奥瀞に泊まりました。偶然お部屋名に龍がついていました。この部屋だけでした。

玉置神社に向かったため旧道を通ることとなりました。それが良かったのか、途中で白龍権現が鎮座されておられます祠でも挨拶できました。凄い磐座だね、と車の中で頭を下げ一度は素通りしたのです。なんと失礼な。
旧道を運転していることもわからず、対向車や車が全然なくて、この道間違ってるかも、とかなり近くまで行ってから引き返しました。
呼ばれてないから行けないのかなぁ、と少し不安になりました。しかし、一度山を降りましたが、やっぱり合ってると熊さんが言ってくれて、白龍権現の磐座にきちんとご挨拶してから辿り着くことが出来ました。白龍権現の磐座だということも、その時は知らず、後でわかりました。ご挨拶できて良かったです。

妹の写真より
十津川市の北、天川市を天の川と考えると星にまで空想が膨らみます。白黒あわせ持つ鳥、カササギが橋になる七夕伝説にも思いは広がります。

あまり調べずに行ったため、社務所近くで参拝が終わったと思ったら、熊さんが玉置神社の動画を観ていたようで、まだ奥にあるよと言ってくれました。玉石社。
凄い聖地のようですね。その時はそのような事も私は知らなかったです。石が残雪でかなり埋まってましたが、手を合わせました。数名の方がガイドさんのような方と祝詞のような、何かを唱えていました。
感じる方は凄い感じる場所だそうですね。私には魂の修行が必要だと思いました。玉置は、珠を置く、魂が回帰する、環、色んな意味がありそうです。
玉置神社に行って私は祝詞を500円で購入しました。津野山の金刀比羅様の所に祠をあげた際、母、妹、従兄で祝詞を奏上しました。母は全員分の祝詞をコピーして渡してくれました。母が神主みたいに先頭で祝詞を奏上し、私も一緒に唱えたわけですが意味も分からず、つっかえつっかえでした。
祝詞をきちんと唱えたいと思いました。意味があるなら意味を理解しながら唱えたいとも。
今は、頭で国造りからの壮大なイメージを思い浮かべながら目を瞑って奏上できます。なんて壮大な神代のお話が詰まっているんだろうと思います。
玉置神社は、身魂を磨き、内なる魂に回帰する道を歩む人により、感じるものが違うんだろうと思います。次に訪れることがあるならば、前よりは少しだけでも神様に合う自分になっていたらいいなぁと思いました。