不埒な天国 ~Il paradiso irragionevole

道理だけでは進めない世界で、じたばたした生き様を晒すのも一興

La fine e' solo un altro inizio

2013-05-13 23:59:00 | Tra la mente e il cuore
約8年間の勤務を経て、本日退職しました。
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18年間のイタリア滞在のうちの約8年間。
それなりに大きな経験となりました。

組織の中で一つの駒として働くことがうまくできない私が、
8年間も続けてこられたのは、
この仕事に対する愛情が徐々に育ってきたこともあるけれど、
近くから遠くから支え励ましてくれた
多くの人々のおかげです。

未熟な私を支え続けてくれた方々に
心から感謝します。


40歳過ぎても相変わらず
行き当たりばったりな生き方のせいで
「この先どうするの?」と心配もしていただいていますが、
今のところ、先のことはあまり考えてません。
今は一度クールダウンします。

一つの大きな経験の終焉は
私にとって一通過点であり
次の新たな夢に向かう第一歩に過ぎません。

一度しかない人生を悔いなく走り続けるために
私はまた自分の思うまま、
気ままな風に吹かれながらやっていきます。

どこかで見かけたら、
いつものように声をかけてください。

たくさんの友情と信頼に心から感謝をこめて。
ありがとう。





Dove vuoi andare ??

2013-04-25 16:28:21 | Tra la mente e il cuore
賛否両論あるでしょう。
そしていろんな意見もあるでしょう。
だったら私も言っておこう。

「核の不使用」声明、日本は賛同せず

このニュースで
日本は終わったなぁって感じた人も多いと思うけれど、
どこに向かおうとしているんだろう、我が祖国は、本当に。

「日本の安全保障の状況を考えたときに
ふさわしい表現かどうか」
そんな上辺だけの表現の問題ではなく、
根本的なところで「核の保有そしてその使用」に
賛同か否かということが大事なんじゃないの???
そこにはっきりNOといえない日本じゃいけないと思うのに。

北朝鮮が核実験を繰り返し
日本海を取り巻く国際情勢が緊迫したものになりつつあるのは
誰もが承知していること。
北朝鮮が攻撃してくるかもしれない、
その抑制力として
日本政府はアメリカの軍事力を頼りにしているわけだよね。
(わかる人にはわかる、吉川版Lovely Maryの世界、まさに。)
でもねぇ、よく考えてみようよ。
北朝鮮の後ろには中国がいて、
日本の後ろにはアメリカがいて
それぞれ大国は自分の手を汚さずに
戦争したがっているだけだよ、ずっと長いこと。
もしも北朝鮮が核攻撃してきたとしても
彼らの技術では
遠くにあるアメリカは標的にならないでしょ。
となると、標的はどうしたって日本だよね。
だからこっちも核で守ってもらわなくちゃいけない
という論理で「核の不使用」にNOといえない。
北朝鮮の核攻撃に対して
アメリカが「日本を守るために」
核で応戦してくれるだろうから。
そう考えている人が多いんだろうけど、
アメリカは日本を守るためだけに核兵器は使わないよ。
自国の領土が危機にさらされない限り、
そんな危険なものに手をつけるわけがないじゃない。
だからそもそもアメリカによる援護を前提とした
「日本の安全保障」を理由に声明に賛同しなかったのは
大きな間違いだと思う。

そしてこの声明に賛同しなかったことで
世界のあちこちに
「もしかして日本ってもう核兵器もっているんじゃない?」
という疑念を抱かせる結果になっていることにすら
日本政府は気づいていないのかもしれない。
日本が掲げてきた「非核三原則」が
これほどまでに信頼度の薄いものになってしまったことを
もっともっと憂うべきなんだよ、日本国民。
日本には核兵器を作ろうと思ったら
いつでも作れるだけの材料と技術はあるんでしょ。
それは世界の誰もが知っている。
ただ非核三原則があるから表向きには
「保有していない」ことになっている。
今回のNPT声明に賛同しなかったのは
日本が独自でいつか核兵器を使う可能性があるからだと
受け止められちゃっても仕方ないよね、もう。

「核保有」が現在の危うい世界の均衡を保つ
唯一の切り札になっていることも十分承知しているし、
世界の大国は山ほどの核兵器を各地で温存していることも
もちろんわかっている。
そんな状況では
こんな「核不使用の共同声明」なんてものが空論であり、
きっとなんの役にも立たないであろうことはわかっていても
それでも、唯一の被爆国であり、
福島の原子力発電所事故の後始末もままならず
放射能汚染の果てしない被害について
だれよりも知っていなくちゃいけないはずの
日本という国の意思表示として
「核兵器使用にNO」と断言することにさえ
意義を見いだせないのだとしたら、
日本政府は腐りきっているよ。

そんな政府を選んだのも我々国民だけれど、
政府は腐りきっていても、
まだ良心のかけらをもっている国民はいっぱいいるはず。
大事なのは物事を多面的に捉えて
ちゃんと自分の脳みそで考えていくこと。
まず色々知ることから始めないと。


