Jリーグの強豪・ジュビロのホームタウンである磐田にやってきました。
こちらに創建630年以上の日蓮宗寺院があります。
玄妙寺です。
玄妙寺は日蓮宗本山です。
日蓮宗ポータルサイトによると、玄妙寺は由緒寺院に位置づけられています。
本堂です。
旧東海道の近くにあるお寺らしく、松がいい感じでフレームインしてきます。その昔はすぐそこに海があったそうですよ!
山号は本立山です。
これは・・・橘を組み合わせた紋じゃないですか?みかんの名産地・静岡県らしいですね!
この堅牢な建物は・・・?
経蔵のようです。
国の登録有形文化財に指定されているみたい。
経蔵があるくらいですからね、古くから多くのお上人方がここで勉学に励んだのではないでしょうか。
お寺の由緒によると、日蓮聖人のご入滅からおよそ1世紀後の1385年に、玄妙阿闍梨日什上人によって開創されたようです。
ここ磐田の界隈を布教に歩いておられたんですね!
ちなみに玄妙寺は日什上人自らが開いた初めてのお寺だったそうです。
境内に日什上人の顕彰碑がありました。
日什上人は会津武士の子として生まれましたが、若くしてご両親を亡くし、19才の時に出家して比叡山に入られ、「玄妙」という名で勉学修行に勤しまれたそうです。
相当頭の切れる方だったようで、38才で比叡山の学頭(!)になり、「能化(のうけ)」といわれる教授職に就かれたといいます。
58才で比叡山を下り、故郷会津に近い羽黒山東光寺を拠点に活動されていたようです。
玄妙66才の時に転機が訪れました。
日蓮聖人の著作である開目抄、如説修行抄を読んだのです。
その内容に玄妙の心は動かされた、いや激震が走ったのかもしれません。
日蓮聖人の教えに自ら帰伏し、名を「日什」と改めたのです。
翌年、日什上人は羽黒山東光寺を下り、真間の弘法寺に入門して日蓮聖人が遺された多くの御書を読み、その教えを学んでいったそうです。
それにしても還暦をとうに過ぎた66才で改宗するって、スゴくありません?それこそ出家してから今までの人生を全てリセットするくらいの事ですよね?その潔さにただただ驚きます。
と同時に、ご入滅されて100年以上経過してなお、遺された著作が、他宗の高僧を帰伏させてしまう日蓮聖人。本物のカリスマですね!
玄妙寺の境内からは旧見付学校が見えますが、界隈には歴史を感じさせる建物がたくさんあります。
もともとここ遠州見付は東海道五十三次の28番目の宿場町でした。29番目が浜松宿、ってことはその間に激流の天竜川があるわけで、渡しを待つ旅人で賑わう宿場町であったことが想像できます。
歴代お上人の御廟を参拝。
日什上人がこの地で法論しているのを聞いていた宿の主人が日什上人に帰依し、法名を「日妙」と称しました。
日妙上人は遠州見付にお寺を建立、日什上人が天台宗で活躍した時の僧名にならい「玄妙寺」と号しました。開山を日什上人と仰ぎ、自らは二祖となったようです。
ちなみに日什上人は日妙上人の一周忌に際し、「諷誦章」を認められたそうです。「諷誦章」はのちに日什上人が興した顕本法華宗の教学の基礎になっているといいます。
日什上人は70代になっても一心に法華経の弘通を続けました。特に京都で日蓮聖人の教えを熱心に布教されたようです。
そして78才の時に故郷の会津に帰り、翌年、そのご生涯を閉じられました。
正しい教えは正しいと認め、高齢にもかかわらず新しい道を邁進し続けた日什上人。
変わり種のお上人ではありますが、知れば知るほど惹かれてしまいます。
日什上人が開いた宗門寺院は他にもあるようです。ぜひ巡ってみたいと思います。