生活の手がかり、足がかりは、時と伴に変わってきた。
一番確かなコトが、信仰だった時代があった
・統治から政治
・政治から経済
・経済から商品・価格
・高価格から唯一
そして、可能性としての資産・比較としての相場
その確かさの手がかりも
・リアリティー
・共感
・ツナガリ
・確率
<おそらく「リアリティー」の八割は「諸感覚の階層的な同期」によってあたえることができる> 『関係の化学としての文学』斎藤環著 より
身体は、物質として・欲望として・幻想としての確かさの舞台。
確率とは、反応する身体のマクロ
地震発生の確率と、人の死の確率(寿命)と、今の「いいね!」が
安全・健康・流行りコトで、階層的に同期することが、マーケッティングとしたら、
活きることは、踏み外すことかもしれない。
それが、想定外の確率の繰り返しへと収束したとしても、
人と人、複数の人が、その時・その場で反応しあい、
ズレや脱線が生じ続ける限り、
つまり、
関係がつづく限り、
日常の中にこそ、諸感覚が共振し伝染して拡がる深さがある。
身の回りとの身体と意識が連動した感応力こそ、
生活の手がかり、足がかり
歩き・移動し・意志を伝え・記録共有するネットワーク支援のリアルの時代。
PCとかスマホとの共存は、消費から経済・政治、そして信仰へと拡がっていた。
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