摂津三島からの古代史探訪

邪馬台国の時代など古代史の重要地である高槻市から、諸説と伝承を頼りに史跡を巡り、歴史を学んでいます

白鳥神社(しらとりじんじゃ:羽曳野市古市)~白鳥陵や峯ヶ塚古墳の時代と日本武尊

2022年06月04日 | 大阪・南摂津・和泉・河内

 

記紀説話の中でも特にロマンチックな印象で有名な、日本武尊(ヤマトタケルノミコト、倭建命)の最期の白鳥飛翔神話。その有名な神話とストレートに結びつく名を持つ神社です。白鳥神社の名を持つ神社は全国に100以上あるらしいですが、大阪ではこの一社のみ。近くには日本武尊の御陵とされている白鳥陵(軽里大塚古墳/前の山古墳)もあり、この名を名乗るのに一番ふさわしい地に鎮座していると言えるでしょう。

 

・住宅街の参道前の一の鳥居。👆の見出し写真は二の鳥居で、後円部らしい高まりに見えますが・・・

 

【ご祭神・ご由緒】

日本武尊、素戔嗚命、稲田姫命。

創建時期は不明ですが、「日本の神々 河内」で吉田実氏が、古くは「伊岐宮(井喜宮)」と呼ばれて現在地から西方1キロ少し離れた軽里地区の峰塚(峯ヶ塚)古墳(後述)の上にあて、日本武尊を祀っていた、という地元の伝承があったと書かれています。古田氏はさらに「白鳥神社明細帳」を引用され、゛往古、古市郡伊岐谷に在り、のち古市村に勧請す。其の年月不明゛とあり、また゛昔、応安元年(1368年)地震おこり神殿転倒す。云々。のち天明四年(1784年)甲辰中冬再営す゛との古文書が有る事から、現在地に再営されたのは江戸の中期だったとのお考えを「日本の神々」で述べられています。ただ、ウィキペディア「地震の年表 (日本)」で見た限りですが、1368年の地震記録はないようです。

 

・境内

 

現在の羽曳野市のホームページの説明では、もとは軽里地区の西方の伊岐谷に祀られ「伊岐宮」といわれていたのが、その後、南北朝や戦国の戦火にかかって次第に衰微し、峯ケ塚古墳に小祠として祀られました。しかし、1596年慶長の大地震で倒壊し、そのまま放置されていたのが江戸時代の寛永(1624年から1644年)末期に現在地に移されたと説明されています。一方、百舌鳥・古市古墳群の案内でテレビにも出られてる久世仁士氏の「古市古墳群を歩く」によれば、元々祀られていたのが日本武尊白鳥陵であり、兵火で峯ケ塚古墳に遷ったのは同じですが、現在地に移されたのは天明四年という説明になっています。まだ、複数の説が有るという事でしょうか。

 

・拝殿

 

【祭祀氏族】

古田氏によると、関連氏族については文献がない為不明としつつ、古代の当地は、王仁(わに、応神天皇のとき百済から呼びよせたとされる渡来人)の子孫とされる河内文(西文:かわちのふみ)氏の本拠で、また百済系の古市村主の居住地だったとされています。今も現在地の東方に残る西琳寺は河内文氏の氏寺として知られていて、かつてはその鎮守として古市神社(所在不明)が存在していました。これらの話からは、どうも当地が日本武尊とつながる感じはしないです。

 

【中世以降歴史】

当社は現在地に遷った頃、西琳寺の別当が当社を管理していましたが、明治の神仏分離で独立、同5年に村社となります。同41年に、式内社高屋神社が合祀されましたが、戦後になって地区住民の希望によって旧地に戻って再建されています。

 

・拝所より。拝殿と本殿の間は幣殿で覆われ厳かです

 

【鎮座地、発掘遺跡】

現在地の小円丘は、6世紀後半ごろに築造された白鳥神社古墳(前方後円墳)の後円部と考えられてきました。この古墳は「日本書紀」欽明三十二年の条に゛河内の古市に殯す゛と記載される、欽明天皇の殯陵と考える説があったのです。明治32年に河陽鉄道(同年河南鉄道に再編され現在の近鉄につながる)が柏原と富田林間に敷設工事を実施したときに、前方部と後円部の間のくびれ部に線路を通したため、前方部は破壊されてしまったということです。

しかし、このいわゆる白鳥神社古墳に関する説に対して久世氏は、本格的な発掘調査は行われておらず、古墳の形や埋葬施設などは全くわかっていない、と説明されます。後円部の隣接地では葺石はなく埴輪もほとんど確認されないし、後方部と推定される部分では円筒埴輪を始め幾種類かの埴輪が出土したものの遺構がなく、古墳に伴うものかわからない、との事です。なので、古墳でない可能性の方が高いと、久世氏は「古市古墳群を歩く」でまとめておられます。

 

・春日造形態の本殿。奥は古市駅のホームです

 

