日蓮聖人のご霊跡めぐり

日蓮聖人とそのお弟子さんが歩まれたご霊跡を、自分の足で少しずつ辿ってゆこうと思います。

長寿山福王寺(筑後市溝口)

2019-07-08 22:58:21 | 旅行
福岡県の八女を旅してきました!

八女といえば八女茶で有名です!
広大な八女大茶園では最高級品種・玉露の栽培もしています。


白壁の町家が建ち並ぶ八女福島の町並み。
九州各地の産物が集まり、これらを材料にして工芸品を造る職人の町でもあったようです。


これからが最盛期の盆提灯をはじめ、ひな人形、仏壇、竹細工など、沢山の特産工芸品があります。


八女手漉き和紙もその一つです。
腰が強いのが特徴で、版画家の棟方志功も愛用していたといいます。


実は、この地に紙漉きの文化を持ち込んだのは、安土桃山時代の法華のお上人だったそうなんです!
そして、そのお上人の銅像が近くの日蓮宗寺院にあると聞き、訪問してきました。


八女福島から3kmほど、筑後市溝口にある福王寺です。


山門です。
品格を感じますね。


山号は「長寿山」です。


年季の入った題目法塔が迎えてくれます。


正面に本堂があります。
まずはこの地を訪問できたことに感謝し、合掌。


九州に紙漉き文化を導入したのがこの方、日源上人です。
法華の修行僧だった日源上人は、全国行脚の途次、溝口の地を訪れました。
当時の溝口は農村が疲弊・荒廃しており、これに心を痛めたといいます。


一方、日源上人は溝口を含む筑後地方、特に矢部川周辺の自然環境が、生まれ故郷の越前国(今の福井県)今立に似ていると直感したようです。
今立で盛んな紙漉きをこの地に根付かせ、農家が生業として紙漉きをするようになれば、農村は復興するかもしれない・・・と日源上人は考えました。


たまたま我が家にあった一筆箋、今立和紙を使っているようです。
約1500年前、日本で最初に紙漉きを始めた今立は、和紙の里と呼ばれ、今でも和紙作りが盛んです。

日源上人の親族にも和紙職人がいたそうで、日源上人は一旦帰郷し、数人の和紙職人を伴って溝口に戻ったそうです。


話は少し逸れますが、昨秋、越前市武生を訪問しました。
日蓮聖人がご入滅された10年後、日像上人はご遺命を果たすべく、身延や佐渡など日蓮聖人のご霊跡を巡拝したのち、北陸路を布教しながら上洛を果しました。
かつて国府が置かれていた越前市武生には旧北国街道が通っており、通り沿いには日像上人開山のお寺が多く見られます。


旧北国街道沿いにある長榮山本行寺境内には、日像上人ご染筆といわれる岩題目がお祀りされていたのが印象的です。
浄土真宗寺院だらけの越前において、武生は法華信仰が確実に息づく町であることが推察されます。


地図で見ると、この武生の町から日源上人の故郷・今立はわずか5kmほどしか離れていません。
日像上人が信仰の種を播いてから200年の時間を経て、紙漉き職人の町にも法華の教えが浸透していたのかもしれませんね。


話を戻しましょう。
溝口に戻った日源上人は当地の領主・蒲池氏の菩提寺である福王寺の境内に作業場を設け、手漉き紙を作り始めたそうです。
これが、九州における初めての紙作りといわれています。


以来、筑後藩や久留米藩の保護のもと、越前和紙をルーツとする製紙法は溝口の農家を中心に人々に伝えられてきました。
「溝口紙」そのものも収入源になりましたし、溝口紙を使った傘や提灯の製造も栄え、荒廃していた農村は復興していったそうです。


紙漉きの技術は溝口から矢部川流域、そして九州各地へと伝え広がったといいます。

そして明治時代、九州紙漉きの礎となった福王寺境内に日源上人のご尊像が建立されました。戦時中、銅像供出の憂き目に遭いましたが、昭和35(1960)年に再建されたそうです。


銅像再建の奉賛会に九州各地の製紙業者も名を連ねています。
九州製紙業のルーツが福王寺、日源上人にあり、その威徳に感謝、供養されている様子が窺えました。


右手に錫杖、左手にお数珠を持った日源上人のご尊像、胸に提げているのは紙漉きの道具である竹簀だそうですよ!

そういえば日本に醤油や味噌作りを伝えたのは鎌倉時代のお坊さんだと聞いたことがあります。
昔のお坊さんは各地を行脚することで信仰だけでなく、文化や産業の種も播いていたんですね。
新たな発見でした!


ちなみに頂いた福王寺の縁起の表紙、立派な和紙ですよ~!