日蓮聖人のご霊跡めぐり

日蓮聖人とそのお弟子さんが歩まれたご霊跡を、自分の足で少しずつ辿ってゆこうと思います。

海上山佛光寺(伊東市和田)

2017-05-30 22:27:59 | 旅行
伊東の地頭・八郎左衛門尉祐光(すけみつ)公から「日蓮は大罪人だから匿ったり庇ったりしてはならん」との布告が出ていたため、1ヶ月以上も川奈の岩窟に身を隠さなければならなかった日蓮聖人
この状況からどうやって立場を回復していったかが、本当に疑問でした。


・・・キーマンは布告をした張本人・八郎左衛門尉祐光公のようです。
伊東朝高(八郎左衛門尉祐光)公の邸があった場所に、日蓮宗のお寺があります。


いろいろな逸話がありそうなお寺です。


海上山佛光寺です。
日蓮聖人が川奈のお岩屋に匿われていたまさにその頃、伊東朝高(八郎左衛門尉祐光)公は原因不明の熱病にかかり、苦しんでいました。
信仰していた念仏による祈祷の効果もなく、医者の治療も及ばないほどの大病だったそうです。


もう打つ手がなく困り果て、法華経でさえ効くならば、と、家臣が日蓮聖人の所在を探し当て、祈祷を依頼しました。
邸に連れてこられた日蓮聖人が枕元で祈祷すると、数日で大病が治癒したそうです。



喜んだ伊東朝高(八郎左衛門尉祐光)公は、お礼に日蓮聖人に釈迦如来立像を差し上げました。
この立像は伊東の海で地引き網に掛かって引き上げられたもので、伊東家の家宝だったものでした。
日蓮聖人はこの立像を生涯肌身離さず持ち続けました。

おそらく同じ大きさの釈迦如来立像が、境内の六角釈迦堂に安置されていましたよ。


このブログの資料としてフル活用させて頂いている「高祖日蓮大菩薩御涅槃拝図」(大坊・本行寺で購入)にも立像が描かれています。
ご入滅された日蓮聖人のいちばん近くに、置かれています。
実物は現在、京都の本圀寺に格護されているようです。大切な、大切な宗宝ですね!


佛光寺の歴代お上人の御廟に参拝させて頂きました。
開祖が自邸を仏光寺にした日預上人(伊東朝高=八郎左衛門尉祐光)、二祖が日朗上人のお弟子さんで九老僧の日印上人です。


人なつこい寺犬~!!
段ボール箱がめちゃめちゃ居心地よさそう。


今週の講中~!
「甲子講」「十二夜講」「立正講」の方々~!!!


日蓮聖人の監視役だった地頭の大病を治しちゃいましたね~!
何か、ここから少しずつ、形勢が変わってゆくような気がします!!


佛光寺前の通りは
「毘沙門天通り」
次の展開につながるキーワードなんです!
次号を待て!!

舩守山蓮慶寺(伊東市川奈)

2017-05-27 22:15:10 | 旅行
鎌倉幕府から危険人物として伊豆配流を言い渡され、あろうことか陸地ではない伊東の俎岩(まないたいわ)に置き去りにされた日蓮聖人。



川奈の漁師・弥三郎さんは、俎岩に置き去りにされた日蓮聖人を自分の船に乗せ、助けました。


そして危険を顧みず、日蓮聖人を岩屋の奥に30日余りも匿い、夫婦で給仕しました。

これらの彫刻は、弥三郎夫婦の家の跡に建てられた蓮慶寺の本堂にあります。
見事ですよね~!


お岩屋から坂道を登ること7~8分、川奈の港を囲む山の中腹に、蓮慶寺はあります。


本堂です。
何といっても左右に立てられたのぼりが印象的です。
「東京舩守会」が寄贈されたようです。
あるんですね!舩守会。


山号はそのまま「舩守山」です。


日蓮聖人像がありました。


わ~!お若い頃のご尊像でしょうね。


清澄・旭ケ森にあるご尊像の分身、と刻まれていました。
てことは4月28日の立教開宗の第一声をあげられた時のお姿ですよね。
調べてみると日蓮聖人31才のお姿になります。


福島さんという方が、旭ケ森のご尊像を殊のほか尊び、ご自身の喜寿に際して発願されたそうです。
日蓮聖人像は各地にありますが、それぞれに個性があります。
いろんなご霊跡を巡っていると、自分にしっくりくるご尊像が必ずあります。
ご霊跡を再び訪れるきっかけになれば良いと思います。


境内はほぼ斜面です。
どこからでもお岩屋の方面を望むことができます。


斜面のいちばん上に、龍王様がお祀りされています。
ご霊跡を守って下さっているようです。



舩守弥三郎夫妻の墓所です。
中央が弥三郎夫妻の墓石、そして左右にあるのがこのお寺を開いた五世代後の子孫・蓮慶上人夫妻の墓石です。


日蓮聖人から弥三郎さんは「清信」、奥様は「妙清」の法号を頂いたそうですよ!


