大善人へ身魂磨き

善でありたいと思う。日々精進。感情の渦に呑み込まれそうな時もあるけれど最後には明るく静かな大海原に和合したい。

宗教対立

2021-06-09 04:16:00 | ひとりごと

真名の長者の話で用明天皇やそのお子様、聖徳太子について書きました。日本で神道と仏教の宗教対立があった時代。


崇仏派だった聖徳太子でしたが、天皇になることはなく、太子の死後、聖徳太子の一族はみないなくなる(おそらく蘇我氏に消される)というとても悲しい末路が待っていました。


排仏派の物部氏も闘いに敗れ滅ぼされます。しかし、地方に命からがら逃れて生き延びた方もいたでしょう。しかし、当時華やかな都の生活から敗者としての辛い知らない地に逃れる生活へ一転したわけですから、相当辛かったとも思います。物部川のある高知県にもおそらく。高知は良いとこですけど。笑。


物部氏を滅ぼした蘇我氏もまた大化の改新で滅ぼされます。歴史は、巡り巡る人間ドラマを見せられる感じです。


対立はどちらにもハッピーは来ない。どちらも時間差はあるけれど、苦しい末路が結局は用意される。


日本では仏教が歴史においてその後優勢になります。密教などの平安仏教、平安末期の浄土信仰をへて、鎌倉仏教へ、仏教も時代により様相がどんどんかわりました。


考えが違う違うと枝葉に分かれ、モトは同じはずなのに、仏典も加筆され、沢山の宗派ができそれぞれの主義主張により、時の権力から後押しされたり弾圧されたり。


鎌倉時代の仏教の禅宗をみても、栄西の臨済宗は庇護を受けますが、道元の曹洞宗は扱いが逆でした。かなり前、永平寺に子供達と行ったのですが、とても綺麗に掃除された素敵なお寺でした。






江戸時代になると、幕府の統治に都合が悪いキリスト教が弾圧されます。九州は隠れキリシタンの沢山いた土地です。


自分の心が信じるものを弾圧されたり、排除されたり。そんな中でもキリスト教を守り抜いた人たちが残した遺跡は今では世界遺産に登録されました。(色んな世界遺産に興味あります!)




時代の変遷があっても、他者が信じるものを弾圧したりする歴史は繰り返されます。違うことがあって当然なのに。宗教vs宗教の対立は戦争にもなりました。モトの根源はひとつなのになぁ、とやっぱり思います。


日本においては、憲法で信教の自由が認められているのはありがたいです。さらには、自由に発言できるのも有り難い。


他者を憎むことなど神様が望んでいるわけないし、自分の中に光さえ失わなければ、宗教はあってもなくても良いとさえ個人的には思います。


神様が大好きだというと、クリスチャンなの?と聞かれたことあります。クリスチャンではないけど、神様を心の底から信じるというとかなり不思議に思ったみたいでした。海外の方でしたが熱心なキリスト教の方でした。なかなか、宗教の話はタブーだと思いました。


私は、神様は宗教で限定されるものとは思っておらず、どの宗教を信じるかもその人にとってそれが幸せであり、他者に強制したり、害さなければそれで良いと思っています。


朝太陽が昇り、皆んなが一様にその恵みを享受でき、夜の月は、地球と太陽の間をバランスよく保ち、また、天と地の間の様々なエネルギーの働きにより命を生成し育み、循環させる。


沢山の命をいただきながら生きられること、命が繋がっていくこと、全てが有り難い神様の恵だと私は思っています。


朝早く起きると鳥の心地よい鳴き声が

新たな一日のはじまりに活力をくれます。そんなふうな、細やかだけど心地よいものが好き。

川の流れる音も好き。

植物を育てるのが趣味の私。

宿根草の植物が春に再び芽を出すのも、季節の変わり目に、

咲いてきた花が季節の終わりを感じ、最後に命いっぱい一生懸命咲いて枯れていく花達も好き。


自然はみせてくれます。

対立や排除のない世界、調和と循環の世界。

大自然に自然に還っていく癒される世界。

みんな違ってみんないい、対立のない世界、それが認められる世界は凄く素敵だと思います。