モノと心の独り言

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個人創造文化は、関わりの為の文化、’絆’は、社会の分散化への反動

2012-03-09 07:53:27 | コミュニケーション-メディア

大衆文化という大衆階級の消費市場社会から、個人創造文化の時代に入っていたようだ。

貴族・市民(奴隷制・身分制・市場制の中での特権者)が、芸技の専門家に依存して深化してきた’創造’が、
衣食住はなんとかなりそうな近代から現代になってくると、誰もが関われるものになってきた。アートが市場商品となったのが近代。なんの知識も経験も不要で、だれでもがすぐ楽しめる娯楽をとの大衆文化は、グローバル化によりより動物化:小脳・脊髄反射的になってきた。しかし、創造の手段、描き・描き・写し・編集し・観る道具が身近になり、衣食住の獲得に専念しなければ、日々、感じ・表現し続ける時間をつくることが出来る時代になった。

それでも、金融資本市場の勇者となることが、自己生命の拡大・安定の証とすれば、更に忙しくなり、創造されたモノ・コトの消費者でいつづける。
しかし、モノからコトへ、コトから関わりへ、コミュニケーションの軌跡こそが生きる証だと思えば、関わりのための表現に時を費やす。
健康を買って、生きている時間を増やそうとしても、関わりの時間を減らすのなら、ウロボロス。

最近のギャラリー・作家取材を重ねて感じることは多い。

 まちひとサイト マチヒト文化カテゴリー

’絆’と言ってしまえば、陳腐になる。
災害から身を守りあおうとするから’絆’なのではない。
市場経済を補うための’絆’でもない。

関係しあうことが、人の性だから、
市場社会で分解した近隣・家族の関係を、再構築するために’絆’が求められる。
手をさしのべることを、今やろうとすると、表現し合い・応えあうこと。
絆とは、状態であって、モノでも契約でもない。
その緩さの弱さこそが、’たまゆら’なのだ。


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