歴代お上人の御廟を参拝。
日蓮聖人のほか、六老僧の一人・日興上人と、そのお弟子さんの日目上人の名前が刻まれていました。
開山を日蓮聖人と仰ぎ、二祖が日興上人、三祖が日目上人ということでよろしいでしょうか。


最後に本堂横にある小さなお堂「舩守堂」をお参りしました。
このお寺を守護して下さっている善神・舩守龍神様をお祀りしているそうです。
海上従事の人、水を使う仕事をする人にご利益があるそうです。
僕も30年近く、趣味でサーフィンをしてます。これから先も、楽しく波乗りできるよう、お参りさせて頂きました。


さて、心優しい漁師夫婦にお岩屋で匿われ、何とか命をつなぐことはできた日蓮聖人。
監視が厳しいこの伊東の地で、この後どうやって立場を回復してゆくのでしょうか?

次回を請うご期待~!

川奈のお岩屋(伊東市川奈)

2017-05-21 09:59:17 | 旅行
満潮時には海中に没する俎岩(まないたいわ)に置き去りにされてしまった日蓮聖人を、たまたま漁の帰りで通り合わせた地元の漁師・弥三郎さんが助けました。


弥三郎さんがひと月もの間、日蓮聖人を匿い、給仕したという岩屋が川奈にあるというので、訪問しました。



ゴルフ場で有名な川奈ですが、岩屋に通じる道はご覧の通りの「ザ・路地」!


港のすぐ近くにありました。

この岩屋の前にお堂が設けられており、蓮慶寺の祖師堂となっています。
蓮慶寺からは路地を下ること5分、てとこでしょうか?


この法塔によると昭和50年に祖師堂は改築されたそうです。
川奈の篤い信者さん達が維持されているようです。


祖師堂の裏側に山を背負っているのがわかります。
その昔は漁具を保管しておく倉庫として、地元の漁師が利用していた岩屋だったそうですよ。


岩屋と祖師堂がつながっている場所に、黒い題目法塔がありました。
四箇格言が刻まれていました。
法難なんかに屈しないぞ!という日蓮聖人の強い意志を汲んでいるようです。


日蓮聖人を助けた弥三郎さんは、川奈の自宅に案内しようとしました。
しかし地頭から「日蓮は大罪人だから匿ったり庇ったりしてはならん」との布告が出ており、詮索も厳しいため、この岩屋の奥に匿ったのです。

匿った事がばれたら、それこそ弥三郎夫婦も同罪になってしまうのに。


妻が日蓮聖人に食べ物を供養し、弥三郎さんが周りを警戒している姿が描かれている絵がありました。この岩屋の存在を象徴している一枚だと思います。

弥三郎夫婦が危険を顧みず日蓮聖人を匿った理由が書かれていました。
「大聖人のお姿があまりに尊く、またいくつかの深い宿縁を感じ」たからだそうです。


見ず知らずの、それも「札付きの罪人」扱いされていた一人のお坊さんの、肩書きとか身なりで判断せずに、見えないもの、内面を見抜いた弥三郎夫婦。
それこそ「実相」(まことのすがた)を感じることができる人に助けられた、不思議な縁だと思います。


弥三郎夫婦は30日あまりにわたってこの岩屋で日蓮聖人をお世話した、ということです。
日蓮聖人はのちに弥三郎夫婦に「船守」の姓を与えられたそうです。
なので、宗門では現在も「船守弥三郎夫婦」と呼ばれています。


それでは、船守弥三郎夫婦のお墓がある蓮慶寺さんに行ってみましょう。
急坂を登らなきゃいけないんだよな・・・憂鬱(笑)

俎岩山蓮着寺(伊東市富戸)

2017-05-15 20:27:42 | 旅行
3年前に亡くなった僕の伯父は、伊東で暮らしていました。
最盛期の伊東の、温泉旅館の板前として働いていました。
とても温厚で、怒った顔を見たことがない、そんな伯父でした。

伯父の命日が5月。
・・・5月ってことは日蓮聖人の伊豆法難会のある月ですよね!
ってことでお墓参りがてら行きましょうか!伊東!


