くの本を読んでも、モヤモヤが消えない私にとっての命題がある。
「ひかりは粒子と波動の両方の性質をもったもの」ということだ。

しかし、最近図書館で借りてきた本(齋藤 勝裕著、"知っておきたいエネルギーの基礎知識 "、サイエンス・アイ新書、 2010)で本編ではないが、コラム欄に「粒子と波動」と題して書かれた短文の中に、私のモヤモヤが晴れた記述を見つけた。多分、完璧に理解したというより、胸の詰まりが取れたという程度だが。

そのコラム欄には、「光は粒子性と波動性をあわせもつ」というのは、煙に巻いた説明とのことで、「光は光です」という。光の性質のある面を説明する時は、粒子を用いて(例にして)説明した方が分かりやすい。別の面を説明する時には、波動を用いた方がわかりやすいという。

さらに、コウモリを例にとって説明している。「コウモリはツバメのように空を飛び、ネズミのように赤ちゃんを産む」、「しかしコウモリはツバメでもなくネズミでもない。れっきとしたコウモリという生物だ。コウモリの性質の一部をツバメを用いて説明し、ほかの性質をネズミを用いて説明した」という。
つまり、光も同じことだ。粒子と波動の合体?などと、無理な想像を働かせず、スナオに光という存在を認めればよいと説いている。

カウンセリングでも「あるがままを受け入れる」という重要なツボがある。これはカウンセリングに限らず人生において最も必要なことで、実現するにも難易度の高い概念だ。
著者はコラム欄の文中で「素直に」と記すべきところを「スナオに」とカタカナで表記し、キーワードを強調している。

そして、コラム欄は「はじめて遭遇するものをまるごと受け入れる訓練が、頭をやわらかくしてくれるのです。」で閉じられている。
著者は科学を通して、すべての人に通じる「スナオさ」を説いているように思えた。
コメント
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