山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

思ひ川たえずながるる水の泡の‥‥

2006-05-01 14:37:42 | 文化・芸術
0412190431

-表象の森- 死ぬときはひとり

    生きることをやめてから
    死ぬことをはじめるまでの
    わずかな余白に‥‥


 私にとってはかけがえのない書のひとつである「詩的リズム-音数律に関するノート」を遺した詩人の菅谷規矩雄は、1989(H1)年の暮も押し迫った12月30日に53歳の若さで死んだ。直接の死因は食道静脈瘤破裂、肝硬変の末期的症状を抱え、死に至る数年は絶えず下血に悩まされていたという。
この年の春頃からか、彼は上記の3行を冒頭に置いて「死をめぐるトリロジィ」と題した手記を遺している。トリロジィとは三部作というほどの意味だが、古代ギリシアでは三大悲劇を指したようだ。


 悲しみはどこからきて、どこへゆく。
 死は、どこではじまって、どこで終るか。
 胎児は<生れでぬままの永世>を欲している。


 死ぬときはひとり―――
 いまここにいたひとりが、いなくなってしまったとしたら、それはそのひとが消えてしまったからではなく、どこかへ行ってしまったからだ。
 死がいなくなることであるなら、死んでもはやここにいないひとは、どこかへ行ってしまった、ということなのだ。
 どことさだかにできずとも、どこかへゆく、そのことをぬきにして、死をいなくなることと了解することは、できないだろう。
 じぶんにたいして、じぶんがいなくなる――ということは了解不能である。
 だから、わたしは、<いま・ここ>を「どこか」であるところの彼岸へ、やはり連れ込みたいのだ。
 どこへも行かない。この場で果てるのだとすれば、死とはすなわち物質的なまでの<いま・ここ>の消滅である。
 だから<いま・ここ>を、あたうかぎりゼロに還元してゆけば、その究みで<わたし>はみずからをほとんど自然死へと消去してゆくことになる。
 彼岸ではなく、どこまでもこちらがわで死を了解しようとすれば、それは<いま・ここ>の成就のすがたなのだとみるほかはあるまい。
 外見はどのようにぶざまで、みすぼらしくみにくくとも、死は、私の内界に、そのとき、<いま・ここ>の成就としてやってきているのだ。
 生きていることは悪夢なのに、なお生きている理由は、ただひとつ、死をみすえること。
 死が告知するところをあきらめる-明らめる-こと。


               ――― 菅谷規矩雄「死をめぐるトリロジイ」より

<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋-25>
 知るやきみ末の松山越す波になほも越えたる袖のけしきを
                                    藤原良経


秋篠月清集、百首愚草、二夜百首、寄山恋。
邦雄曰く、二夜百首は良経21歳の若書きながら、その題、恋も雲・山・川・松・竹などに寄せて、後年の六百番歌合の先駆をなす。小倉百人一首・清原元輔詠の「末の松山波越さじとは」を逆手にとって、「越す波」と、さらに進めて「なほも越えたる」と涙に濡れそぼつ袖を言う。六百番の「末の松待つ夜いくたび過ぎぬらむ山越す波を袖にまかせて」は3年後の作だが、両者甲乙つけがたい、と。


 思ひ川たえずながるる水の泡のうたかた人にあはで消えめや  伊勢

後撰集、恋一。 詞書に「罷る所知らせず侍りけるころ、またあひ知りて侍りける男の許より、日ごろ尋ねわびて失せにたるとなむ思ひつるといへりければ」とあり。
思ひ川-本来、絶えることのない物思いを川の流れになぞらえた表現だが、中世には筑前の国の歌枕とされた。
邦雄曰く、うたかたは泡沫、水の泡、はかないことをいうが、転じて「いかでか」の意。泡もまたうたかた。縁語と掛詞の綴れ織りで、あなたに逢わずにどうして死ねましょうと、甘えかつ怨じている。歌枕も重い意味をもつこと無論である、と。


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