小田原・酒匂川河口から伊豆方面を望む
当日は快晴でしたが、黄砂の影響でいつもはハッキリ見える伊豆半島が見えません。


日蓮聖人・伊豆法難の地である伊東
まず最初に訪れたのが富戸の海沿い
大きな松がいい雰囲気を出しています。


周辺は「伊豆海洋公園」といってダイビングの人気スポットです。


伊豆法難のご霊跡に建てられた蓮着寺は、ここにあります。
蓮着寺は法華宗のお寺です。


このお寺の境内にあるヤマモモの木が、それはそれは巨大で枝ぶりも見事!
国指定天然記念物になっているそうです。


日蓮聖人像に合掌。


小舟で流され相模湾の波しぶきを浴びたからでしょうか、表情も厳しいように思います。
無駄な肉が削げ、とても精悍な日蓮聖人です。


大きい松がニョキニョキ!!
「袈裟懸けの松」がこの辺りにあったそうです。この松は二代目。
初代は昭和初期にあった山火事が原因で、枯れてしまったそうです。


これまでに、鎌倉・稲村ヶ崎、東京・洗足池で、それぞれ袈裟懸けの松を見てきましたが、蓮着寺の松は、日蓮聖人が潮に濡れた袈裟を掛けたという逸話があるそうですよ。


アロエが群生しています。南国ムードの境内です!


祖師堂です。
海岸から100mくらいしか離れていないと思います。
潮で傷まないのかな・・・メンテナンスが大変そうですね。


海岸線に手が加えられていないので、とても素朴な風景。
懐かしい、昔の海です。


この境内で木の名所3カ所目!!
石喰いのもちの木です。
成長してゆく過程で石を木の中に取りこんでしまったようです。


やってきました!
俎岩(まないたいわ)です。
松葉ケ谷の草庵を焼き討ちにし、日蓮聖人を鎌倉から追放できたと思っていた念仏衆は、まさか1年後に鎌倉で日蓮聖人が辻説法しているとは思いもしませんでした。
驚いた念仏衆は鎌倉幕府に訴状を出しました。


この訴状に基づき、幕府は日蓮聖人を危険人物として逮捕、伊豆流刑にしてしまったのです。
上の画像は伊豆に流罪にした際に用いた船の1/6模型(鎌倉・妙長寺の境内)です。


鎌倉の材木座を出航した小舟は、荒れる相模湾を南西に進み、伊東に近くなりました。
ところが送り届け係の役人が船酔いしてしまい、日蓮聖人をある岩に置き去りにしたそうです。
「ここから伊東まで歩いてゆけ!」と。



それがこの俎岩です。
潮が満ちると海中に沈んでしまうそうです。
歩いてなんか行けませんよね~!

日蓮聖人はこの岩の上で泰然と読経をしていたところを、地元の漁師・弥三郎さんに助けられました。


伊豆法難の上陸地点である俎岩があった場所に、のちにこの地方の代官・今村若狭守公が広大な土地を寄進し、祖師堂を建立したのが蓮着寺のはじまりだそうです。


罪人の汚名を着せられて流された、土地勘もなく知り合いもいない伊豆の海岸・・・
このあと日蓮聖人は伊東の地でどうやって生きてゆくのでしょう?
何か連続ドラマを見ているような気分です。

あ~、次回が気になる~!!!

鵞目山本光寺(富士宮市黒田)

2017-05-10 11:11:21 | 旅行
身延への道も少しずつ辿っていまして・・・


文永11(1274)年5月12日にお泊りになった小田原・酒匂の法船寺


5月13日にお立ち寄りになった小田原・風祭の象ケ鼻


5月13日にお泊りになった足柄・竹之下の常唱院


5月14日にお泊りになった裾野・深良の車返し
日蓮聖人はそれぞれの地で逸話を残され、信仰の拠点を作り、それが743年後の今日まで引き継がれています。


今回訪問させて頂いたのは5月15日にお泊りになった富士宮のご霊跡です。
富士宮市には日蓮宗の寺院がたくさんあり、信仰の篤い地域というのがわかります。
道路脇には石仏とか


法塔がよく見られます。


この辺りは
「黒田」という地名なんですね!


本光寺の石柱がありますね~!


古そうな法塔も!
台座の彫刻がキレイ!


本光寺です。
全体的にグレーがベースの、なかなか渋い外観!


山門です。
屋根の部分がとっても立派!


