不埒な天国 ~Il paradiso irragionevole

道理だけでは進めない世界で、じたばたした生き様を晒すのも一興

La serata con i miei

2014-10-17 23:26:57 | 日記・エッセイ・コラム
私は基本的に日本の楽曲は吉川晃司しか聴かない。
コンサートも吉川さんのライブしかいかない。
でもたまに、ごくごくたまに、
太鼓とかのこぎりとか聴きたくなるの。

鼓童。
太鼓を中心とした音楽集団。
元々は20年近く前に母が聴きたいと言ったので
その存在を知ったのだけど、
一度そのステージを観たら、圧倒されて
それからは機会があれば聴きに行くようになった。
でも世界中を駆け回っている鼓童のステージは
なかなか自分のいるエリアで観る機会がなく。

一度フィレンツェのTeatro Verdiで観た時には
かなりステージに近かったので
汗が飛んでくるんじゃないかというくらい
迫力のあるパフォーマンスに
ノスタルジーを感じながらもイタリア人並みに感動した覚えが。

今回たまたま仕事帰りにいつもと違うルートで歩いていたら
ポスターを見かけて、
地元のホールでコンサートがあることを知って
慌ててチケットを買いに行ったんだけど、
既に端っこの席しか残ってなかった。
それでも、せっかくのチャンス。
行かないのはもったいないので、
両親の分もあわせてチケットを購入。

しかし、
サービス業に長年携わっていたとは思えないくらい
外の世界との関わりを好まない父を説得するのに一苦労。
元々パーカッションを愛する父なので、
鼓童の音楽の世界も絶対好きだし、
十数年前に行った時もかなり喜んでいたのに。
「レイラを留守番させるのが可哀想」だとか
「もう観たことがあるから今回は観なくていい」とか
どうしようもない理屈を並べていた。

大好きなイタリアの暮らしを捨ててまで
私が日本に戻ってきたのは
父のことが気がかりだったから。
レイラのおかげで元気になっているけれど、
もっともっと人生を楽しんでくれないと、
私が帰ってきた意味がないのだ。

母も一緒になって説得して、
ようやくコンサート前日に父は首を縦に振った、渋々だけど。

コンサートが終わって駅までの帰り道、
とても晴れやかな表情の父の横顔を見て
あぁよかったなぁって思えた。

ずっとずっとわがままに自分のこと中心で生きているけれど、
たまには親孝行もしないとね。

Perche hanno lasciato una parte

2014-09-29 12:26:52 | 日記・エッセイ・コラム
広島2DaysライブのFirstDayのMCで
吉川さんがなにげなく振った話題。
「なぜ広島市民球場のライトスタンドだけ残したのか」

その問いかけのときにも
きっとメモリアルのためだよなぁと
漠然とは思っていたし、
きっとそう思った人も多かっただろうなぁ。

なぜライトスタンドなのか、というところが
吉川さんの疑問だったみたいだけど。
それはやはりライトスタンドが
通常どの球場でも
いわゆるホームの熱烈ファンが集う場所だからなんだろうとは思うけど。
どうなのかな。

気になったので、サクッと簡単に調べたら、
やはり
広島市民球場跡地利用市民研究会の発案で
記念碑的な意味合いで
ライトスタンドの一部を永久保存することになったそうですね。
「戦後の復興の象徴として」
「広島カープファンの思い出として」

日本の他のどこの地区に比べて
広島の「戦後復興」はやはり特別な意味をもつもので
その思いがあのライトスタンドには込められているのかも。

ちゃんとした答えは見つけられなかったんだけどさ。

実際には跡地の利用については
色々な案が錯綜していて、
未だに確定はしていないようだけれど
解体された広島市民球場は原爆ドームからも近いので
世界遺産原爆ドームとの関連から
(危機遺産へ降格させないために)
大型の施設や高層ビルにはならないと思うけれど。
できれば平和公園とともに
世界に平和を訴求するためのメモリアルパークとして
有効に活用されるといいよね。

