日蓮聖人のご霊跡めぐり

日蓮聖人とそのお弟子さんが歩まれたご霊跡を、自分の足で少しずつ辿ってゆこうと思います。

富士山本門寺(富士宮市北山)

2018-01-27 17:20:01 | 旅行
霊峰・富士山
白い冠をかぶったような、この時期の富士山は見事です!
特に1月最後の週末のこの日は、雲一つなく最高の富士山ビューが楽しめました。


以前から訪問したかった北山本門寺に向かいます。


本門寺の寺域は信じられないほど広く、参道の始まりを探すだけで疲れちゃいました~。
恐らくこの石碑が起点じゃないかな?「外神」っていう隣町です。

「従是十五町五十間」

調べると一町歩が109m、一間が1.8mみたい。ってことは、ここから1.7kmの計算になります。


うへ~、行けども行けども参道


途中、ちびっ子が野球していたグラウンド、これ本門寺の広場みたいです。
地域に貢献してるんですね!


まだまだ山門は見えません。広いよ~
昔は6万坪の寺域を誇ったそうです。


お?何か大きな建物の基礎石


以前、このあたりに大きな総門があったみたい


相当歩いて、ようやく門前の塔頭寺院が見えて来ました!


仁王門に到着~!
富士山とのコントラストがキレイ♡


境内図。いろいろありそうです。


仁王門です。


扁額には「本門寺根源」
古い宗門寺院には「根本道場」とか「根本霊場」の呼称が使われていることがありますが、「根源」は初めて。
ルーツ中のルーツ、ってところでしょうか。


阿形と


吽形。樹齢2000年の檜の巨木を真っ二つに割って、彫り出したそうです。


瓦の一枚一枚に鶴の紋。
宗門のお寺で時々目にします。


まずは本堂に参拝。
ここには等身大のお祖師様の木像が安置されているそうです。
宗門最高の仏師でもある日法上人の作で、お祖師様自ら開眼され、生けるお姿そのもの、と言われています。


山号は「富士山」です。
六老僧の日興上人が開いたお寺は「富士山」、多いですよね!


蓮が栽培されていました。それぞれの瓶には別々の種類が植えられており、数えたら17種類もありました!


日蓮聖人のご尊像に合掌。


身延に入られたあとのお祖師様でしょうか。優しいしわが目立ちます。


開山堂です。
日興上人のご尊像が安置されているそうです。
日蓮聖人の七回忌を済ませた日興上人は身延山を下り、ここ北山(重須ともいうらしい)の地頭・石川孫三郎能忠公から広大な敷地の寄進を受けて、永仁6(1298)年に法華本門寺根源を開創しました。


巴の紋は、どちらの家紋なんでしょうか。


開創の際に、お題目の7字にあやかり、日興上人は7本の杉を植えられたそうです。
火事とか落雷にも遭ってきましたが、今でも3本は健在です!


ほんとにでかい!樹齢720年!!
触っているだけで安心します。


日興上人の御廟です。
富士山の麓らしく、火山岩と古い木に囲まれています。
日興上人は六老僧のなかでも、特に厳格に日蓮聖人の教えを守ることを貫いた、といわれています。
その頑なまでの姿勢は、「重須談所」といわれる教育機関を通じて、多くの優れたお弟子さんたちにも受け継がれたそうです。


重須談所の学頭たちの御廟です。


重須談所で日興上人が講義している最中、梨の葉が落ちるさまに一瞬気を取られた、若き日の日尊上人は、日興上人から破門されてしまいました。
しかし、毎年お会式の時だけは本門寺にやってきて、境内には入ることができないまでもせめて、門前の石に腰掛けて参詣したそうです。
中山法華経寺の「泣き公孫樹」といい、宗門にはその厳しさゆえの、悲しい旧跡がありますね。
そうそう、泣き公孫樹の日頂上人の御廟が、本門寺近くにあるそうなので、あとで訪れたいと思います。


日興上人に広大な領地を寄進した大壇越・石川氏の墓所です。


これら御廟の前に、とても細いけどメチャクチャ勢いよく流れている水路がありました。


駐車場の隅に、この水路に関する石碑がありました。
「本門寺堀用水」っていうそうです。


この説明によると、徳川家康はライバル・武田との戦いに勝つために、本門寺から日蓮聖人ご真筆のお曼荼羅を一幅、借りたそうです。
実はそれ以前に武田軍の一味が本門寺の寺宝を強奪し、戻ってきていなかったそうで、共通の敵・武田を打倒するために、家康と本門寺が協力したわけです。
結果、家康は武田に勝ち、寺宝も取り戻し、さらに飲み水にも困っていたこの地域に、用水を引く手助けをしてくれたそうです。

グッジョブ!家康


境内には神様をお祀りするお堂がふたつあります。
この霊宝門の奥に、あります。


ひとつは重須大神です。


僕は神様のこと詳しくありませんが、この屋根上の出っ張りが地面に対して垂直に切れていると、男の神様がお祀りされているって、テレビ番組で言ってました。


もうひとつは本化垂迹堂です。


あ、ここは出っ張りが水平に切れています。女の神様がお祀りされているのかな?
僕にはこの程度しかわかりませんが、それにしても境内にこんなに堂々と、神社が二つもあるのは珍しいのではないでしょうか?
神仏分離を免れたのかな?