Ascoltare il profumo degli incensi

2013-04-06 01:22:28 | Tra la mente e il cuore
genten Firenze のオープン一周年を記念して
ショップの一角で行われた香道のイベント。

御家流香道二十三代宗家・三條西堯水師が
お弟子さんを率いて
フィレンツェにいらっしゃったということで
日本にいてもなかなか出会わない
素敵な体験をさせてもらいました。

源氏香と呼ばれる組香。
25種の香りからランダムに5つを選び出し、
その組み合わせを当てて楽しむ香の遊び。

5つの香炉に順々に香木が焚かれて
それの香りを利き(聞き)、
5種の組み合わせを独特の源氏香模様で表すというもの。

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茶道も華道もそうですが、
こうした道具を整えるところから、
集中力と、きめ細やかな注意が払われる和の文化。
こういうものがほんのひとかけらでも
フィレンツェの人にも伝わるのはみていても嬉しいかなぁ。

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見学者として参列していたのですが、
我々にも香炉を回していただき、
参加させていただきました。

Dscn5840
イタリア語での説明を聞いていて、
「香をきく」を
sentireではなくascoltareという単語を使っていることに
はっとさせられたのですが、
三條西堯水師ご自身があちこちで
「香を聞く」と言ってらっしゃるようで、納得。
香りを嗅ぐのではなく聞く。
なんだかとても深いのだなぁと。

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齢を重ねるごとに、匂いに敏感になりつつある私は
いつか香道をきちんと習いたいと思っていたのですが、
今回の経験で、やっぱり楽しそうだなぁと思っているところ。

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香炉を手で包んで香りを手のひらに溜め、
親指と人差し指の間から
香りを吸い込んで聞き分ける。

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香木から上がる香りはとても繊細で
一つ目の香炉が回ってきて香りをきいた時には
ほんのうっすらとしか香らず、
こんな薄い香りでは違いがわからないだろうと思ったほど。
一つの香炉で3回吸い込むのですが、
重ねて香りをきくうちに
ノートの移り変わりというか
柔らかな香りの中に
わずかな酸味やら甘みやらの混ざり具合が
なんとなく体感できるようになるのが面白くて。

Dscn5849
微妙に漂う香りの中に
共通点や相違点を見つけ出して組み合わせていくのは
実に雅な遊びなんだなぁと。
ほんの少しの違いなのだけど、
5つ目の香炉が回ってくる頃には
なんとなくコツも掴めてきたような気が。

Dscn5851
5つの香りを聞き終わり、
それぞれに自分の「回答」を提出。
私は1つ目と5つ目が同じ香り、
2つ目と3つ目が同じ香り、
4つ目はいずれとも異なる香りという組み合わせの
源氏香図
「鈴虫」を選択。
三條西堯水師のお話を伺いながら、
答え合わせの発表準備をドキドキしながら待つ(笑)。
雨の日に香を焚くと、香りが満ちやすく
香りの聞き分けも容易になるのだそうで、
隣のイタリア人のお姉ちゃんが、
じゃぁ、フィレンツェの冬はずっとお香で遊べるねって
言っているのをきいて、
あぁ、日本は雨が多いから
こういう遊びが確立されたんだろうなと
なんとなく考えたり。
三條西堯水師によれば、
こうした香りを使った遊びは日本独特のものだそうで。
お話の内容は、自宅に帰って探したインタビュー記事にも
ちりばめられてました。
参照記事


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結果発表。
香元(お香を立ててくれるかた)も
最終結果は知らず、
回答が出揃ってから、
香木が包まれていた紙を広げて香の番号を確認。
それを受けて、執事さんが
使った香の名前や、参加者、その回答などを書き記していく。
その様を見て、イタリア人は
「こんなところまで
合理的にオーガナイズされている日本文化はすごい」と賞賛。
彼らにしてみればそのように映るのですね。

Dscn5854
残念ながら、全問正解者は出ず。
それでも三條西堯水師のおっしゃるように
香の遊びは優劣を決めるものではなく
飽くまで、
自身の心と感覚を解き放し楽しむものということで。
「香満ちました。」という挨拶で締めくくられ
実際に会場となった空間も
自分の心もとても良い香りと気で満ちあふれ
とてもよい気持ちになりました。

驚いたのはそのあとオフィスに戻って
同僚に香っていると言われたこと。
ほんのりわずかな香りであったのに、
すっかり肺の隅々、髪の芯まで焚きしめられたみたい。
そのあと自宅に帰っても映画を観にいっても
かすかによい香りに包まれていました。

自宅で毎晩香を焚いても、
そこまで香りが残ることはないのにね。

フィレンツェの片隅で
とても貴重な体験をさせてもらいました。





Tra la mente e il cuor 03.03.2013

2013-03-03 22:34:46 | Tra la mente e il cuore
オスカーノミネートされただけで、
なにも受賞しなかったんだけ、この映画?
なんか、もったいない。