日蓮聖人がご宿泊された地で間違いなさそうです。


山号は「鵞目山」(がもくさん)です。

「鵞目」ってなに??
調べてみたら、貨幣(お金)のようです。
ほら、昔の貨幣って真ん中に穴が開いていて(今の5円、50円もそうだけど)鳥の目に似てるでしょ?そこからお金の別称として「鵞目」という単語が昔は使われていたようです。


5月15日の夕方になっても宿が見つからず難儀していたところ、この地に住む遠藤左衛門夫妻が日蓮聖人に柏餅や麦酒を供養し、さらに「鵞目」(お布施ですよね!)も差し上げたのが、山号の由来のようです。
その時点では恐らく、日蓮聖人だとは知らず、宿に困っているお坊さんを助けようとしたのだと思います。

今でも5月15日には柏談義会という法要を行い、柏餅を供養しているそうです!


本堂です。
存在感のある、重厚な印象です。


日蓮聖人像に手を合わせました。
まだ新しそうな銅像です。


一昨年建てられたんだ~!
建立おめでとうございます!!


数々の辛苦を乗り越えた上での、年輪みたいな雰囲気が良く出ている銅像です。
拝んでいて落ち着きます。


境内にイチョウの木があります。(もう数代目なのでしょう)
「本光寺の公孫樹」と書かれていました。
日蓮聖人はこの公孫樹の下で休憩していた時に遠藤左衛門夫妻と出会ったようです。
結縁の公孫樹ですね!


お、これは僕好みの方形屋根!


扁額には「出乳霊場」!出乳は「すいにゅう」と読むようです。
遠藤左衛門夫妻と話をするうち、奥様の乳の出が悪く困っているというのを聞いた日蓮聖人は、妙符を与えご祈祷されたところ、たちまち乳が出るようになったそうです。
喜んだ遠藤左衛門夫妻は、その晩日蓮聖人を自宅にお泊めしたそうですよ。
ちなみに妙符は、飲むお札のことだと思います。護符、みたいなものでしょう。


のちに遠藤左衛門夫妻の子が日蓮聖人のお弟子になり、本光院日静という法名を頂いたそうです。
この方がお寺を建立し、本光寺になったようです。

産前産後のお母さん達がお参りに来たらご利益ありそうですよね!


このお寺の紋、イチョウの葉をモチーフにしているんですね!


この日はどんよりとした曇り空で、富士山は見えなかったんですが、こんな法話が掲示されてましたよ!
「富士山は常に天に向かって合掌している姿なのです。世の中の安穏を祈っているのです。」
僕が住む湘南からも、房総からも、身延の奥の院なんかからも富士山が見えますよね。ましてやこの富士宮に住む方々にとっては圧倒的な存在でしょう。

天に合掌している姿、そういう理解もあるんだと思いました。

遠藤左衛門夫妻の時代も、現在も、この地の信仰の篤さの根底には、富士山の存在があるのだと確信しました。

楞厳山妙法寺(鎌倉市大町) 

2017-05-07 20:50:16 | 旅行
鎌倉・松葉ケ谷。
日蓮聖人の鎌倉での布教の拠点であり、立正安国論起草の場であり、そして数々の法難の現場となった地です。


これまで石井山長勝寺、妙法華経山安国論寺を参詣させて頂きましたが、松葉ケ谷にはもう1ケ寺あり、どうしても参詣したく伺ってきました!


松葉ケ谷の四つ辻に、日蓮聖人のご草庵があったことを示す石柱があります。
「京都本圀寺舊地 鎌倉三箇之本山」
長勝寺の石碑にも似たような事が刻まれていましたが、いずれにせよ、もともと松葉ケ谷に本圀寺法華堂があり、のちに京都に移したようです。


妙法寺の遠景です。
三方を山に囲まれており、「山懐に抱かれた」という言葉が似合いそうな古刹です。
当日は、総門前の古木を切り出す作業をしており、総門の画像はありません。



受付で拝観料をお支払いすると、お線香に火をつけて下さいました。
僕は個人的にこのシステムに賛成です!よく考えられていると思います。
まずご本尊に手を合わせるという流れに、ごく自然になりますもんね!


本堂です。
重厚ですね~!肥後の殿様・細川斉茲公が寄進したそうですよ。


山号は「楞厳山」(りょうごんさん)です。
第五世の日叡上人の幼名が、山号の由来だそうです。


蓮が栽培されてました。
日蓮宗の実に多くのお寺で、このように蓮の水鉢を見ることができます。


大覚殿です。
法華経の篤信者だった加藤清正公の像が安置されているそうです。
この建物も、細川氏の寄進によるそうです。細川家とのご縁が深いお寺なんですね!


