日蓮聖人が佐渡から海を渡って着岸された地に建つ「番神堂」。
普通のお寺くらいは余裕でありそうなお堂ですし、境内も結構広いです。
・・・実はこの番神堂、柏崎にある妙行寺というお寺の境外仏堂らしいのです。
妙行寺は番神堂から車で10分ほど東に走った、潮の香りがする町なかにあります。
山号は海岸山です。カッコいいですね~!
でかい宗紋が掲げられています。
旅先でこの紋に出会うと、安心します。
へぇ~!地元の高校の発祥の地なんですね。特に女子教育に力を入れていたようですよ!
日蓮聖人のご尊像に合掌。
佐渡から海を渡っていらして、なおかつこれから鎌倉まで歩いてゆかなければならないお祖師様・・・この時52才。さぞお疲れだったことでしょう。
今年は明治維新150年ですが、戊辰戦争では越後は北越戦争という局地戦の激戦地でした。ここ柏崎は高田藩であり、高田藩は官軍側でした。そして何と妙行寺は官軍の本陣になっていたそうです。
境内には官軍兵士のお墓がところどころにあります。
わ~、ただ者でなさそうな松の木!
本堂です。
こちらの屋根は傾斜が緩いですね~。雪国って傾斜が急な方が良さそうに思うんですが・・・。
地元の方に伺うと、このあたりの海岸沿いは、積雪が少ないんだそうですよ。それに傾斜が急だと、積もった雪がドドドっと落ちてきたらむしろ危険とも言われているそうで・・・住んでないとわからないことですね!
扁額には・・・う~ん、さっぱりわかんないなぁ。
歴代お上人の御廟を参拝。
お寺の縁起によると、日蓮聖人が着岸された当時、付近に真言宗の大乗寺というお寺があったそうです。
日蓮聖人は大乗寺に宿を取りました。
住持の慈福法印は一晩のうちに日蓮聖人に教化され、改宗したようです。
日蓮聖人から「日心」の法号を頂き、お寺を「海岸山大乗寺」と改めました。
一方、日蓮聖人着岸の霊地であり、かつ日蓮聖人自ら三十番神を勧請し、お祀りされた神聖な岬に、法華堂が建立され、「法修山妙行寺」と称しました。
安土桃山時代になり、大乗寺は「番神堂」に改められ、妙行寺と大乗寺は合併して「海岸山妙行寺」となって現在の地に移転してきたそうです。
開山・日蓮聖人、二祖・日朗上人、そして三祖が日心上人となります。
ちなみに31世には新居日薩上人がいらっしゃいます。
新居日薩上人のことは、以前日蓮宗ポータルサイトの「法華経に支えられた人々」という記事で知りました。
明治維新後の日本では神道が重視され、仏教が弾圧される政策がなされました。当時の宗門は身延、池上、中山、京都の本山がそれぞれ独自に活動しており、そのまとまりのなさから、胸を張って明治政府に「ウチはこういう宗派です」と言える状況になかったようです。そんな折、明治政府から身延山久遠寺住職に任命された新居日薩上人は、大変な苦労をして宗門を一つにまとめ上げ、宗名「日蓮宗」を公称できるように尽力されました。
廃仏毀釈により昔の番神堂は焼失してしまったそうです。この時妙行寺の住職であった新居日薩上人は、7年の歳月と巨万の浄財を投じて、番神堂を再建させたそうです。本当に、本当に頭が下がります。ただただ、感謝です。
日蓮聖人は柏崎をあとにして、越後国府(現在の上越市)へ向かいました。
ここからが山また山!大変だなぁ・・・。