不埒な天国 ~Il paradiso irragionevole

道理だけでは進めない世界で、じたばたした生き様を晒すのも一興

Visita a L'Aquila

2009-07-15 23:27:00 | 日記・エッセイ・コラム

友人に誘われて地震被災地のL'Aquilaに行ってきました。
彼女はイタリア赤十字のボランティアとして
既に10日ほどキャンプ生活をしており
そのときに面倒を見ていた子供たちの
様子を見に行くというので
便乗して連れて行ってもらいました。

フィレンツェを8:30過ぎに出発。
高速道路を南下してL'Aquilaに到着したのは12:00過ぎ。
3-4時間で行ける距離だったのね。
もっと遠いと思ってたので。

Collemaggioというキャンプ。

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周りを緑に囲まれて、
いくつかあるキャンプ地の中では恵まれた環境なのだとか。

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とはいってもキャンプ地、テント生活。
まだまだ多くの人が厳しい生活を強いられています。

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子供用の図書室テント、お年寄り用のレクリエーションテント、
みんなが食事をするメンサ、
洗濯場(アイロン場もあるのがイタリア!!)、
共同シャワーに共同トイレ、
そしてUniversalが提供したという映画上映テント。
できるだけ暮らしやすいように工夫されているようです。

元々はイギリス式庭園だったという場所に
テントを張っています。
消毒薬のにおいがしっかり染み付いていて
初めて訪れると鼻がつんとしました。

正面には修復中だった教会、その脇には音楽大学の施設。
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修復用に地震の前からかけられていた足場は
今でも揺れるたびにぎしぎしといやな金属音を立てるので
恐怖心を煽ると住人が語っていました。

夏休みが終われば
ここから学校に通ったりする子供もいるので
イタリア各地から送られてきた
書籍や文具類がコンテナに。
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仕分けして新学期に備えています。

日曜日だったこともあって
またG8の直後だったこともあって
子供たちのほとんどは
ウンブリアの街に避難させられていました。
そんなこともあってかキャンプはずいぶんひっそりとした感じ。

家族と一緒に移り住んできたわんこも
日陰で休憩。
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昼食時にはメンサは賑わっていたので、
みんなそれ以外の時間は
自分のテントで思い思いに時間を潰しているみたいです。
森の中で読書する人も見かけたし、
一部だけ解禁されている
ラクイラの街へ行く人もいるようです。

平日はキャンプ地から
仕事に出かける人もいるということだし
(だからアイロンも必要なのだな)
なんだか私が想像できない世界が
そこには存在していました。

仕事があって、賃貸とはいえ住むところがあって
自分の好きなものに囲まれて
犬&猫と暮らせているだけで十分だよね、私。

ラクイラにて我唯足るを知る。しみじみ。


Il vaso greco trafugato

2009-07-14 07:23:56 | アート・文化

Eufronio(エウフロニオ:Euphronios)の壷と呼ばれる
古代ギリシャの陶製壷は
Cerveteri(チェルヴェテリ)近くの遺跡発掘現場から盗まれ、
美術品闇売買裏街道を突き走り、
やがてニューヨークのメトロポリタン美術館にたどり着きます。
30年以上にも亘り、かの地に展示されていましたが、
不法売買による展示であることを理由に
イタリアに晴れて戻ってきたのに、
誰の眼にも触れないところに展示されている
というのがアメリカ側の見解。

アメリカのジャーナリストは
ニューヨークにあったときは日々多くの人に鑑賞され
目玉商品としてスター的な扱いだったのにもかかわらず
イタリアに戻してからは寂れた人気のない美術館に
そっけなく展示されていると酷評していますが、
2008年1月に長い交渉の末
ようやく戻ることになったこの作品も含め
世界各地に散らばっていて祖国に戻ってきた
約70点の作品を集めた
特別展「Nostoi i capolavori ritrovati」で展示され
多くの人を魅了し、
そのあとはローマ市内のVilla Giuliaに常設されています。
確かにVilla Giuliaの美術館は
ヴァチカン美術館やウフィツィ美術館のような
訪問客数があるわけではありませんが
エトルリア時代の作品を中心に
良質の展示をしていることで定評のある美術館です。
実際には2008年以降
イタリア全体の美術館入場者数が減少傾向にあり
小さな美術館は特に入場者が少なかったりするので
ある意味寂れているのかもしれませんが、
決してぞんざいに扱われているわけではないのは明らかです。

