山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

春の花秋の月にも残りける‥‥

2005-12-26 22:06:06 | 文化・芸術
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-今日の独言- 今年の三冊、私の場合-3

 三冊目は心理・精神分析関係から新宮一成・立川康介編の「フロイト=ラカン」を挙げよう。講談社選書メチエの知の教科書シリーズだから、19世紀人フロイトの独創をことごとく徹底して読み替えていったラカン、いわばフロイト-ラカンの知の系をまことにコンパクトにまとめてくれている入門書と称するが、内容は広くてかつ深い。
本書冒頭のなかの一節に「神の不在から、フロイトによって発見された「無意識」を認めて、不完全な自らの思考と言語で生に耐えること、これがラカン言うところの「フロイト以来の理性」となった」とあるように、治療法としてはじまった精神分析が、いまでは、思考の営みの、あるいは生の営みの一つのスタイル、しかも非常に有効で重きをなすものとしてあり、人々の生きるスタイルとして、精神分析的な思考というものがあまねく存在している現代であれば、このフロイト-ラカンの知の系にしっかりと触れておくべきかと思われる。


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<冬-15>
 もののふの矢並つくろふ籠手の上に霰たばしる那須の篠原
                                    源実朝


金塊和歌集、冬、霰。 那須の篠原-将軍源頼朝が大規模な巻狩りを行なったとされる那須野ケ原の原野、現在の栃木県北東部の那珂川・箒川流域あたり。
邦雄曰く、律動的で鮮明で、活人画を見るような小気味よさ、実朝の作としては、必ずしも本領とは言えぬ一面であるが、古来代表作の一つに数えられている。この歌熟読すれば、意外に創りあげられた静かな姿を感じさせる、と。


 春の花秋の月にも残りける心の果ては雪の夕暮  藤原良経

秋篠月清集、百首愚草、天象十首。
邦雄曰く、美は雪・月・花を三位一体とするとは、古来の考え方であるが、良経はこの三者同格並列を解放し、花から月へ、かつその極みに「雪」を別格として据えた。それも必ずしも美の極限としてのみならず、あはれを知る人の心が行き着く果ての、幽玄境を「雪の夕暮」と観じた。歌そのものが彼の美学であり、ここではついに芸術論と化している、と。


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