1272年4月7日、日蓮聖人の身柄は塚原から一ノ谷に移されました。
常時御草庵に拘留されていたわけではなく、近所へ足を伸ばしておられた跡が見られます。
この点は、塚原三昧堂の頃と大きく違うと思われます。
御草庵跡のある妙照寺からほど近い場所に、日蓮聖人が朝日に向かって拝んだ丘のご霊跡があります。
実相寺です。
境内は奥に深く、参道の途中には先人の思いが詰まった古い法塔などがあります。
仁王門が見えて来ました。
妙照寺本堂もそうでしたが、佐渡には茅葺きの堂宇がごく自然にあります。
扁額には山号の「御松山」。
松にまつわる逸話がありそうですね~。
あ!ここにもウサギの彫刻!
仁王門をくぐると、一気に鎌倉時代にタイムスリップするような感覚です。
佐渡のお寺は、小川にかかる橋を渡って向こう側に行く造りが目立ちます。意味がありそうですね。
身延の御廟や池上本門寺の「霊山橋」に似ていますね。
8月も中旬を過ぎたのに、まだ紫陽花が咲いています。
山門が見えてきました。
山門横にある大木は、三光の杉といわれ、佐渡市指定の天然記念物だそうです。
新潟県のホームページに興味深いことが書いてありました。「三光の杉」の名前は、この杉にサンコウチョウ(三光鳥)がしばしば訪れていたことに由来するそうです。「ツキヒーホシ、ホイホイホイ」という鳴き声で鳴くことから、「月・日・星」のサンコウチョウ(三光鳥)と名付けられたといいます。
まさに三光天子を篤く信仰する日蓮聖人につながりますね~!
山門をくぐると正面に重厚な本堂があります。
その隣には、これまた茅葺き屋根の祖師堂です。
境内には松が多いのがわかると思います。
お檀家さんと思われるご夫婦が、境内の草刈りや剪定をしていましたよ。ご苦労様です。
その中に玉垣に囲まれた松がありました。日蓮聖人袈裟懸けの松です。
その太さからいって、もう何代目かなのでしょう。杉や公孫樹は時々鎌倉時代からの現役を見かけますが、松は寿命が短いんですね。
江戸初期の絵師・狩野探幽の絵が、石碑になっていました。
この場所であった逸話を描いているようです。
お寺の縁起によると、「三光の杉と袈裟懸けの松の間に停ち、梵天・帝釈・日月・四天に帰倉(鎌倉へ帰ること)を念誦されるや、白頭のカラス飛来す」とありました。絵の中にカラスは見当たりませんが・・・念誦中のお祖師様を描いているのですね!
祖師堂の隣に妙見堂があります。三光天子と関係の深いご霊跡なんですね。
ちなみに佐渡の北側を走る大佐渡山地には妙見山という名の山があり、頂上の祠はこの妙見堂の奥ノ院になるそうです。
いろんなことがことごとくリンクするんですね。深い・・・。
歴代お上人の御廟に参拝。
大切なご霊跡を維持してきて下さったことに感謝です。
歴代御廟の隣の、高い台座の上に日蓮聖人のご尊像が建っていました。
「望郷思親の祖師像」です。
この場所は小高い丘になっており、日蓮聖人の故郷にどことなく似ているそうです。
日蓮聖人は一ノ谷の御草庵から、時々この丘にやって来て、東から昇る旭日を拝み、遠い故郷や亡きご両親を偲ばれたといいます。
知れば知るほど奥が深いですね~!当時の佐渡の方々が驚き、畏敬し、どんどん帰依者が増えていったのも理解できます。
白頭のカラスが飛んできたってことは、日朗上人がご赦免状を持って佐渡にやって来る日も近いのかな?
・・・いやいや、そこがまた、なかなか一筋縄ではいかなかったそうなんですよ・・・
常時御草庵に拘留されていたわけではなく、近所へ足を伸ばしておられた跡が見られます。
この点は、塚原三昧堂の頃と大きく違うと思われます。
御草庵跡のある妙照寺からほど近い場所に、日蓮聖人が朝日に向かって拝んだ丘のご霊跡があります。
実相寺です。
境内は奥に深く、参道の途中には先人の思いが詰まった古い法塔などがあります。
仁王門が見えて来ました。
妙照寺本堂もそうでしたが、佐渡には茅葺きの堂宇がごく自然にあります。
扁額には山号の「御松山」。
松にまつわる逸話がありそうですね~。
あ!ここにもウサギの彫刻!
仁王門をくぐると、一気に鎌倉時代にタイムスリップするような感覚です。
佐渡のお寺は、小川にかかる橋を渡って向こう側に行く造りが目立ちます。意味がありそうですね。
身延の御廟や池上本門寺の「霊山橋」に似ていますね。
8月も中旬を過ぎたのに、まだ紫陽花が咲いています。
山門が見えてきました。
山門横にある大木は、三光の杉といわれ、佐渡市指定の天然記念物だそうです。
新潟県のホームページに興味深いことが書いてありました。「三光の杉」の名前は、この杉にサンコウチョウ(三光鳥)がしばしば訪れていたことに由来するそうです。「ツキヒーホシ、ホイホイホイ」という鳴き声で鳴くことから、「月・日・星」のサンコウチョウ(三光鳥)と名付けられたといいます。
まさに三光天子を篤く信仰する日蓮聖人につながりますね~!
山門をくぐると正面に重厚な本堂があります。
その隣には、これまた茅葺き屋根の祖師堂です。
境内には松が多いのがわかると思います。
お檀家さんと思われるご夫婦が、境内の草刈りや剪定をしていましたよ。ご苦労様です。
その中に玉垣に囲まれた松がありました。日蓮聖人袈裟懸けの松です。
その太さからいって、もう何代目かなのでしょう。杉や公孫樹は時々鎌倉時代からの現役を見かけますが、松は寿命が短いんですね。
江戸初期の絵師・狩野探幽の絵が、石碑になっていました。
この場所であった逸話を描いているようです。
お寺の縁起によると、「三光の杉と袈裟懸けの松の間に停ち、梵天・帝釈・日月・四天に帰倉(鎌倉へ帰ること)を念誦されるや、白頭のカラス飛来す」とありました。絵の中にカラスは見当たりませんが・・・念誦中のお祖師様を描いているのですね!
祖師堂の隣に妙見堂があります。三光天子と関係の深いご霊跡なんですね。
ちなみに佐渡の北側を走る大佐渡山地には妙見山という名の山があり、頂上の祠はこの妙見堂の奥ノ院になるそうです。
いろんなことがことごとくリンクするんですね。深い・・・。
歴代お上人の御廟に参拝。
大切なご霊跡を維持してきて下さったことに感謝です。
歴代御廟の隣の、高い台座の上に日蓮聖人のご尊像が建っていました。
「望郷思親の祖師像」です。
この場所は小高い丘になっており、日蓮聖人の故郷にどことなく似ているそうです。
日蓮聖人は一ノ谷の御草庵から、時々この丘にやって来て、東から昇る旭日を拝み、遠い故郷や亡きご両親を偲ばれたといいます。
知れば知るほど奥が深いですね~!当時の佐渡の方々が驚き、畏敬し、どんどん帰依者が増えていったのも理解できます。
白頭のカラスが飛んできたってことは、日朗上人がご赦免状を持って佐渡にやって来る日も近いのかな?
・・・いやいや、そこがまた、なかなか一筋縄ではいかなかったそうなんですよ・・・