講中発見!
外神田講中~


仁王門です。
朱に塗られています。徳川11代将軍家斉公がよく妙法寺に参拝に来られていたからだそうです。東大の赤門や、増上寺の三門なんかも朱塗りですよね!


仁王門越しに見た苔石段です。
人工物と自然がものすごくいい感じで融合すると、こういう景色になるんでしょうね・・・



法華堂です。
厄除けのお祖師様が祀られているそうです。
日叡上人が作られた像だそうです。昔の高僧たちは彫刻の腕も一流だったのですね!


ご草庵跡です。
安国論寺境内にあった初めのご草庵で立正安国論を起草され、のちに焼き討ちに遭いましたが、翌年鎌倉に戻られた日蓮聖人は、ここに第二のご草庵を開いたのかもしれません。


日叡上人のお父様、護良(もりよし)親王のお墓があるようです。行ってみましょう。


護良親王は後醍醐天皇の息子さんです。武芸に長け、後醍醐天皇による鎌倉倒幕の立役者の一人と言われています。
隠岐に流されていた後醍醐天皇が復権し、日像上人が苦労して京都に開いた妙顕寺は、綸旨を賜り勅願寺になったのです。


ともに倒幕に努めた足利尊氏公とはソリが合わず、護良親王は鎌倉に幽閉されたのち、殺害されてしまったそうです。


妙法寺を囲む山の尾根伝いには、
南之方(日叡上人の母君)のお墓


日叡上人のお墓
などがありました。素晴らしい景色が眺められる場所に、篤く弔われていましたよ。


あ~、来てよかった!心のデトックスができたような気がします。

印象としては、この境内が一つのお仏壇になっているような感じがしました。
三方をお山に囲まれており、ご本尊があって、お位牌があって、お花が供されていて、いつも清められていて・・・
ここでお勤めしたら気持ちいいだろうな。

それもこれも、妙法寺とそのお檀家さんが、お祖師様のご霊跡である広大な寺域(そのうえ急峻なお山を背負っている)を、ほんとうに大切に維持して下さっているからなのだというのが、よ~くわかります。

ありがとうございます。また参詣に来ます!

岩本山実相寺(富士市岩本)

2017-05-01 22:48:48 | 旅行
日蓮聖人が鎌倉で懸命に辻説法をしていたその時代は、大災害が立て続けに起こっていました。更に正嘉元(1257)年の大地震が世情の不安に追い打ちをかけました。

誤った仏法が世の中に広まったからではないか?

じゃあ何が間違いで、何が正しい仏法なのか?


この答えを経文から見つけ、実証するために日蓮聖人は岩本・実相寺の経蔵に籠ることにしました。
実相寺を訪問しました!


富士川の堤防から岩本山方面を望みます。


ご近所にはお茶の専門店や製茶業者があります。
「富士茶」の産地です。
とても香りのよいお茶に仕上がるそうですよ。


名刹の割には観光地化されていません。
タイムスリップした気分です!


山門です。
ここから神聖な境内に入ってゆきます。


「安国道場」でいいのかな?達筆すぎて・・・


霊跡本山なんですね!
日蓮宗ポータルサイトによると現在、霊跡本山は14ケ寺あります。
ここ岩本実相寺は昭和46年に霊跡本山に昇格したそうです。


立派な題目法塔!


造立主が個人名になってました!すげぇ!


「閲大蔵経」「著安国論」道場!!


由緒がありました。
もともと実相寺は鳥羽法皇が比叡山の偉いお上人に命じて作った、天台密教の勅願寺でした。日蓮聖人が生まれる80年近く前にはお寺があったようです。


天台宗・三井寺の円珍上人が平安時代に唐から持ち帰ってきた一切経が2蔵ありました。
ひとつは三井寺に、もうひとつは岩本実相寺の経蔵に納められていたのです!
仏教を学ぶ人々にとっては、国立国会図書館みたいな場所だったのでしょうね~


楼門です。
左右に立派な仁王像が安置されています。
この仁王像の頭部からは、お題目をひらがなで400回記した紙が発見されたそうです。


かつて境内にあったと思われるお寺の名が刻まれた法塔がありました。
「真乗院」
日持上人が開基のお寺のようです。


「常在院」
日興上人旧地とありました。


実相寺の境内図を見ると、総門近くに真乗院跡も常在院跡もありますね~。


岩本実相寺は岩本山の南斜面に境内が広がっているのがよくわかります。
山頂近くに七面堂があり(七面山みたいですね!)、一切経蔵は中腹にあるようです。
登山になりそうだ(笑)


妙法堂です。
天狗の兄弟を祀っているらしく、石下駄がありました!
怪我や病気の平癒、安産などのご利益があるそうです。


日蓮聖人像に合掌。
ちょっと厳しいお顔をしていますね~!誤った仏法を正している時の表情でしょうか?


