2020年、夏。
僕もこの世に生を受けて、既に半世紀以上経ちますが、これほど異常な雰囲気の中、過ごすのは初めてです。
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今でこそ原因が新型のウイルスとわかっているから、ある程度の対策も立てられるし、ワクチン接種を受けるまでは・・・と、じっと我慢することができます。
鎌倉時代にも各地で疫病は流行していたようですが、当時の人々は訳もわからず、迫り来る恐怖に苛まれていたのでしょう。
僕が今までに訪問したご霊跡の中には、日蓮聖人が疫病退散の祈祷をされた逸話が残っている場所もあります。
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文永11(1274)年、日蓮聖人は富士川沿いの青柳を訪れています。
この界隈で疫病が流行しているのを知った日蓮聖人は、村人に病難退散の経札を授けました。この経札により村人達は救われ、昌福寺の建立につながっています。
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弘長元(1261)年の伊豆法難の際には、原因不明の熱病に苦しむ当地の地頭・伊東八郎左衛門祐光公に対して、病気平癒の祈祷を行い、回復させました。
祈祷が行われた伊東公の邸跡をお寺にしたのが仏光寺です。
伊豆流罪がご赦免になった翌年、お母様が病気になられた、という報を受け、日蓮聖人は急いで安房に帰郷しています。
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(↑画像は小湊誕生寺)
お母様の病状は重く、日蓮聖人が到着したまさにその時、息を引き取ったところでした。
そこで日蓮聖人が一心に祈願すると、お母様は息を吹き返し、蘇生されたといいます。
この不思議な出来事は、興津の領主・佐久間重貞公の耳にも入りました。
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当時、小湊の東隣に位置する興津界隈では疫病が流行しており、領民達は苦しんでいたのです。
早速、佐久間重貞公は、日蓮という不思議な僧を、興津城内の釈迦堂に招き入れました。
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その釈迦堂跡に建立されたのが、興津の妙覺寺です。
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右側の石塔に刻まれている文字は・・・
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「高祖・・・
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・・・御直創・・・
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・・・最初道場」
うわぁ~!お祖師様が初めて、直々に創られたお寺なんだ!
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総門です。
左右の塀と相まって、往時の雰囲気を偲ぶことができます。
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山号は「廣榮山(こうえいざん)」です。
妙覺寺の境内には何と!
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本物の線路が走っています!
多くの宗門寺院を巡ってきましたが、こんな光景は初めてです。
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当然、参道には踏切があります。
なかなか強力な結界ですね!
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ものすごく立派な山門です。
江戸末期建築の仁王門だそうです。
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当時の安房夷隅の大工衆が、腕を振るって建てたのでしょうね。
平成に大改修が施され、今日も偉容を誇っています。
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本堂です。
妙覺寺を訪問させていただいたのは昨年2月、右手にある桜の蕾もまだ固そうでした。
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本堂屋根の奥に何やら重機が!
それも結構な斜面に張り付いています。
裏山が崩れたんでしょうか、それとも崩壊対策でしょうか。
山肌を固める作業をしていました。作業員さん達、ご苦労様です。
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妙覺寺以外でも山を背負っているお寺って多いですよね。というかむしろお寺は山裾にあるから、山号が付いたり、山門があったりするのではないかと思います(古来からの山岳信仰とも関係しているのでしょう)。
昨今の豪雨や地震から、大切なお寺を護る方策も、真面目に考えていかなければならない時代です。
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こちらは祖師堂です。
窓が広いのでお堂の中は明るいんでしょうね!
祖師堂前に、こんなものがありました!
