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かっこにっぽんじん(日本人):橘玲著 からのユートピアへ

2014-02-25 11:26:01 | コミュニケーション-メディア

テレビ東京のWBS、スミスの本棚でLINE社長のの森川 亮さんが推薦していた『かっこにっぽんじん(日本人)』:橘玲 著、を通読した。巷の日本人論を、究極のグローバリズム(ユートピア思想)で(かっこ)にくくると、何が見える?

近代の三原則:自由/平等/同胞愛は、王権に対抗した自由市場と仲間というコミュニティ意識だったとのこと。この近代を、大衆の教育/大衆の消費により駆け抜けてきた日本が目指す先は、貴族的な権威フェチでは収まらない。また、ギリシャ市民のように発言し、軍人として都市国家を守る戦士でもないだろう。
イエやムラでの仲間意識、自然/地域という地縁など、同じコト/モノを分かち合う持続的な関係=愛の手がかりを、国内移民となって失いながら島国に止まりがちな日本人。資源と市場を求めて膨張した国民国家の好戦性にも嫌気がさし、権力者を嫌い、夫婦子どもが別居しての単身赴任も平気で、親類/家族をも解体する、個人単位の功利主義者人となってきた日本人。著者は、’日本人論の常識’を括弧にくくり、グローバル性をあぶりだす。
この日本人の個人単位の<私>中心主義社会での価値は、伝統的価値の対極としての自己表現価値である。イングルハートの価値マップでは、世俗ー合理的価値の高い国の中で、儒教圏の日本が、スウェーデン/ノルウェー/デンマークなどのヨーロッパ・プロテスタント圏の国に準じて自己表現価値が高い。自己表現価値の舞台は、通貨交換による商品・金融市場ではない。それは、生活舞台での自己表現価値なのだ。

グローバル化は、チンパンジーでもみられる人間の動物性という世界の共通項で、人種/言語/宗教を越えて進んでいる。
通貨を介した自由市場では、モノの対価ばかりではなく、希望や不安をも取り込んだ金融資本市場の膨張と収縮をくり返している。自由市場派とコミュニティ派の対立も、開くこと・閉じることの可能性とリスクの強調点の違い。自己表現を受け止める舞台づくりは、希少性に価値を置くモノ市場とはちがう生活舞台づくりとなるのだろう。

そのとき、グローバルな自己表現のコトバは、米語とか言語に限るのではなく、音や図象・画像・映像と、デジタル化されたメディアへと拡がる。国家は、制度のフレームとして、地域の固有性を極大化して世界市場価値を高める方向に動く。
ジャパン・クオリティという自己中心の限界の無い質の追求、日本語という表音・表意・図象の多次元メディア性など、日本市場を括弧にくくって、日本の伝統を解きほぐすことが、楽しみになってきた。


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