モノと心の独り言

コミュニケーション/メディア/コミュニティ ココロの建築家になりたいと・・・ 

メディア・ジャックは、その時・その場の当事者感覚を麻痺させて

2007-03-20 07:50:21 | コミュニケーション-メディア



ネットが始まる以前から、店舗・看板・ビルボードと
私たちの視覚生活に、広告は拡がっていた。
新聞・雑誌・フリーペーパーなどの印刷物は、
その表面を折りたたんで膨大な視野を保存し、視覚世界を拡張した。
その紙質・印刷技術は多様に高まり、手触りからして触感へ連動する。
カメラ感度・印刷精度の高まりは画質は向上、
紙面は拡大・ロール化して、全てのものをラッピングして
質量を消し、視野を覆う。
そして、スクリーンから電子モニター、
視覚をを時系列に切り替え、分断・再編集された視線が、
音声をともなって流される。
それは、内容ではなく、映画館の入場者数・TVの視聴率、
果ては、Webのページ・ビュー・アクセスIP数として、
集中度が意味をなす。

デジタル画像は、写像・描画・CGと
媒体数、通信経路、チャネル数などで視覚世界を増やすだけでなく、
(ラカン的)現実界・イメージ界・象徴界相互の境界を失わせた。
そこでは、現実・イメージ・象徴の断片が、出会いの場で共感される。

視野にいるもの全ての混沌を
容赦なく塗りこめて独占するメディア・ジャック。

これは、音声にたとえれば音量最大化でもある。
夜の街のネオンサインのケバさ、
PVの暴力的な視覚拉致、
身体からの距離感のある視覚にたいする騒音は、
街頭を走る宣伝カーと同様に、感覚を自閉させ、
その街・その場の当事者でいようとする意志を奪う。

特に他の視野を奪われた地下鉄空間は、この拒絶できないメディアに、
日々の通行・乗り換えのための生活時間に分だけ、私たちの身をさらす。
当然、それは他のTV/新聞/雑誌/Web・・・と連動した
メディアミックスの一部でもある。

モバゲーは、リアル空間をゲームで上塗りし、
セコンドライフは、バーチャル空間をディベロップして
リアルビジネスを注ぎ込む。

他人の欲望を欲望する場が、
より多極化・使い分けされてゆく今、
私たちは、すでに個人という纏まろうという意志を放棄して、
情報を映し出すモニターになりつつあるのかもしれない。

そして、もうスイッチは入れっぱなしのユビキタス
そのチャネルやアクセス先の切り替えスイッチも手を離れ、
意図したときは、ケータイで他の人間メディアと繋がって!

ほら、その視線のたどり方こそ、
モードの言葉、メディアの語りをなぞっている
”ふさわしい私”

周りの人は、際立たせる背景であり、
あこがれる目線であり、
その舞台を歩いているのは、
ワ タ シ !









ウォークマンからiPod
そしてケータイ・メディアをワイヤレス・ヘッドセットで武装して、
メディアジャックを、選択済みメディアで打ち消そうとすればするほど、
この街の、この人たちとのこの時の
共有感覚・当事者感覚を麻痺させてゆくしかないかもしれない。

これが都会の賑やかさとして、享楽の源泉の一部でもあるし、
交通時間が短縮されるほどに、距離が縮約されて、
高まる刺激密度が身体を支えてくれそうな錯覚に陥る。





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