テクテク会6月例会は霧幻峡の渡し。チラシには・・・
約50年前に廃村になった集落には、只見川を渡る「手漕ぎの渡し船」がありました
子孫である住民が、現在も眠り続ける「廃村集落」と「霧幻峡の渡し」を
復活させました。幻想の川霧に包まれながら、時空を超えた日本の本物の
原風景に出会える旅が、今鮮やかによみがえりました。
只見川の峡谷の間を昔ながらの和船に乗ることができます。
朝や夕方の川霧の中を進むのは素晴らしい光景です。
また、舟に乗らなくても写真撮影だけでも非日常を味わえます!
霧幻峡とは、奥会津地方、金山町と三島町にまたがる只見川沿いの渓谷のこと。
夏の朝晩に渓谷を漂う川霧があまりにも幻想的なため、
そう呼ばれるようになった俗称で、地図には記載がありません。
実際の場所はJR只見線の早戸駅の近く、
早戸温泉「つるの湯」とその対岸にかつて存在した「三更」という集落を結ぶ
ラインを中心とした只見川の渓谷のことをそう呼んでいます。
この霧幻峡の特徴は、幻想的な川霧。
なぜ霧幻峡ではこれほど美しい川霧が見られるのでしょうか?
それはここを流れる只見川にその秘密があったのです。
豊富な水量を持ち、電源開発が盛んな只見川には数多くのダムがあるため、
この霧幻峡の流域も川は堰き止められ、流れはほとんどありません。
そこに尾瀬などを水源とする冷たい水が流れ込むため、
只見川の水温は夏でも非常に冷たいのです。
そこにあたたかい空気が触れることにより、大量の川霧が発生するのです。
見られるのは、夏の早朝、夕刻で年間30日程度とも・・・
この川幅の広い只見川をはさんでJR早戸駅の対岸に、
かつて戸数わずか10戸ほどの三更という集落がありました。
この三更では全戸が渡し舟を持ち、対岸へと渡る交通手段として
住民自らが船頭となって行き来していたのです。
ところがこの奥で行われていた硫黄採掘のため
三更集落の地盤が不安定となり、度重なる山崩れが発生、
住民は集団で土地を移転せざるを得なくなりました。
そのため最後の住民が三更を離れた1964年以来、
この渡し船の運航は長い間途絶えていたのです。
そんな渡し船を復活させたのが、かつてこの三更で育ち、
自ら渡し船を漕いでいた星さん。地域活性化のために
この渡し船の復活を計画、「霧幻峡プロジェクト」の中心として奔走し、
2艘の船を建造、2010年に定期運航を開始したのでした。
現在も郷土写真家として活躍しながら、
自らも手漕ぎの櫓を握り、この霧幻峡の渡しの船頭としてその魅力を伝えています
たとえ川霧が出なくても、山に囲まれた只見川は風の影響を受けにくいため、
只見川が水鏡となって、その深山渓谷がきれいな対称となって
春の桜、初夏の新緑、秋の紅葉シーズンの美しさが川面に映る・・・
船からの景色を楽しむ分には、むしろよく晴れた日中をおすすめします。
(資料より)
早戸温泉「つるの湯」から「廃村集落・三更(みふけ)」に渡ったところで
なぜかTV取材のクルーと出会って、廃村めぐりに同行となった?!!
星さんの説明を聞きながら雪国で育った子ども時代にタイムスリップ
お盆の帰省時に川霧に遭遇したこと、思いだし、この稀有な風景に
多くの人が出会われること祈りたい・・・
画像クリックでスライドショーへ。BGMの音量にご注意ください。
1200年の歴史あるつるの湯より手漕ぎの渡し船に乗船・・・
50年前に廃村となった三更(みふけ)という集落へ向かう・・・
集落の中心部の高台に位置し、渓谷の絶景を望む場所にあるのが霧幻地蔵。
土砂崩れの際、崩壊した土砂はこの地蔵を境にしてストップし、
住民全員の命を守ったことで、
守り本尊として地区民の全幅の信頼を集めていた。
べこ岩にたつ地蔵の前の道路は子どもスキー場だったという・・・
集落の一番奥にあるのが当時の古民家を改装した建物・・・
豪雪でも出入りができるよう、玄関を母屋と直角にして落雪を玄関両脇に落とす
典型的な雪国仕様の曲がり屋。個人の所有なので中は見れない・・・
「霧幻峡」チラシ 画像クリックで拡大画像へ・・・