24 黄釈子 Blog 「My Days」by Oldman+1(吉住)

コロナ予防接種0回、30年間健康診断0回の後期高齢+1、元原告団長の下り坂人生、日々の戯言。KindleWriter。

Oldman & 1年3組

2024年12月16日 | 気象
2024年12月16日(月曜日)午前5時45分:[  3c/8c/80%  ]{ pm09:30-am04:30 } 曇り時々雨

癌が見つかって、1年を生きられずに、友人の医者が死んだ。先週、13日の金曜日に亡くなったらしい。確か、今月25日が誕生日だから(訂正:14日だった!)、満76歳にはなれなかった。この年になって、摘出手術ならまだしも、「抗ガン治療」を乗り越えることは、不可能という私の考えは、間違っていないようだ。

「頑張って、抗ガン治療」をしたので、逆に寿命を縮めたのじゃないか、という思いがある。現代医学か自然哲学か、実正は出来ない。

今年の1月17日に、彼の院長室の応接間でおしゃべりした。こっちが「奥歯2本、ごっそり抜いて、実に不自由だ」という話をしたとき、彼は「僕もそろそろ、歯の治療方針を決めないと」などと言って、インプラントは嫌だしなあ、と同調していた。虫歯は一本もない、とも自慢した。

4月1日に電話があって、白血球が急激に減ったので、人に会えない、と言うのでショックを受けた。癌だ!と直感した。人の話では、年末にすい臓がんのステージ4だと言われていたらしいが、私には言わなかった。

それ以後、電話では何度も話したが、ガラス戸超しに顔を見たのは、6月6日。福井県では一番の自宅の広い食堂は、大きなガラス戸に囲まれ、中から外の庭を見渡せる。そこに、ベッドを持ち込んで、かろうじて上半身を起こして、私に手を振っていた。

丸坊主で、眉毛もなく、力なく笑った口元は、明らかに歯抜けだった。それが、今生の別れになった。考えると、昭和39年、15歳から16歳の高校1年、60年以上前に同級生となったのだ(  卒業は昭和42年)。1年3組には、昨日聞いたキャノン販売の社長、会長、そして、我が母校の福大の講師までしていた玉ちゃんが、施設に入ったとか。ゴルフでシングルになりながら、私を「天敵」呼ばわりした男が、介護を受けないと生きていけなくなった。

「光る君へ」の道長も、この1年で(ドラマだから)あっという間にこの世を去ったが、自分たちの60年も「あっという間」だったなあ、と実感する。この感覚は、後期高齢者を経験しないと分からないだろうが、まあ、そこまで生きれば、必ず「経験」するに違いない。1年も60年も「同じ」に思えるのだから、実に不思議だ。



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