秋篠宮様が53歳の誕生日に際し、記者会見で次の意見を述べられたという。「大嘗祭(だいじょうさい)については、これは皇室の行事として行われるものですし、ある意味の宗教色が強いものになります。私はその宗教色が強いものについて、それを国費で賄うことが適当かどうか・・・内廷会計で行うべきだと思っています」、「宮内庁長官などにはかなり私も言っているんですね。ただ、残念ながらそこを考えること、言ってみれば話を聞く耳を持たなかった。そのことは私は非常に残念なことだったなと思っています」
これに対し宮内庁幹部は、秋篠宮さまの突然の発言に戸惑いの色を隠せないとのこと。
また、専門化の意見も、秋篠宮さまの発言を理解する人もいれば、「政治に係る発言だ」と非難する人もいる。
そもそも天皇と皇族の方々(皇室)は、氏がなく、戸籍がない。「皇統譜(こうとうふ)」というものに名前や出生日時・場所などを記載されている。従って選挙権、被選挙権もないなど。憲法に定めた国民の権利、義務などに制約がある。日本国民であることは違わないのに、一般国民とは異なる。
こうした制約の中、秋篠宮さまは政治に物申すというより、私人として国民的な目線で意見を述べられたのだろうと思う。大嘗祭は国事行為でないのに、国費で22億円余りかかるとのこと。私的会計(内定会計)で行えば、質素に簡便にできるという主旨も含まれている。
終戦後新憲法の草案つくりで、日本が作成した最初の草案は、戦前とあまり変わらない内容だったとのこと。そこで、GHQが案作りを行う。その際の基本方針が「天皇制の維持」「戦争放棄」「封建制の廃止」(マッカーサー・ノート:3原則)だった。ソ連などの一部の連合国は天皇制に否定的だったとのこと。アメリカは日本の社会を安定させるためには天皇制が必要だと考えた。また、昭和天皇は一時生前退位を考えたようだ。これを封じるために、現在の皇位継承が定められたという。
こうして憲法は、第1章「天皇」、第2章「戦争の放棄」、第3章「国民の権利及び義務」とマッカーサーの3原則の通りになってつくられた。
第3章第11条では「基本的人権」が保障されている。皇室の方々にも当てはまるはずだ。しかし、天皇はじめ皇室は、皇室典範などにより人権が制約されているのだ。"国民であって国民でない"、"人であるのに人権が侵害されている"。考えを述べただけなのに、批判されてしまう。なんと理不尽で、はがゆいことか!
憲法の条文を変えるべきは第9条でなく、皇室の方々の人権を回復することが必要ではないだろうか。
これに対し宮内庁幹部は、秋篠宮さまの突然の発言に戸惑いの色を隠せないとのこと。
また、専門化の意見も、秋篠宮さまの発言を理解する人もいれば、「政治に係る発言だ」と非難する人もいる。
そもそも天皇と皇族の方々(皇室)は、氏がなく、戸籍がない。「皇統譜(こうとうふ)」というものに名前や出生日時・場所などを記載されている。従って選挙権、被選挙権もないなど。憲法に定めた国民の権利、義務などに制約がある。日本国民であることは違わないのに、一般国民とは異なる。
こうした制約の中、秋篠宮さまは政治に物申すというより、私人として国民的な目線で意見を述べられたのだろうと思う。大嘗祭は国事行為でないのに、国費で22億円余りかかるとのこと。私的会計(内定会計)で行えば、質素に簡便にできるという主旨も含まれている。
終戦後新憲法の草案つくりで、日本が作成した最初の草案は、戦前とあまり変わらない内容だったとのこと。そこで、GHQが案作りを行う。その際の基本方針が「天皇制の維持」「戦争放棄」「封建制の廃止」(マッカーサー・ノート:3原則)だった。ソ連などの一部の連合国は天皇制に否定的だったとのこと。アメリカは日本の社会を安定させるためには天皇制が必要だと考えた。また、昭和天皇は一時生前退位を考えたようだ。これを封じるために、現在の皇位継承が定められたという。
こうして憲法は、第1章「天皇」、第2章「戦争の放棄」、第3章「国民の権利及び義務」とマッカーサーの3原則の通りになってつくられた。
第3章第11条では「基本的人権」が保障されている。皇室の方々にも当てはまるはずだ。しかし、天皇はじめ皇室は、皇室典範などにより人権が制約されているのだ。"国民であって国民でない"、"人であるのに人権が侵害されている"。考えを述べただけなのに、批判されてしまう。なんと理不尽で、はがゆいことか!
憲法の条文を変えるべきは第9条でなく、皇室の方々の人権を回復することが必要ではないだろうか。