モノと心の独り言

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『会話を哲学する』を読んで、対話では無く、会話こそ社会を自己組織化しつづけるコミュニケーションだと

2022-10-21 04:24:14 | コミュニケーション-メディア

『会話を哲学する ーコミュニケーションとマニピュレーション』三木那由他/著

会話には、二重の機能がある。
 コミュニケーション 約束事づくり
 マニピュレーション 情況づくり

対話では、個人同士での約束事や情況がつくられてゆく。
本書では、コミュニケーションを情報のキャッチボール:伝達モデルとしての伝達・認知・認識・反応を繰り返しではなく、互いの約束事づくりの多様な側面を、コミックの中の台詞を分析して、洗い出してくれる。
その伝達の多重性、ズレが、次の対話と行動を催してゆく。
コミックの吹き出し、或いは背景説明のコトバは、描画・割り付けなどでの視線と動作で、意識的に表現されて、読み取られていく。
日本語の音韻表現力と描画表現とが、聴覚をも連動させる。

会話は、三人以上、サッカーのパス回しのような偶有性を生み出すモデルとなる。発話の対象は複数で、受け手応える人は変わり続けながらも、緩い約束事が更新されつづけてゆく。地域が閉じていれば、地域の道徳・倫理となり、認め合える意味が、地域の価値観となり、文化として、地域外から認められるようにもなる。

しかし、広域都市圏での生活は地域に閉じず、人とモノと情報が、ネット社会で分離して、言葉の意味がからみあえるのも、それぞれの分野のであり、地域性は薄れてしまった。 本書の分析も、自意識的なコミックの場での観察による。

今、近世を自我意識でこえた近代の手がかりである文字文化が、デジタルデータのマルチバースへと多層化してゆくとき、

恣意的なネット・マスメディアと、センシング・ネットワークによる環境・身体の感覚データが出会いつづけるのは、どこであろう? 

マス・ソーシャルメディアに浸かりながら、スマートグラスとスマートウォッチで、環境刺激と人工メディアに接続された人同士が、約束事を積み上げて、より緻密な差異を楽しみ会えるのは、どこだろう?

意味を生み続け価値を共有する人の住むところは、

それは、身体が関わり合い約束事を書き換え合えるグランドレベルの交通・通行結節点周り。土壌から身体が立ち上がり、自我意識の二階・デジタルデータが組み上がる屋上は、メタバース。 かって地下室の意識下を繋いでいた通底器も、センサーネットワークがつながり、

見掛け・声かけ・手間掛けを重ねる地域は、分断していた広域から、刺激の交差点である脳内データ整理の睡眠をとる、住まい周りでの、

約束事・情況づくりを重ねてゆく。

ユニバースは、DX化され、マルチ・バース化されるが、その会話のR(直近性)F(頻度)A(密度)が重ねられる、生活結節点周りに約束事が積み上がり、情況が共有される。

その偶有的な会話の積み重ね、個人の意味の偶発的な干渉が、差異を求め続ける人間社会を持続させる。

コミックでは、成功や成長との連動しなくても、身近な差異を楽しみ・補い続けることで、持続する生活を描き出す。

成長モデル・終末モデルからの逸脱は、始まっている。

社会を構成し続けるのは、コミュニケーション。それも、会話こそ社会の自己組織化の現場ではないかと。

 


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