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船を繋いでいた石柱です。仙台石で作られています。
江戸時代、興津は東廻り航路の寄港地でした。
東北諸藩の廻米交易船がひっきりなしに出入りし、「興津千軒」と呼ばれたくらい賑わったそうです。
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米どころの仙台藩は、江戸に納める米の量も莫大だったため、妙覺寺に陣屋を設け、こういった繋船柱をはじめ、港の整備に一役買っていたそうです。
石柱に船を繋ぐ場合、妙覺寺に米やお金を納める決まりだったため、当時の妙覺寺は財政的に豊かだったと想像できます。
ある意味、仙台藩にも支えられたお寺、といえそうです。
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釈迦堂です。
妙覺寺の由緒は、このお堂から始まっています。
佐久間重貞公に請われ、日蓮聖人は釈迦堂で十日間のお説法を行っています。
重貞公はじめ、沢山の領民がやって来て、真剣に聴聞したといいます。
疫病という見えない敵に恐怖する気持ちは、新型コロナウイルスに翻弄される我々と通ずるものがあります。
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「疫病に苦しむ人に法華経を説いて何になる?」
昔の僕だったらそう思ったかもしれません。
しかし今、疫病が蔓延しつつある世の中を実際に見て、感じることがあります。
科学技術が発達し、原因が「ウイルス」とわかっている21世紀の現代でさえ、マスクが買えないというだけでドラッグストアの店員を罵倒し、トイレットペーパーの買い占めに走り、感染者がいるとわかれば、まるで犯罪者のように中傷する・・・。
人の奥底に眠っていた本性が他人を苦しめ、社会全体がトゲトゲしくなってゆく、というのが疫病の本質ではないかと思うのです。
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日蓮聖人は「南無妙法蓮華経」と書かれた白い布を海水に浸し、舟の舳先に結び付け、ご祈祷したそうです。
すると、間もなく領民達の病は癒えていったといいます。
確かに、お祖師様にそういう不思議な力があったのでしょう。しかしご祈祷やお説法の裏側に、もっと大事な「心の治療」の神髄があったと、思えてなりません。
現代人の閉塞感を改めるヒントが、そこにあるのかもしれません。
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ご祈祷しているお祖師様のお姿を、のちに宗門最高の仏師・日法上人が楠から刻んだお像は、「布曳き祖師」像として妙覺寺にお祀りされています。
ちなみに原木の楠は聖人お手植えだそうで、小湊誕生寺、行川大聖寺の祖師像と一木三体といわれています。
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歴代お上人の御廟を参拝。
信徒達の心の拠り所として、今日まで法灯を継いでくださったことに感謝です。
日蓮聖人に帰依した佐久間重貞公は、聖人に釈迦堂を献上しました。
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この釈迦堂を聖人自ら廣榮山妙覺寺と命名したため、開山は名実ともに日蓮聖人です。
宗祖直創のお寺って、結構珍しいのではないでしょうか?
重貞公の子・長寿丸は出家して日保上人となり、妙覺寺二世となっています。
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このブログで参考資料としてよく使わせて頂いている「高祖日蓮大菩薩御涅槃拝図」(大坊・本行寺で購入) には読経する日保上人が描かれています。
日保上人は、多くの優れたお弟子さんを育てた方としても有名です。
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また、重貞公の弟・竹寿丸も出家して日家(にけ)上人となり、妙覺寺三世を継いでいます。
僕が今まで巡ったお寺でいうと、
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小松原法難直後の一夜を日蓮聖人がお過ごしになったという「養疵窟(ようひくつ)」のご霊跡・日蓮寺を開いたのが日家上人でした。
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また、日蓮聖人ご誕生の霊場・誕生寺に至っては、日保、日家両上人の発願で創建されたというのですから、安房宗門は佐久間一族の尽力で隆盛したと言っても過言ではないでしょう。
ちなみにこの由緒から、妙覺寺と誕生寺は「両寺一根」というそうです。
ところで、「高祖日蓮大菩薩御涅槃拝図」の中に、「星名五郎太郎」という名前の方がいるのは以前から気づいていたのですが、お祖師様とどういうご関係なのか知りませんでした。
今回、妙覺寺のご住職に戴いた縁起を見て、わかりました。
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星名五郎太郎公は、佐久間重貞公に仕えていた武士だったんですね。
日蓮聖人からお手紙も戴くほど、ご縁が深かったようです。
聖人のお母様・梅菊さんが亡くなった際には、聖人とともにお題目を唱え、菩提を弔って差し上げたそうです。
また、帰郷の叶わない聖人に代わって、興津から小湊までお墓参りを欠かさない、心優しい方だったといいます。
まさに利他の人、コロナの時代に星名公から学ぶことは多いでしょう。
日蓮聖人のご霊跡を巡ることで、ご遺文や図絵に出てくる先師達の素性も少しずつ判明してきます。彼らが一心に祈った、まさに現地を訪れているので、より感謝の念が深まります。
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「ゴ~~~ッ」
ホントに外房線が境内を走ってるよ~!
大迫力の妙覺寺でした!!