最後は、氷川女體神社(女体社)に参拝しました。こちらは、浦和に電車で行きそれからバスと徒歩。バス停をおりてからも歩きだったので遠く感じました。バスの本数も少なかったです。
都会の喧騒はなくなり、埼玉もここまでくるとこんな長閑なんだと思いました。私はのどかなのが好き。
バスで迂闊にも寝てしまい、乗り過ごしたかも!と運転手さんに慌てて聞いたらまだだったので良かったです。
いつも妹が連れて行ってくれるから、車中で寝たりもしていましたが、運転してくれているのに寝るとは失礼でした。有難いなぁと、何分もバスを待ったりして思いました。
氷川女体神社は三室にあります。
氷川神社の3社がある見沼は江戸時代中期に開拓されるまで大変広大な沼であり、土着の神を祀っていた太古の信仰があったようです。
御祭神の筆頭は奇稲田姫。(素戔嗚尊の妻)
こちらには拝殿隣に龍神社がありました。この地、昔の見沼には龍神伝説があります。ウィキペディアに詳しく書かれています。
ところで、見沼の龍神様の祟りとかウィキペディアに書かれていますが、反対に、自分がある日突然住んでるところを出て行けって言われ、少し待って欲しいとお願いしても無視され、住むとこもなく追い出されたら、どうでしょうか。
中山神社の分断された参道。時代の流れの中で どれだけ人は精霊や神々の地を好き勝手に開拓してきたのかなぁと、、、感じました。
御霊返し。御魂返し。この言葉は、どうやって返していけば良いのか。と考えさせられます。
神様は地上に高天原のような地をお造りになりたかった。人に必要な利器を与えました。天の益人、益人とは日月神示によると、
益人ますびとの益ます心ぞ
益すとは弥栄の事ぞ、
神の御心ぞ
臣民の心も神の御心と同じ事になって来るぞ
益人は、自分の利益だけでなく、全てを益す、喜ばせる人。土地の神様の住処を奪ったりは益人がすることではないと思いました。
まずは、このような伝説を知って心に問いかけてみようと思いました。龍神社で手を静かに合わせてきました。
今でいう文明の利器はスマホもそうですね。この利器により、知らなかった神様を知ることができ感謝です。実際足を運び、知らなかった伝説を知りました。
氷川3社、公共機関と足でまわりましたが、昔の人は車もない時代に生きて祈りを継続させてきたんだなあ、凄いなぁ、物が無い時代の方が心は神に向かうのかなぁと歩きながら思いました。暑かった一日、帰りは電車で寝てしまいました。
おわり