モノと心の独り言

コミュニケーション/メディア/コミュニティ ココロの建築家になりたいと・・・ 

政治体制・三権分立の社会概念+活動主体を、コミュニケーション・メディアで考える

2011-05-08 08:11:46 | コミュニケーション-メディア
政権を、人格や知恵だけで語る時代は、終わっている。
人は、想定できることを科学・技術に委ね、常に想定を越えた楽しみを求め、危険に対処する。
そのために欠かせない、科学・技術を、三権の中にいれる。
この科学は、自然科学から社会科学、記録は言語・記号だけでなく、センサーからシミュレーションなど刺激とデータ処理も中に含む。
事業仕分けですら、印刷資料にたよっていたが、
本来、論弁だけで物事を説明・理解・検討する時代は終わっている。
政治・科学ー技術ー知恵・司法、3つの概念にそって、
市民・企業・行政が、相関しながら活動する。

議会・司法・行政 だけで、語り続けるから、
ゆとりある貴族・利権者が、当選を目的にした自己目的化選挙で選ばれ、政治家となるのだ。

政治・司法・科学ー技術は、相対的な概念なのだ。
概念を扱うところに、執行する行政が入っている時代、
つまり、組織と場所と内容が一致していた時代が終わっている。

政治も科学も司法も、最終決定のイベント会場があってもいいが、
プロセスは、ネット上でできる。
対話でわかり合えるのは、個人同士のことだけ。
個人同士が、分かるところだけ分かったつもりで動くから、
政治家がいかに志そうとしても、お互いに、足を引っ張り合う。
クラウドな情報をネットワークを通時、モバイルで繋がって動ける人こそが、主体者なのだ。
現場には、想定を越えるコトが起り続ける。
楽しいことも、危ないことも・・・・

TVの座談会では、ビデオ・模型・フリップが活用される。
企業の会議では、ネットに繋がり、プロジェクターでビジュアルを共有し、
互いの表情をみながら、対話する。

プレゼンテーション、ファシリテーションなど、コミュニケーションを学んだ人が、
なぜ政治に出てこないのか?
(支持者の名前と顔を覚えるのが政治家? つまり利権と利権者との応対が政治だと勘違いしているから?)
政治資金は、そのようなコミュニケーションとR&Dができるスタッフを抱えるために使われるべきだ。それでなければ、一般市民や企業家が、夜でのネットでも、ボランティアで決めればいい。
地域政治は、そんな人が多く参加できることが重要だ。
資料共有ができない、だらだらの議会中継など、興味を失わせるためにやっているのではないか?
アリバイづくりではないかとまで、勘ぐってしまう。

政治は、手法の時代であって、人の時代ではない。
人はだれもがブレる、私もブレる、今日もブレた!




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