標高330mのモノローグ

富士山の10分の1、東京23区最高峰の10倍の山間に暮らして20年。地域の自然や思いを綴ります。

朝から、石釜で焼くパンとピザつくり。夜は、前線が活発になる前の買い出し。

2018-06-10 22:02:30 | 日記
孫たちが昼食を食べに来るので、私は久しぶりにピザとパン焼きを行った。いつもは妻が朝食後、孫とその親の昼食づくりを数時間かけて行う。孫たちの顔を見るのは、楽しみだが、6人分の食事作りは大変だ。昨日から今日は私がメインディッシュを作ることにした。少しは妻の労力の軽減になったのではないかと思う。
ピザとパンの生地作りは、手捏ねで行うのが職人技なのだが、今日は、大分寝坊をした。したがって、生地はホームベーカリーで行った。

ピザ、パンとも生地は同じで、強力粉400g、水250cc(ローファットを適量)、砂糖、塩、マーガリン、そして、ドライイーストだ。

45分で生地はできあがる。その間、通常なら石釜の火入れを行うのだが、今日は具作りを先に行った。生地を少々ねかせ、6等分する。それを伸ばすと、直径20㎝程のピザ生地となった。ピザの場合は、生地にトッピングを載せれば、すぐに焼けるのだが、今日は孫たちが来るまで置いておいた。生地の中央を平にし、周囲にふくらむ。つまり土手を設けたつもりだった。だが、焼くのが1時間後になったため、生地の発酵が進み、中央と土手の区別がつかない程、平らになっていた。


塩パン。焼いているうちに生地が膨らんで、お互いにくっついている。


以前にも紹介したが、DIYで作った石窯。耐火煉瓦を積んでいる。

今回は、生地作り、トッピング作り、窯の火入れとその管理に時間がかかり、残念ながらピザの写真は撮れなかった。買い物から帰って、かろうじて食べ残ったパンの写真を撮った。塩パンだ。3つ後のようにつながっている。直径は9cm~12cmほどになった。作っている時のイメージは、ロールパンよりやや大きめだった。しかし、出来上がりは大分大きくなった。2次発酵の時間が長かったようだが、食感はよかったようで、孫たちも喜んで食べた。塩パンなので、生地の砂糖を少々多めにし、表面に溶き卵を塗ったあと、塩を振りかけた。極力塩の量は少なくした。孫たちに受けるように、私なりに加減したのが功を奏したのだろう。

昼食後、いつもなら孫たちと遊ぶのだが、今日は、窯の跡片付けと犬の散歩で時間を費やし、夕方、買い物に出かけた。いつものように食料品がメインだが、もう一つ大事なものは、オーブントースターだった。今まで使っていた、オーブントースターが、パンなどを焼くとき、通常の香ばしい香りでなく、機械的な焦げ臭さをするようになった。電熱器の場合このまま使い続けるのは危険だと思い、急遽購入することにしたのだった。

買い物に行く道すがら、カーラジオから、「午後4時前、群馬県渋川市で、駐車場から出てきた車がスーパーの店内に飛び込み、十数人が重軽傷を負った」という内容のニュースが流れた。それを聞きながらドライブをし、最初は電器店に行き、次に食料品を仕入れにスーパーマーケットに行った。そのころはすでに暗くなっており、雨も降って路面が濡れ、ライトに照らされ光っていた。

私が車から降り、店内に向かって歩いていると、私の左横を駐車場から出てきたと思われる黒い乗用車が、店に向かって走り、急ブレーキをかけ止まった。その車は、慌てて少しバックをし、右折し私の目の前を去っていった。運転していた人は、60~70歳台の男性だった。眼を開き真正面を凝視していたが、口元は照れ隠しのためかや、や微笑んでいたようだ。この顔付が、いまでも私の記憶に残っている。ほんの一瞬の出来事だった。かろうじて店内に突っ込まなかったけれども、状況からすると、ついさっきラジオで聞いた事件の再現かと思われた。妻は私より先に店に入ったばかりだった。もし、車が飛び込んだら大変のことになっていたかも知れない。


