日蓮聖人のご霊跡めぐり

日蓮聖人とそのお弟子さんが歩まれたご霊跡を、自分の足で少しずつ辿ってゆこうと思います。

五坊寂静院(高野町高野山)

2019-04-02 22:23:15 | 旅行
真言宗の総本山・高野山を訪問してきました!
今から750年以上昔、比叡山にご遊学されていた蓮長法師(のちの日蓮聖人)は、お釈迦様の真意を究めるために高野山にも登られています。


高野山の伽藍群は標高が800m以上の場所にあります。
これは箱根駅伝の5区で通過する国道1号線の最高地点とほぼ同じ高さです。



高野山内には役場(高野町役場)、診療所、学校、老人ホーム、コンビニなど一通りが揃っています。風景だけ見ると標高800m以上ってことを忘れてしまいます。



高野山の中心にある金剛峯寺は、空海上人により平安時代(816年)に開かれた真言宗の総本山です。
平成27年に開創1200年を迎えたそうです。すご!



壇上伽藍はお堂の配置により真言密教の二つの曼荼羅「胎蔵界」「金剛界」を表現しているといいますが・・・すみません、よくわかんないです(笑)。



高野山には戦国武将、各地の殿様のお墓が沢山あります(必ずしも実際の御廟ではなさそうです)。
高野山に供養塔を建てることがステータスだった時代があったからだと思われます。


上越高田の泥足毘沙門天を篤く信仰した上杉謙信公の墓所。


彦根・井伊宗家の墓所。もともとの出身はお祖師様のお父様のルーツと同じ遠江国井伊谷です。


波木井實長公ともつながる奥州南部家の墓所。

こうやって見てゆくと、日蓮宗は多くの武将と縁があったのだなぁ、と思います。



金剛峯寺があるメイン通りから1本北側に、徳川家霊台があります。
徳川三代将軍・家光公が家康、秀忠の霊をお祀りする東照宮だそうです。



この徳川家霊台の向かい側に、日蓮聖人のご旧跡があります。

高野山の地図上では・・・「公園」となっている場所です。



「日蓮上人御旧跡」の石碑が建っています。



大正15年に大阪本化栴檀林がこの石碑を建立して下さっています。
大阪に宗門の檀林があったのでしょうか。今もあるのかな?



奥に歩いて行くと、何と題目碑がありました!
どなたかがお花をお供えして下さっています。



真言宗の総本山で題目碑を拝めるとは思いませんでした。
高野山入山からあった軽い緊張感がフッと解けたような感覚です。



お祖師様がご遊学された時に参籠された場所なのかもしれません。



この題目碑の左側には影向明神のお社。



こちらには丹生大明神と



高野大明神がお祀りされています。
いずれも空海上人の高野山開山を助けてくれた神様、高野山を守護する神様として崇敬されています。



この先にひっそりと佇むお堂



五坊寂静院です。



人の気配はありませんでしたが、境内はキレイに掃き清められています。



五坊寂静院はその名前からもわかるように、かつてこの地にあった五つの坊がルーツのようです。
この五坊というのが妙智坊、法智坊、蓮智坊、華智坊、経智坊、つまり「妙法蓮華経」の頭文字を冠した坊なのです!



僕は最近まで、真言宗では大日経をはじめとした密教の経典ばかりを説き、法華経などの顕教の経典は隅に追いやられていると勝手に思い込んでいました。
しかし先日叔父の葬儀に参列した際、導師であった真言宗のお上人が法華経の観世音菩薩普門品第二十五を唱えているのを聞き、驚きました。
五坊の由緒といい、確かに真言宗では密教が優位ではあるけれども、法華経の思想も柔軟に取り入れているのかもしれませんね。



境内の一段高い土地に建つお堂は、もともと奈良・斑鳩に建っていた中宮寺の旧本堂が新本堂の建築に伴い、約50年前に移築されてきたのだそうです。
中宮寺といえば、法隆寺夢殿に隣接する聖徳太子ゆかりのお寺です。



先日訪問した大阪太子町の叡福寺。確か真言宗の単立寺院でした。



叡福寺には聖徳太子の御廟があり、蓮長法師が関西各地の寺院で学ばれた末に辿り着いた真理を、ここに報告されています。



また叡福寺の一角には日蓮聖人御参籠借跡も残されており、由緒を刻んだ石碑もありました。
日蓮聖人の聖徳太子に対する感謝、畏敬の気持ちが本当によく感じられるご霊跡でした。



中宮寺の旧本堂が五坊寂静院に移築されてきたのも、日蓮聖人のそういった気持ちを汲んでのことなのかもしれません。
それにしてもどなたの発願で移築されたのでしょう?心から感謝します。



求学心あふれる蓮長法師はこの地を拠点にして、多くの僧侶と法談を交わし、また夢中で沢山の書物やお経を読んだことでしょう。
そのお姿を想像しながら、静かに合掌しました。



ご霊跡の入口脇に、鬼子母神様のお社がありましたよ。



真言宗でも鬼子母神信仰があるのかな?それとも、日蓮聖人のご霊跡だからこちらに勧請されたのでしょうか?
いずれにせよ、鬼子母神様がこの場所にあることに深い意味を感じます。



お社には真っ赤な柘榴の実が奉納されていましたよ!
これからも法華経をお護り下さい。



僕が車で高野山を訪問したのが12月中旬、とても遠くてとても寒い、深い深い山中のお山でした。
蓮長法師はもちろん険しい山道を、歩いて登ってこられたわけです。ホントに大変だったはずです。
その一歩一歩が現在、僕達の信仰につながっていることを心に留めておこうと思いました。

そして何より、日蓮聖人のご旧跡をこうやって維持して下さっている高野山真言宗の寛容さに、深く感謝します。