どなたか、「なぜあの部分が残されることになったのか」の
経緯が分かる方がいれば
是非吉川さんに教えてあげてください。
ついでに私にも教えて。

Ippocastagna

2014-09-26 08:00:59 | 日記・エッセイ・コラム
先日両親とレイラとお散歩に行った龍城山で見つけて、両親が一生懸命拾ってきたもの。

拾っているときに、ippocastagnaだと思ってたんだけど、日本語でなんていうのかわからず、二人にちゃんと説明できなかった。

正しくはippocastagnoはセイヨウトチノキなので、微妙に違うんだけど、
拾ってきたものはまさしくトチノミ。

アクが強すぎて食べるまでに手間がかかるので、オーナメントにするように、二人には伝えたけど、さてどうする気だろう。



I compiti

2013-10-20 14:11:37 | 日記・エッセイ・コラム
雨の日曜日。
思った以上に本気で降り続けた雨に
気持ちが萎えたお昼過ぎ、
ばたばたと急に実家が賑やかに。

私が日本に帰国してから初めて
甥っ子&姪っ子3人の訪問。

第一声は「犬どこ?猫どこ?」なんだけどね。

なんやかやで、
3人兄弟の真ん中
小学4年生の姪っ子の宿題を一緒にやることに。
算数ドリル。
漢字書き取り。
百人一首音読。
日記。

私は3+4や9+6で躓いて
算数が嫌いになったレベルなので、
算数だけは教えたくないのだけど、
子供にはそんなこと言っても通用しないみたいだし。
まずは算数から。
掛け算・割り算・足し算・引き算の混じった計算。
このレベルなら、間違えずに教えてあげられる(笑)。
文章問題を計算式に直して、計算して答えを出す。
懐かしいなぁ。
「120円のリンゴを3つ、150円のみかんを3つ買って
1000円で払ったら、おつりはいくら」みたいな。
1000-(120X3+150X3)となるわけだけど、
そんな難しいの習ってないというので
1000-120X3-150X3で納得してもらった。

続いて百人一首音読。
古語をどこまできちんと
小学4年生で教えてくれるのか分からないけど、
和歌や俳句にあるリズムを掴めてないようで、
ひらがなの羅列の意味が分からず、ちゃんと読めない。
そのリズムを教えてあげたら、
なんとなく分かったみたいだけど。

漢字書き取り。
ドリルの例文をそのまま書き写すのだけど、
どの例文も一行ずつの練習。
「さわったときの感覚」という例文があったのだけど、
漢字書き取りなのに、ひらがなが多くて、
一行のうちに肝心の「感覚」は
一回しか書かない、みたいな。
だったら「感覚」だけひたすら書いた方が
覚えるんじゃないか?
日本の小問を繰り返す学習法が悪いとはいわないけれど、
これって画一的にやっていいものと
悪いものがあるんじゃないのかと。

静岡県は全国学力テストの結果が悪くて
教育改革への取り組みが始まったばかりだけど、
実際、一緒にやってみて、
自分が4年生だった時は
もっと難しいこと勉強していた気がするのは
私の気のせいなんですかねぇ。

学校での教育システムが云々という前に、
本当はもっと家で
見てあげた方がいいのかなと思ったりね。
私が子供だった頃は
両親は忙しかったし、放任主義だったので、
誰に勉強を見てもらったというわけでもないけど、
子供って集中力が続かなかったり
やっぱり、小さなコツが分からないばっかりに
勉強自体嫌になっちゃったりしてるんだろうなって。
もってるものを発揮できないうちに
萎んじゃっている子が多いような気もする。
うちの姪っ子&甥っ子3人を見ているだけでも、そう思うもの。

計算式の解き方にしても
百人一首の読み方にしても
その場で答えが分かるだけじゃなくて
テストの時に応用ができる解き方や
ちょっとしたコツを教えてあげたら
きっと子供たちは吸収して伸びていくんじゃないかな。

姪っ子には
「いつもはパパ(わが弟)に教えてもらうけど、
パパは答えを教えてくれるの。
今日は答えだけじゃなくて、
やり方を教えてもらえて面白かった。」と言われた。

私がもっと近くにいたらいつでも教えてあげるのにね。


Corri la vita 2013

2013-10-13 15:20:45 | 日記・エッセイ・コラム
フィレンツェを離れる前に
受付が開始されていたので、
参加費用払ってゲットした
Corri la vitaのTシャツとゼッケン。
今年は黄色。
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フィレンツェは
自宅から出ればすぐそこに、
世界遺産地区が広がっている環境だったので、
5キロウォーキングも盛りだくさん。
それに匹敵するものを自宅周辺でと思って
母校周辺を歩くことに決定。