紀元前515年に製作された壷は
高さ45,7センチメートル、直径55,1センチメートルで
Eufronioの特徴的な絵画で装飾されています。
正面部分にはトロイ戦争の一場面が描かれています。
Zeus(ゼウス)の息子でトロイ同盟の一員として闘った
英雄Sarpedonte(サルペドンテ)の死を題材にしたもの。
裏面には闘いの準備をする若者たちの姿が描かれています。

Cerveteriの発掘現場付近の墓から
不法に持ち出されたものといわれていますが
詳細は未だ明らかではなく、
現在も採掘場所の確定調査が行われています。
この作品の闇売買に関わったとされる
美術品取り扱い業を営むGiacomo Mediciは
美術品闇売買で逮捕され10年の刑を受けています。

1971年に持ち出された壷は
1972年には当時のメトロポリタン美術館館長の強い希望で
闇売買品であることを承知の上で
100万ドルで買い取られており
その直後からイタリア政府の返還交渉が始まり、
ようやく2008年に返還の運びとなりました。

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ローマ滞在中に時間があれば観ておきたい作品のひとつ。

Museo Nazionale Etrusco di Villa Giulia
Piazzale di Villa Giulia, 9(ボルゲーゼ公園の一角)
開館時間:8:30-19:30
休館日:月曜日
フィレンツェの国立考古学博物館内のエトルリア・コレクションと並び
世界的にも重要なエトルリア・コレクションを所有する美術館


Un riposo

2009-07-11 16:22:01 | Billy,Layla e Ciccino

すごく疲れた一週間でした。
暑かったせいなのか、動く距離が多かったせいなのか。
まぁ、ようやく一息。

しかしやらなきゃいけないこともあり、
家でボーっとしているわけにもいかず。

実家にも電話しなくちゃと思って
店に電話をしたら
土曜日の晩だからなのか、
いつになく忙しそうで
しかも今夜は甥っ子&姪っ子が3人でお泊りしているらしく
店の手の空いたときに
ママはちびっ子たちの様子を見に行っているとか。

なんかそういう話をするママの
嬉しそうな顔が眼に浮かびますが
いつもならくだらないことまでいっぱい話したがるのに
今日はさっさと電話を切りたい様子が伝わってきて
私も可愛いちびっ子たちに会いたくなり
自分が家族と離れて一人1万マイルも離れた場所にいることを
久々に実感して、少しだけ寂しくなりました。

で、電話を切ってふと様子を見に行ったら
ソファーでこんな二匹。
Bici
こいつらがいてよかったと思った瞬間。

しかし、今日は少し暑さがやわらいだとはいっても
それなりに暑いわけです。
なぜこの二匹はお互いにお気に入りの
友人手編みのひざ掛けを
取り合うようにしてくっついているのでしょうか…。


Geco e Ciccino

2009-07-10 23:47:00 | Billy,Layla e Ciccino

01
ちょっと幽霊みたいな画像ですが。
夜中に巨体を起こして奮闘する
チッチーノを撮影したら動きについていけず。

03
奮闘に疲れて一休みのチッチーノ。
さすがにこのお腹を抱えて格闘するのは
相当体力を使うらしい。

一休みしたら再び奮闘。

04

05

06

こんなに頑張ってなにと格闘しているのかというと。

ヤモリ。
02

我が家に毎年出没するヤモリ。
ヤモリは屋守なので昔から縁起がいいと言いますよね。
だからチッチーノにも襲うなと言い聞かせているのですが
動きが気になって仕方ないらしい。