お寺の裏側に出ると、それはそれは見事な富士山!


以前、同じ富士宮の本光寺を訪問したときに目にした文章を思い出しました。

「富士山は、常に天に向かって合掌する姿、世の中の安穏を祈る姿・・・」

日興上人がこの場所に信仰の拠点を設けた意味が、少しわかるような気がしました。

養老妙見山(養老町養老公園)

2018-01-08 17:56:34 | 旅行
僕のカミさんの実家は、東京都下の町なかで小さいお寺を護っています。
お墓も檀家さんもない、いわゆる「日蓮宗教会」という形態です。
毎月15日に近所の信徒の方々が集まり、一緒にお経をあげたり、身延山に団参に行ったりという活動をしています。

3年前に亡くなったカミさんのお父さんは、日蓮宗教師として地道に教会を主宰してきました。
そのお父さんを長年支え続けたお母さんは、一時体調を崩しましたが、最近ようやく元気になってきました。
お母さんは以前から「いつか養老の丈六様を拝んでみたい」と言っていました。

こういうのは実現できるときにしてあげないと!ということで・・・
僕たち夫婦でお母さんを連れて、行ってきました!岐阜県養老町!!
↑画像は養老公園の駐車場ですが、現地は養老山地の中腹というのがよくわかると思います。
遠くに濃尾平野が見えますね!

駐車場管理のおじさんに聞くと、丈六様はここから徒歩でかなり登るようです。


この界隈は瓢箪が名産品らしく、無数の細かい穴を開けて作った照明などが展示されていましたよ!


道沿いに川が流れているのですが、この水は有名な「養老の滝」から来るそうですよ!


よく見るとこの橋、「妙見橋」ですね~。
丈六様は妙見堂に安置されているそうです。もう近くなのかな?


え~!?クマ鈴?
養老山地ではツキノワグマの目撃例があるそうで・・・けっこうリアル!


こんな坂が「これでもか!」と続いています。


あ!妙見堂の看板!
もうすぐだ!


到着~!


この妙見堂は、地元の養老教会が護持して下さっているようです。


奥が妙見堂です。
大自然に溶け込んでます。


事前にお上人に連絡を取っておいたので、お堂を開けて待っていて下さいました。
※拝観希望の際は、養老町の教育委員会に連絡を取ると、お上人に取り次いで下さいます。


扁額には「養老妙見山」と刻字されています。
身延山21世(江戸初期)の日乾上人が祈雨された霊場に、明治時代にお堂を設け、妙見大菩薩のご尊像が安置したのがルーツだそうです。


数年前にここで火事があり、庫裏が焼けてしまったそうです。現在は土台のみが残っています。
消防車が入れず消火が遅れてしまいましたが、妙見堂は無事だったそうで、何よりです。


妙見堂の正面に一丈六尺のお釈迦様のご尊像、右側に妙見様がお祀りしてありました。
こちらの丈六様は黒いご尊像で、金色の衣をまとっています。
直接の画像はありませんが、とても優しい印象で、我々を包み込むようなオーラを感じましたよ!


このご尊像は一木三体仏といい、
先日訪問した身延山にある丈六堂にお祀りされているご尊像や、


1年前に訪問した厚木依知・妙伝寺の釈迦堂にお祀りされているご尊像とともに、江戸時代に京都の日護上人という方が同じ木から彫り出したそうです。(戦争で焼けてしまった大阪・一心寺のご尊像、という説もあります)

カミさんのお母さんは念願の丈六様に参拝できて、とても喜んでいました。
「どんな宝石をプレゼントしてもらうよりも嬉しい」と言ってもらって、僕たち夫婦も嬉しかったです!
こういう親孝行もあるんだな~と思いました。


お釈迦様のご尊像や妙見様もさることながら、我々を魅了したのがお上人のお人柄!
初対面の我々にもざっくばらんにお話しして下さるので、ついつい話し込んでしまいました。


特筆すべきは、こちらのお上人、個人的に法華経を現代語訳しており、それを独特の調子で読誦するという試みをされています。
信徒さん達が読んですぐに意味がわかるような表現に訳しており、訓読よりも更にわかりやすくなっています。
「一節一節、時間をかけて言葉を選んでいるので、なかなか進まなくて・・・」と笑うお上人!

ぜひ、ライフワークとして続けて下さいね!