当社の確実な元鎮座地とされる峯ヶ塚古墳は、隣に峰塚公園も整備され、陵墓が多くなかなか近くで見れない古墳が大半の古市古墳群にあって近くで見れる数少ない前方後円墳だと、羽曳野市は説明しています。全長96メートル、二段築造で二重の周濠を持っていたようです。調査も継続して行われていて、平成2年の調査で初めて造出しが有る事が発見され、令和に入ってからはその造出しが20メートルに及ぶことが確認されました。後円部中央の石室からは、大刀や魚佩、珍しい花形飾り、三叉形垂れ飾りなどの豪華な副葬品が多量に発見され、大王陵級の古墳であるのは確実なようです。また、金、銀、ガラスなど後期古墳に特徴的な装飾品が混在することから、築造は五世紀末~六世紀初頭と考えられています。

そして、白鳥神社と峯ヶ塚古墳の間に横たわるのが、宮内庁が日本武尊の墓と治定する軽里大塚古墳、いわゆる白鳥陵です。全長190メートルの堂々たる規模ですが、前方部幅が後円部の1.5倍(高槻の今城塚古墳に近いイメージ)あり、この特徴から五世紀後半の築造と考えられています。久世仁士氏も、宮内庁の発掘調査による須恵器器台や形象埴輪の出土などから、日本武尊の古墳でないことがはっきりした、と述べられています。つまり、ゆかりの古墳である峯ヶ塚古墳や白鳥陵は、日本武尊がいただろう時代よりかなり後の時代の古墳だという事になっています。

 

・拝殿向かって右側に摂末社がまとまって鎮座。一番正面が白長大明神

 

【伝承】

大元出版の東出雲王国伝承では、日本武尊に関する説明は一貫していません。斉木雲州氏は、「お伽話とモデル」や「古事記の編集室」で、一般に言われるような、複数の実在人物の戦記を架空の個人の戦記に作り替えた話だと各地の伝承者は結論付けているといいます。その実在人物にはその当時の大王達も何人か含まれているらしく、話の途中でモデルとする人物が変わってる処も有ると、具体的に説明されています。だから、日本武尊の墓が複数あるというのです(ただ、久世氏によれば、御所市の白鳥陵は古墳でないとのこと)。

 

・白龍大明神

 

一方、谷日佐彦氏(「事代主の伊豆建国」)や富士林雅樹氏(「仁徳と若タケル大君」)は、「常陸国風土記」の日本武尊゛天皇゛は小碓命の事だといいます。しかし、その事績や顛末はお二人では異なっています。斉木氏の方は「常陸国風土記」に関しては、日本武尊の実在性を増すために記紀に合わせてその名前を書き込んだと考えられています。一番新しく情報量が多いのが富士林氏の書なので、これに重きを置いてみればよいのか。。。こうなると、やはりどういう経緯でそれぞれのお話になっているのかが気になり、ここらがやはり伝承の悩ましいところです。逆に個々伝承の信頼度や、何が共通するかを考える面白さを見出しています。

 

・白玉大明神

 

繰り返しになりますが、白鳥陵や白鳥神社ゆかりの峯ヶ塚古墳は、いずれも5世紀後半以降の築造であり、改めて日本武尊が語られる時代(4世紀前半か)と明らかに合いません。出雲伝承を前提に推定するとすれば、日本武尊がいたとされる時期の王朝と、その後の河内王朝に繋がりが有ったとの雰囲気を出すために白鳥飛翔の説話が生まれ、何らかの理由で都合が良かったこの地の古墳に当てはめたのかしら、などと勘繰っています。

近つ飛鳥博物館の「展示ガイドブック」(常設展示の説明書)には、4世紀後半に築造されたとみられる津堂城山古墳から出土した水鳥型埴輪について特に触れています。その埴輪は、くちばしから頭部、そして水かきがなんともいえず自然な曲線で゛今にも動き出しそう゛であり、゛おそらく白鳥伝説の原型は、前方後円墳の濠に浮かぶ水鳥型埴輪のイメージから形成されたのでしょう゛と推定し、゛大王やその一族の墓が営まれるべき地が河内の古市であったということを示唆しているのかもしれません゛と博物館の見解をまとめています。確かに考古学から見ると、こうとしか思えないでしょう。

 

 

(参考文献:羽曳野市&同観光協会HP、中村啓信「古事記」、宇治谷孟「日本書紀」、かみゆ歴史編集部「日本の信仰がわかる神社と神々」、京阪神エルマガジン「関西の神社へ」、谷川健一編「日本の神々 摂津」、矢澤高太郎「天皇陵の謎」、今尾文昭「天皇陵古墳を歩く」、久世仁士「古市古墳群を歩く」、近つ飛鳥博物館「展示ガイドブック」、三浦正幸「神社の本殿」、村井康彦「出雲と大和」、梅原猛「葬られた王朝 古代出雲の謎を解く」、岡本雅亨「出雲を原郷とする人たち」、平林章仁「謎の古代豪族葛城氏」、佐伯有清編「日本古代氏族事典」、宇佐公康「古伝が語る古代史」、金久与市「古代海部氏の系図」、なかひらまい「名草戸畔 古代紀国の女王伝説」、斎木雲州「出雲と蘇我王国」・富士林雅樹「出雲王国とヤマト王権」等その他大元版書籍


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