多くの日蓮聖人像を見るうちに、チェックするポイントもマニアックになってきました。

最近は右手をよく見ます。指先までパワーが漲っています。
この手だけでも、緊張します。


本堂です。
クリーム色がベースの珍しい配色です!
富士川堤防からこの大きい屋根がよく見えましたよ~


祖師堂です。
方形屋根がいい感じ!


見事な彫刻に見惚れていると・・・


これ、わかりますか?セミの抜け殻が残っていました!!
柱や壁からも遠く離れた場所なのに、よく登ってきたな~お前!!
素直に感動しました~


祖師堂の奥に歴代お上人の御廟がありました。


ひときわ目立つ墓石は
この岩本実相寺を天台宗から日蓮宗に転宗させた日源上人です。
日源上人自身も元々天台宗の僧侶で、岩本実相寺の学頭をしていました。日蓮聖人とは横川(比叡山)以来の学友で、一切経を読みに訪れた日蓮聖人の講義を聞き、帰依したそうです。


高座石がありました。
特に由緒などはありませんでしたが、恐らく、日蓮聖人がこの上で他のお坊さんにお説法をした石なのでしょう。
また、経蔵での研究にお疲れになった時にはお掛けになった石なんじゃないかな…


なぜならこの石のすぐ上には・・・
一切経蔵があるのです!


説明がありました。
一切経って、何百巻あるんだろう?って思ってましたが、驚きました!
6174巻もあるんですって!!!!
お釈迦様の生涯の教えが全部書かれているそうなんで、そりゃ~多いでしょうが・・・想像を超えてましたね~


日蓮聖人は約2年間、経蔵に籠って続発する天変地異の理由を経文に求めました。
現在も貴重な一切経が納められているそうです。
セコムさん警備頼みますね!


一切経蔵のすぐ近く、祖師堂の裏側でちょっとわかりにくい場所ですが、井戸がありました。
日朗上人米とぎ井戸だそうです。
日蓮聖人が経蔵に籠ったといっても、やはりお腹はすきます。ましてや脳をフル回転させると身体が糖分を欲しがりますよね!
今の中学生くらいの若い日朗上人は、この井戸でお米をといで、ご飯を炊いたと思われます。


まだまだ上り坂は続きます。
天神堂です。学問の神様なのかな?


やっぱり!絵馬が沢山掛かってました。ご利益あったかな?


徐々に建物が少なくなり・・・


ハイキングコースっぽくなってまいりました!


七面堂がありました~!


法華経を守護して下さる神様、七面大明神をお祀りしていると思われます。


七面堂にある掲示板に、法話が貼ってありました。
「実相」という漢字に「まことのすがた」というふりがなが付いていました。
僕は毎朝のおつとめの際、方便品第二も読むのですが、いわゆる十如是の直前に「唯物与仏 乃能究尽 諸法実相・・・」とあり、馴染みのある二文字です。


あらゆる物事の実相=「まことのすがた」というのは、全て因があり、縁にふれて結果に至る・・・。
何かわかるようでわからないのが僕の実相です(笑)


ただ、昨今のメディアが発信する膨大な情報や、外見・肩書きなど、目に見えるものに惑わされず、可能な限り物事の「まことのすがた」を知るように努める人でありたいと、今回改めて思いました。
実相寺を訪問した意味でしょう。



岩本山の山頂は公園になっていました。


展望台からの景色は超ど級!!!
富士川が海に注いでいるのまで見えます!


さあ、下山しましょう!

ときどきハッとするような風景があります。


黄緑色の桜ですよ!キレイですね~


身延山にもある遅咲きの「御衣黄桜」です。


最後に御主題を頂きました。
どら焼きも頂いちゃいました!!


ここ岩本実相寺で一切経を閲読し、日本救済の唯一の方法を確信した日蓮聖人は、先日訪れた松葉ケ谷の安国法窟で「立正安国論」を書き上げたのです!
実際にご霊跡を訪れてゆくと、ホントに流れがよくわかります。

オススメです!!!