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梅酒と梅ジュースを作ろう! 健康な生活のためのすばらしい梅の効能。

2018-06-09 20:24:22 | 日記


写真は昨日越生で買った梅だ。1kg入りの梅を2パック購入した。
1パックは梅ジュースにし、もう一パックは梅酒(ウイスキー)を作る予定だ。

その前にあらためて梅のことをしらべるたら、とても良い健康食品だということを知った。

効能の前に、よく使う「塩梅」という言葉について調べた。中国では古来から、塩とともに最古の調味料だとされている。我が国でもよい味加減や調整を意味する単語として「塩梅(あんばい)」を使う。ウメと塩による味付けがうまくいったことを表す言葉という。また、もともと「塩梅」の読み方は「えんばい」だったとのこと。

さて、梅の効能について、和歌山県の梅の産地「みなべ町」が、梅の医学的効能について、二つの特許を取得しているとのこと。

みなべ町のホームページによると、
一つ目は平成20年に取得していて、「胃に障害を及ぼす菌の運動能力を阻害する物質が含まれている」とのこと。
梅の中には、胃に障害を及ぼすヘリコバクターピロリ菌の運動能力を阻害または抑制する効果のある物質が含まれていることを見いだし、その物質の構造についても分析することに成功した。

二つ目は平成21年に取得し、「血糖値の上昇、肥満等に関連づけられる酵素の働きを阻害する物質が含まれている」とのこと。
梅の中には、血糖値の上昇、肥満等に関連づけられる酵素(α-グルコシダーゼ)の働きを効果的に阻害する成分が含まれていることを見いだした。

これ以外にも、
梅干しを食べた時に出る唾液にはアミラーゼという酵素が含まれていて、消化酵素の一種で、エネルギー源となるご飯やパンなどに含まれるでんぷんの消化を助ける重要な役目をする。つまり、唾液は食べ物の消化を助けるという。梅干しを食べた時の唾液の量はレモンの倍近くまであるとのこと。

また、梅干しに含まれているクエン酸やベンズアルデヒドに微生物の繁殖を抑える効果がある。お腹の中で胆汁の働きを活発にさせて、腸炎ビブリオ菌という食中毒の原因になる菌を殺してくれるとのこと。梅干しが酸っぱいのはクエン酸によるという。

体内でエネルギー源を燃やしてエネルギーにする回路をクエン酸サイクルとよび、クエン酸がこのサイクルの働きを活発にし、疲労の原因となる乳酸の蓄積を防ぐ。
さらに、疲労回復に効果的なクエン酸は、体内のカルシウムの吸収をよくする働きもある。骨の弱い子供や高齢者のカルシウム不足にも梅干しが良いということ。

唾液にはアミラーゼのほかにもカタラーゼという酵素が含まれている。
このカタラーゼが今最も注目されている梅干しパワーという。
怪我をした時、外傷にオキシフルをつけると泡がでるが、これがカタラーゼの作用だとのこと。
カタラーゼは過酸化水素を水と酸素に分解する触媒の酸素。体内で生じる活性酸素の毒素をおさえる働きをしてくれる。

越生で購入した際、「梅のしおり」という数種類の梅レシピが載っているシートを頂いた。その中に簡単な梅の処理の仕方が載っていた。「梅の実を一晩凍らせて漬け込めば、実に穴をあける手間も省け、砂糖がとけやすくなります」とある。

今年は早速この方法で、梅ジュースとウイスキー漬けの梅酒を作る予定。
「梅ジュース」は、梅1kg、氷砂糖700g。毎日瓶をゆすって、砂糖を溶けやすくする。1週間ほどで液が出てくるので、3~4倍いに薄めて飲めるとのこと。

「梅酒」は、梅1.5~2kg、氷砂糖700g~1kg。長く寝かしておくと、色も濃くなり、こくがでて美味しくなるとのこと。
ちなみに、わが家では、作った梅酒は余り味見をしないで、我慢してなるべく長く寝かすようにしている。