まぁ、窓の向こうに張り付いているので
ヤモリとしてもチッチーノの攻撃など
一向に構わない感はあり、余裕です。

07
ダメだニャ。
どうにかしてニャ。

ちょっと恨めしそうなチッチーノ。
まぁ、そうっとしておきなさい。
相手はちっちゃいヤモリなんだし。

08
ということで、休戦。

しかし、毎晩同じことの繰り返し。
どっちもどっちだねぇ。


Galileo ed il Cannocchiale

2009-07-07 10:07:23 | アート・文化

1564年にピサに生まれ、
1642年にフィレンツェ郊外のアルチェートリ(Arcetri)で
亡くなったGalileo Galilei(ガリレオ・ガリレイ)。

2009年はガリレオが望遠鏡を発明してから
400年目にあたり世界天文年であり
イタリアでは彼の活躍した
3つの都市(フィレンツェ、ピサ、パドヴァ)で
それぞれ展覧会が開催されています。

ガリレオは周知の通り、16世紀に活躍した天文学者ですが
当時の学者が分野を問わず
幅広くその才能を発揮していたように
彼も天文学者、数学者、哲学者、物理学者と
様々な顔を持っていました。
近代科学の祖としてもよく知られています。
望遠鏡の発明とそれを使った天文観察で名を馳せました。

彼はコペルニクスの提唱した地動説を是認し、
分析と統合を元にした実証的方法を重んじ
自然哲学を否定したため
宗教裁判にかけられ、教会から異端思想者とされます。
自説の撤回を教会から求められたものの、
それに反したため
1633年以降、晩年は隔離されて生涯を終えています。

望遠鏡の発明者といわれていますが、正確には改良者。
彼の時代までにレンズの発明がなされ、
1600年代初頭にはオランダで
初めてレンズを使った望遠鏡が製作されています。
ガリレオはこのことを知っており、
実際にそのモデルを入手していたとも言われ
それを元に自身の経験に基づく改良を重ね、
最終的に非常に精度の高い望遠鏡を製作しました。
1609年の春に完成した望遠鏡は
8月25日付けでヴェネツィア政府に献じられ
そこでガリレオの発明として高く評価されたことから
彼が望遠鏡の発明者といわれるようになったのです。
この「発明」により、彼はヴェネツィア政府から給料倍増、
終身教授の褒美を得ています。

この望遠鏡を使って、月面観察、銀河の構成観察を行い
詳細な研究を残しています。
また1610年には木星の4衛星を発見し、自書にて発表。
この書籍を望遠鏡とともに
フィレンツェのコジモ2世に献上しています。
メディチ家のコジモ2世はガリレオの弟子でもあったことから
ガリレオはこの4衛星をメディチ家に捧げています。
彼のこの行為は経済的な援助を目的としたものであると同時に
自身の研究・思想がやがて
ヴァチカンから追及されることを十分承知していたために、
権力的な後ろ盾を確保する必要があったからだといわれています。

メディチ家は1610年6月5日付けで
ガリレオをピサの名誉教授として任命し
7月10日にサインをし
9月にはガリレオはパドヴァからフィレンツェに異動しています。
この際、コジモ2世はガリレオが実際に教壇に立つことを強制せず、
自由に研究を続けるようにと非常に寛大な対応をしています。

1611年にローマに召還され、自説を発表した後は
やはり神の存在自体を否定しかねないと懸念した
ヴァチカンから強く責められ、自説撤回を求められます。
もちろんガリレオ自身は亡くなるまで自説を曲げず、
メディチ家の保護の下
フィレンツェの自宅にこもり研究を続け生涯を閉じました。

フィレンツェで行われているガリレオ展は
古代エジプトからガリレオの時代までの
天文学の歴史を中心に組まれ
科学と宗教の関係の移り変わりがわかるようになっています。
ガリレオが製作したとされる望遠鏡とともに
まるで聖遺物のように仕立てられた
ガリレオの指も展示されています。

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Galileo
Immagini dell'universo dall'antichita' al telescopio
会場:Palazzo Strozzi(ストロッツィ宮殿)フィレンツェ
会期:2009年8月31日まで
開館時間:9:00-20:00(木曜日のみ23:00まで)
入場料:10,00ユーロ

ちょっと細かいものが多かったり、マニアックだったりするので
なんとなく観てしまうとつまらない展覧会ですが
じっくりオーディオガードとか聞きながら観ると
思った以上に勉強になります。
時間かけて行きたい展覧会としてお勧め。