現在高級ホテルが向かい合って建っている
フィレンツェのオンニサンティ広場の一角にある宮殿が
レンツィ宮殿(Palazzo Lenzi)で
フランスの名誉領事館および
フランス文化会館の本拠地となっています。
建築時期の詳細ははっきりしていませんが、
1470年の古文書には記載が残っており
外観もルネッサンス建築の様相を呈する宮殿。
当時の所有者はレンツィ家の
ロレンツォとピエトロ兄弟(Lorenzo e Pietro Lenzi)。
また建築家の名前も明らかになっていないため
「なぞの宮殿(Palazzo degli enigmi)」の異名ももっています。
ドゥオーモから少し離れたこの辺りは
建設当時は周囲にはなにもなく、
広場に面した教会(現・オンニサンティ教会)と
そこに仕える修道士の暮らす修道院があるだけの
のどかな田園風景が広がっていました。
ヴァザーリはこの宮殿の建築家として
フィリッポ・ブルネッレスキ(Filippo Brunelleschi)の
名を挙げていますが
現在ではその説はほとんど信憑性を失っています。
また、一説ではメディチ・リッカルディ宮殿などを手がけた
ミケロッツォ(Michelozzo)の手によるものとも言われていますが、
こちらも証拠付けできるほどの確証がなく現在に至っています。
正面ファサードの引っかきフレスコ画(gli affreschi a graffito)は
アンドレア・フェルトリーニ(Andrea Feltrini)作。
レンツィ家は1600年代までこの宮殿を所有していましたが、
本家の家系が絶えると、1647年にはブイーニ家(Buini)が購入。
この2代目の所有者の紋章である「ウシの顔」が
宮殿の北面角につけられています。
この時代に内部は大きく改装され、
当時フィレンツェで流行していたルカ・ジョルダーノ風の装飾が
天井などに施されました。
1765年にブイーニ家から
クゥアラテージ家(Quaratesi)に所有権が渡り
その後19世紀の終わりに
著名な古物商ルイジ・ピサー二(Luigi Pisani)が購入。
アンティーク商らしい趣味で内部を整え、
彼のコレクションで宮殿は満たされます。
1908年にフィレンツェに設立されたフランス文化会館は
当時はサン・ガッロ通りにありましたが、
そこが手狭になったため
ルイジ・ピサーニ所有の宮殿の2階部分をまず賃貸し
やがて1950年にフランス政府が宮殿全体を購入し、
フランス文化会館と領事館が置かれました。
3階建ての建物は1階部分にフランス書店とブティックが入り
上階部分が図書館と領事館、
またアーティストが滞在できるような簡易アパートが配されています。
正面ファサードは建築的な装飾がほとんどなく、
引っかき傷のような単色フレスコ画が印象的です。
建築当初にあったと思われる
最上階の開廊部分を回想するように
この単色フレスコ画で多くの柱が描きこまれています。
建物内部は一部に1600年代のフレスコ画が残っています。
また1400年代から常に「公の場」として使われてきたサロンは
現在は劇場風の仕立てになっていて、
時折開催される会議や展示会の発表の際にも使われています。
白い漆喰で塗られてしまい上層部にしかフレスコ画の残っていない
このサロンは「肖像画の間」と呼ばれていた時代がありました。
最近フランスの修復学校の学生が滞在中に研究を進め
実際に白く塗りつぶされてしまっている壁には
いくつかの肖像画らしい形跡が残っていることがわかりました。
メディチ家のコジモ一世の横顔を描いているといわれる部分もあり
今後の研究が待たれるところです。
先日の「ヨーロッパ文化遺産デー」の催しの一環で
この宮殿内に入ることができました。
そこで「コジモ一世の肖像が」を見たのですが
非常に見難い場所にあることもあり
そういわれれば、そうかもしれないという感じ。
でも確かに横顔の輪郭や剃りこみハゲの入り具合などは
コジモ一世かなぁという感じで楽しませてもらいました。
写真の白い漆喰の削られたグレーの部分。
遠くから手振れしながら撮ったのであまりよく見えませんが
コジモ一世の頭と額っぽい、でしょ?