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「越生町あじさい街道」と「ときがわ花菖蒲園」の見学

2018-06-09 08:25:45 | 日記
今日も朝から暑かった。おまけに昨日より蒸し暑さが増したようだ。8日は、私の母の月命日なので、墓参りがてら、花菖蒲見学しようということになった。

霊園に行く途中に、越生町を通るので、あじさい街道の紫陽花もついでに見学することにした。

越生町にはあじさい山公園という名所があり、その山に至るまで3kmほどの沿道に紫陽花が観られるとのこと。越生町の「黒山三滝」に行く途中に、麦原入口というバス停がある。そこから側道に入り公園までの3kmがあじさい街道だ。車を走らせると、確かに沿道には紫陽花の株が道に沿って植えられいた。しかし、ほとんど咲いていない。もっと上に行けば、咲いているものもあるだろうと「あじさい山公園」まで行った。現在あじさい山公園は、紫陽花の病気のため、花が咲かなくなってしましい、平成21年から再生するための取り組みを行っているとのことだった。


現在は入園できない「あじさい山公園」


沿道に並ぶ紫陽花の株


咲き始めた紫陽花


やっと探し出した咲いている紫陽花の花


「うめその 梅の駅」。梅ジュースを作るための梅を買った。

あじさい街道に沿って川が流れており、せせらぎの音が心地よかった。次にここに来るときには、3kmの街道を歩いて見学するのがよいかもしれない。

さて、墓参を済ました後、ときがわ町まで行った。花菖蒲園はときがわ町役場など町の施設が立ち並ぶ西側の休耕田を活用して菖蒲園にしている。木道も整備され、のんびりと散策できる。10日の日曜日には花菖蒲まつりが行われるとのこと。


花菖蒲畑


木道が整備されていた。奥に見える建物は、ときがわ町玉川トレーニングセンター。建物の最下階は駐車場になっていた。

以下、花菖蒲を鑑賞ください。

















しかし、花の盛りは過ぎてしまったのかな?萎れている花が目立った。
今年は我々が行く花園は、どこも最盛期を過ぎているようだ。テレビ番組や新聞で紹介されたところに行くのだが、遅いようだ。放送などの記事にするにはタイムラグが生じ、最盛期を過ぎていることが多いのかもしれない。


これは畑の一角に咲いていた麦なでしこ
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5歳女児の叫び「ゆるして ゆるしてください おねがいします」に思う

2018-06-07 21:06:23 | 日記

日中は暑かった。最高気温は31℃だった。外に出て陽ざしを浴びたとたん、全身が熱くなった。午前中に外作業をはじめたが、1時間程で止めた。外に比べ家の中は涼しかった。北や東から林の中を抜けてきた涼しい風が入っていた。日没後は更に涼しくなり、半そででは寒いくらいだ。昨日は一日中雨で梅雨入りをした。今日は前線が下がり晴天だった。梅雨の最中の蒸し暑さはないので、このような気候なら昼間は暑くても、許せるのだがと思う。

さて、昨日、5歳の女児に虐待のうえ死に至らせたとして、両親が逮捕された。香川県から目黒に引っ越してきて、まもない時期だったという。香川県でも虐待があり、女児は二度も児童相談所に保護されていたこともある。香川県と東京都の児童相談所レベルでは、情報の引継ぎを行っていたという。しかし、予防できなかった。女児は早朝から、反省文をひらがなで書かされていた。「ゆるして ゆるしてください おねがいします」などと。5歳の女児とは思えないほど、しっかりと心の叫びを表出していたことが伺われる。何んと切ないことか。

今回の事件に対して、関係自治体はじめ東京都などが対策を検討しだした。児童相談所や警察との情報交換・連携の内容になると思われる。ある自治体の意見では、情報交換や連携を強化すると、虐待の申し出が少なくなるのではないかという危惧もあるとのこと。しかし、情報交換・連携ができ対応ができていれば、今回の事件は防げたともいえる。情報交換・連携の加減が難しい。これは、外部機関の課題だが、「虐待」には、もっと根本的な課題もある。