レイラも一緒に9時出発を目指して
出発地点へ。
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選んだのは2015年に
「明治日本の産業革命遺産
 九州・山口及び関連地域」の構成資産
として、世界遺産国内推薦&登録を目指す
韮山反射炉。
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幕末の韮山代官江川太郎左衛門英龍(坦庵)が
近代国家の軍備強化を考え
東京のお台場を整え、
そこで利用できる大砲を鋳造するために
建造を許可された溶炉。
稼働した反射炉として唯一現存するものといわれる
貴重なわりに、地味な建造物。

10月13日はちょうどこのイメージキャラクター
今流行のゆるキャラの着ぐるみのお披露目会中。
反射炉のイメージキャラクター「てつざえもん」。
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ここから出発。
次の目的地は蛭ヶ小島。

長閑な田舎道。
実りの秋を迎えた田んぼと
イチゴハウスやトマトハウスの向こうに富士山。
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懐かしい円柱型ポストも。
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蛭ヶ小島は源頼朝流刑の地として知られる場所。
実際にこの地だったかどうかは
不明な部分も多いらしいけれど、
小さい頃から、ここが頼朝流刑の地と教えられてきた。
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昔は苔むした石碑が立っているだけだったけれど、
最近は公園が整備されて、休憩所もできたし
歴史民族博物館も併設。
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源頼朝と北条政子の夫婦像も建てられ、
その向こうに富士山を望むことができる。
いつもここに来ると
この周辺だけでも電線地中化ができないのかなぁって思う。
景観壊し過ぎでしょ。
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北条政子との馴れ初めってよく知らなかった。
こんなエピソードもあったんだねぇ。
「梛(なぎ)の葉の縁結び」

蛭ヶ小島でひと休みしたら、
次は城池親水公園経由で江川邸へ。

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城池。

5月に来たら綺麗だろうなぁ、と思ったのは
この花菖蒲の株を見たから。
それぞれ素敵な名前が付けられていて、
今から次の春が楽しみ。
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富士山と城池。
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ここから江川邸へ。
正門前の小さな橋。
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反射炉建造を訴えた江川坦庵の邸宅。
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レイラが一緒にウォーキング中だったので
内部見学は控えることになったけれど
ここも面白いところ。
11月16・17日にはこの庭園で
「竹灯籠まつり」が開催予定。

再び城池に戻って、韮山城趾へ。
北条早雲が築城を始め、
彼自身もここで没したといわれる韮山城。
豊臣軍が小田原を攻めた時に
韮山も攻められ3ヶ月持ちこたえた末に開城。
この城のあった山が龍城山と呼ばれ、
その中には熊野神社も祀られています。
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この龍城山は我が母校の裏山でもあり、
懐かしい場所の一つ。
龍城山から望む母校と伊豆平野奥に愛鷹山。
あいにく雲が出てしまったけれど、
愛鷹山の向こうに富士山を見晴らせる絶景ポイント。
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母校を後にして、ゴール地点の韮山時代劇場へ。
向かう道々はやはり、田んぼとハウス。
収穫の季節。
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韮山は昔からイチゴで有名だけれど、
最近はミニトマトもたくさん栽培されているので
ハウスを覗くとミニトマトだったり。
農作物にクラシックを聴かせると
美味しくなるという話は有名。
しかし、このハウスから漏れ聞こえてきたのは
なんとザ・ピーナッツ!!
ひゃっほー。
どんなミニトマトができるのかなぁ。
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田んぼの楽校、いいなぁ。
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ゴール地点の韮山時代劇場では
地元の商工会祭が開催中で大賑わい。
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ちょうど、母校の吹奏楽部の演奏も聴くことができたし、
なんだか盛りだくさんのウォーキング。

ふらふらと、気の向くまま歩いて5,9キロ。
一人Corri la vita無事に終了。
レイラもよく田舎道を一緒に歩き抜いた!!

来年も何らかの形で参加できるといいなぁ。