日蓮聖人のご霊跡めぐり

日蓮聖人とそのお弟子さんが歩まれたご霊跡を、自分の足で少しずつ辿ってゆこうと思います。

真間山弘法寺(市川市真間)

2018-12-24 18:20:01 | 旅行
今年の初めに訪問した富士宮市の正林寺

まさに富士山を背負う素晴らしいシチュエーションのお寺には


六老僧・日頂上人の御廟がありました。


ここが日頂上人の御正廟であることを示す石碑の奉納者として刻まれていたのが「真間山弘法寺」でした。
日頂上人が開いたといわれる真間の弘法寺、今回訪問してきました!



最寄り駅は京成線の国府台です。



日蓮聖人の時代のずうっと前から、ここには下総国の国府が置かれていたそうですよ。



参道は小高い丘まで続いています。



昔、この界隈は川が海に流れ込む美しい入り江だったそうで、そんな場所に掛かっていた継橋は万葉集など多くの歌人に歌われたそうです。



なので道沿いには名歌がたくさん掲示されています。



ひとつ道を折れると手児奈(てごな)霊神堂があります。
その昔、真間に手児奈という美しく心優しい娘がいたそうです。男達は手児奈をめとりたいと争いを始めました。
この有様を知った手児奈は、私の為に争わないでと、河口に身を投げてしまったといいます。


手児奈は真間の人々に手篤く葬られました。と同時に手児奈の悲話は語り継がれ、やがて女性の守り神として信仰の対象になったそうです。


お賽銭を入れ、鰐口を鳴らして・・・


二拝二拍手一拝しちゃいそうになりますが、こちらはお題目を唱えるそうです!



さあ、階段を上って弘法寺の境内に行こう。


階段の27段目の石だけは丸みがあり、湿っているように見えます。この石が「涙石」だそうです。
もともと東照宮造営の為、伊豆から江戸川経由で日光まで船で運ぶはずだった石ですが、運搬途中、この近くで船が全く動かなくなってしまったそうです。作業の責任者・鈴木長頼は弘法寺にご縁がある石だと感じ、この石を弘法寺の階段に使ってしまいました。長頼は弘法寺の石段の上で切腹して幕府からの問責に応えたそうです。
以来、この石だけは長頼の涙の為でしょうか、常に濡れているのだといいます。



階段の上から後ろを振り返ると、木々の向こうに高層ビル。
弘法寺の境内が都会に残された深い杜になっていることがよくわかります。



立派な朱塗りの仁王門です。


阿行と


吽形。
境内をお護りしています。


扁額には山号「真間山」の文字。
よ~く見ると「真」の文字の下の点々が鳥になってるぞ~!



鐘楼です。


四方が閉鎖されているけど、どうやって鐘を打つんだろう?


隙間から覗くと、内部に綱が下りていました。中で打つんですね!



見事な枝ぶりのしだれ桜!
春はどんなに美しいことでしょう。



歴代お上人の御廟を参拝。
縁起によると、このお寺の歴史はとても古く、奈良時代に行基菩薩が真間の地に立ち寄られた際、先程の手児奈のお話に心を傷め、「求法寺(ぐほうじ)」という名のお堂を建て、霊を手篤く弔われたそうです。
その後、弘法大師により真言宗の「弘法寺」に、さらに天台宗寺院へと変わっていったようです。


日蓮聖人が既に身延に入山されていた1275年、弘法寺の住持・了性法印と富木常忍公との間で法論が起こりました。
以前に日蓮聖人がこの地で布教されたことが伏線となってたのかもしれません。
当然、この法論については日蓮聖人にも報告されていたようです。


そこで日蓮聖人は法論の場に日頂上人を臨ませ、見事に法論に勝利しました。
富木常忍公は自分の子でもある日頂上人を、法華道場としての弘法寺の初代貫主にしたそうです。
なので開基は伊予阿闍梨日頂上人、二祖はのちに出家して日常上人となる富木常忍公となっています。



1323年には富木常忍公とも関係の深い千葉胤貞公(地元の有力武将)から寺領地の寄進を受け、また1591年には徳川家康公から御朱印状を賜り、弘法寺は発展してきました。



正面には8年前に建立された祖師堂があります。
宗祖日蓮聖人、開基日頂上人、二祖日常上人をお祀りしているそうです。


桔梗の紋が掲げられています。
富木常忍公が関係するお寺ならではですね!



こちらが本殿だそうです。
「真間の釈迦仏」として有名な、宗門でも最古の木像をお祀りしています。
お像の供養の方法についてのお祖師様のご遺文もあるようで、富木常忍公の発願、日頂上人の開眼によるお像だということが伝えられています。



ご首題をお願いしている間に見た、壁に掛けられた版画。
真間の丘からの秋の風景でしょう。風情のある場所だったのでしょうね!



境内の西側には赤門があります。



こちらは大黒様のお堂です。


日蓮聖人御親刻の、宝剣を奉持した大黒様がお祀りされているようです。
お祖師様が比叡山で修行なさっていた時に感受された大黒様のお姿を刻まれたお像で、真間山が法華の道場としてスタートする際、日頂上人にお授けになったといいます。


縁日は甲子(きのえね)の日に開かれるそうです。
甲も子も干支の一番最初にあたるので縁起が良く、気が栄える日だといわれています。



いちばん西の奥には「真間道場」。
いろんな会合に使われている場所だと思われますが、


特に気になったのは毎月開かれている壇信徒の勉強会。
日頂上人の700遠忌の年から始まったようです。


ご遺文の講義なんかをやっているそうです。レベル高いな~!


そうそう、先日参拝した磐田の玄妙寺にも「真間」の文字があったな~。

日蓮聖人のご遺文に衝撃を受け、66才で改宗した日什上人が羽黒山を下り入門したのが真間の弘法寺でした。
当時の帰伏状も残っているそうですよ!
ここで日蓮聖人が遺された多くの御書を読み、教学を深めていったそうです。



昔も今も、日蓮聖人の教えを学び、広める拠点になっている真間のお寺。
「弘法寺」ってピッタリの名前ですね!