加害者側の課題だ。被害者が大人か子供かに関わらず、加害者は被害者が死ぬほどの暴力をふるう。この行為の残虐性には、様々な要因があろう。個人としての異常性格の場合もあるが、これは特殊で、多くは社会が作り出しているのかもしれない。昔のように大家族であったなら、親から子、子から孫、更に地域のコミュニティーの中で、「人様に迷惑をかけぬよう」というような教育がごく自然に受け継がれていた。しかし、核家族化、隣に住む人のことも知らない地域化などの、孤立により社会的な教育が薄れてしまったという側面も家庭内暴力の一因として考えられる。

起きてしまったことに対応することも必要だが、事案が起きないような社会づくりも必要だと
思う。
残念ながら、嘘が公然とまかり通るような世の中の反映でもあるかもしれない。私の幼いころは、「うそつきは泥棒の始まりだ」と親からよく言われていた。しかし、今や「嘘も方便」の方が勝っている時代なのかと嘆くしかないのか?
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八ッ場ダム建設現場を通って、政権交代の功罪や現在の混迷を思う。

2018-06-06 20:36:54 | 日記
4日に軽井沢にランチに行ったが、その帰り道、書き留めておきたいと思ったことがあったので追記する。

軽井沢からの帰りは、未知のルートを選んだ。大分遠回りだったが、川原湯温泉経由で渋川に出た。カーナビで帰路をいれると別なルートが検索されると思い、経由地に川原湯温泉を設定し、目的地をとりあえず渋川駅とした。長野原町を下り、国道145号線に出た。すると「道の駅 八ッ場ふるさと館」と書かれた、案内標識を見た。そしてしばらく走ると、深い谷を渡る真新しい橋を渡った。谷底では重機など様々な工事車両が見えた。ここが八ッ場ダム建設現場なのだと知った。

私が走ったのは145号線のバイパスだった。ダム建設のために新たに整備された道だった。ドライブには快適だが、ダム建設に至るまでの困難を思い出した。
鮮明な記憶に残るのは、2009年に政権交代の折り、ダム建設中止の判断をした政権を思い出した。ダムのことではないが、「最低でも県外」「世界一になる理由は何があるんでしょうか」「2位じゃダメなんでしょうか?」というフレーズも運転しながら脳裏に過った。

八ッ場ダムは、1949年の利根川上流ダム群計画により、1952年に計画が発表されたとのこと。その後、具体的な建設地、反対運動、各種工事計画、着工、そして政権による中止、再建設などの変遷の歴史をへて、2020年完成予定とのこと。
こうした長い歴史をへて建設されているのだが、将来の日本にとって良い遺産であってほしいと願う。

2009年の政権交代の時には、新政権に期待したものだ。しかし、ダム建設中止や「2位じゃダメか?」などの施策に、やや拙速感を覚えた。勢いで押し進んでしまったようだ。もう少し、落ち着いた方針を立て、国民とともに政権運営をしてほしかったと思う。

そして、2012年に再び自公政権に戻った。その後、メディアにより造語された「アベノミクス」などに押されて、あたかも発展の方向に向かうような流れだったが、今や、日の目を見ない。今や多くのメディアが政権を批判し、それを受けて政権側も、被害者意識を露わにしている。被害者ゆえに、「嘘」「隠ぺい」「改ざん」などのネガティブな言動がはびこっている。おまけに、最近話題になっている「ご飯論法」により追及をかわす答弁を繰り返す。「朝ご飯を食べましたか」という質問に対して、「ご飯は食べてません」と、言外に脳裏には『パンは食べたんだけどね』とかわす。というより、内心はあざ笑いながらはぐらかしている姿が想像される。与野党は問わないので、そろそろ政権交代があってもいいかなと思った。

八ッ場ダムを過ぎ渋川に入るころは、日も沈みかけていた。ドライブしながらだが、八ッ場ダム建設現場を垣間見て、現実の何か暗い、混迷政治のことを思っていた。しかし、前橋の街に出たころは、夕方の渋滞の道に入り、ドライブに気を使いつつ、車内に漂う土産のピロシキの匂いに誘われて、軽井沢でのランチ、浅間山、白樺に囲まれた森などを思い浮かべていた。
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