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YouTube: Educazione Siberiana - Trailer Italiano Ufficiale HD



すごく小さな世界のことを描いているようでいながら
とても普遍的だなぁってまず思った。

多くの人の善きとなるために犯された罪は
神によって許されるというところに立った「Criminali Onesti」。
犯罪は犯罪なんだけど、
その中にはきちっとしたルールがあるという、そういう世界。
マフィア組織も日本のヤクザ組織もこのUrkasも
いわゆる地下犯罪組織って
その世界独特のルールがあって、
そして属する組織に対する忠誠と
互いの尊重がとても重要だったりするわけで。

決してきれいごとだけではない変動の世界の片隅で
犯罪と常に隣り合わせのコミュニティで
その世界独特の規律を教え込まれる子供たち。
それはとりわけ厳しくて、非常に明確なルール。

武士道とは異なるものではあるけれど、
ある意味では、
独特の世界での「義の実現」を諭す、名誉の規律。
そこには命への尊重と義があり、
尊厳の中に生きるという基本的要素がちりばめられている。

似たような環境の中で
そうしたルールを教え込まれながら
子供たちが成長していく中で
それぞれの実現の形が変わっていくのは
個人が生まれながらにもっている素質によるところが
大きいんだろうね。
それは映画に描かれた社会だけでなく
普通の社会でもいえることだけれど。

オオカミの群れに例えて
教えられる人生の基本。
長い冬を越えるオオカミの群れのなかで
空腹に耐えかねて、
群れを離れ人間になびいた一匹。
飼い主となった人間が射止めた獲物を追いかけていくと
そこに倒れているのは
かつての群れの長であることに気づく。
La fame viene e scompare
ma la dignita' una volta persa non torna mai piu'
空腹はやがて消え去るが、
一度失った尊厳は二度と戻らない。

その教えが底辺にあっての
犯罪、友情、初恋という
少年が大人になっていく過程を描いた作品。

マルコヴィッチの台詞に
とても素敵なものがいくつかあるので、
もう一度観たいかも。


Tra la mente e il cuore 25.02.2013

2013-02-25 23:51:00 | Tra la mente e il cuore

お正月に後輩が実家に立ち寄ってくれた時に
電話をしたきり、
そのときの母の反応が気になったこともあって、
ちょっと電話ができないまま時が過ぎ。
余りに私からの連絡がなかったせいで、
さすがに母も心配してか、
先週立て続けにメールが届いていたので、
ようやく時間を見つけて電話をした。
しかし、母は留守だった。
元気な証拠に、いつもの従兄弟会と称して
山梨の彼女の故郷まで旅行に出かけていた。

母が在宅だと必ず彼女が電話に出て
父とはなかなか話す機会がないので、
却って母が不在で、父と話ができてよかったんだけど。
面と向かって話をすると
別に感じないんだけれど、
電話だとどうも微妙に呼吸の合わない私と父。
父はおそらく電話が苦手だろうし、
私は電話が大嫌い。
そんな二人なので、
どうも感覚が掴めないまま、
いつも会話がぎこちなく進んでいく。

父が体調を崩した2012年。
あれから一年が経ちなんとか復調しているようで、
体調はぼちぼちらしい。
パワー全開で動き回る母に急き立てられて
毎日ウォーキングという散歩をしているらしいけど、
「なんとかの花はまだ咲いてないし、
なんとかの実もまだついてないから、
歩いていてもつまらん」のだそうだ。
植物に関しては両親の知識の足元にも及ばないので、
なんとかの花やなんとかの実がなんなのか、
結局わからないまま(笑)。
早く春になったら、父と母の散歩も楽しくなるのかねぇ。
次の春は父と一緒に故郷の自然の中を歩きたいな。

自宅の紅梅は今満開になって
近所の人と毎日愛でていると、
春の花の話題になったので、
私が2月の初めに
草月流の生け花ワークショップで活けた
なんだかわからない枝を
勝手に装飾用の枯れ木だと思って放置していたら
芽が出てきたという話をしたら、
それは何の木だと聞かれたけれど、
さぁ、何の木なのか私にわかるはずもない。
芽が出ただけじゃなくて、根っこも出たと伝えたら、
根っこが10センチ以上になっているなら
植え替えればつくといわれ、
じゃぁ、大きめの鉢を買ってきて植えてみると答えると、
ゴミ箱の底に穴開けて植えればいいって。
あの、実家みたいに穴をあけてもいいゴミ箱が
庭や物置のあちこちにあるわけじゃないんで(笑)。
ゴミ箱買うのと鉢買うのでは、
多分鉢買った方が近道だと思うわ。

などと、くだらない話をして
とりあえず、電話を切った。

そんなくだらない話ができることに、
今は感謝しないとね。
そして、伝えなくちゃいけないことは
やっぱり、伝えられなかった。
いつ伝えられるのかなぁ、私。