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-表象の森- 不壊なるもの
以下は、F.カフカの「夢・アフォリズム・詩」(平凡社ライブラリー)からの引用。
人間は、
自分のなかにあるなにか<不壊(フエ)なるもの>、
破壊できないものへの永続的な信頼なくしては生きることができない。
その際、不壊なるものも、また信頼も、
彼には永続的に隠されたままであるかもしれない。
こうした<隠されたままであること>を表す可能性の一つが、
人間になぞらえた<人格神>への信仰である。
次に引くのは、講談社「現代思想の冒険者たち」シリーズの一つ、
高橋哲哉による編著「デリダ-脱構築」から。
エルサレムのモリヤ山頂では、
三つの「アブラハム的メシアニズム」-ユダヤ教、イスラム教、キリスト教-が
「エルサレムの領有=自己固有化」をめざして争っている。
湾岸戦争は、このエルサレムをめぐる戦争が今日の世界戦争になることを示した。
「三つのメシア的終末論の爆発と、
三つの聖なる契約=同盟の無限の組み合わせとしての中東的暴力」は、
デリダの重大関心事の一つである。
ところで、<不壊なるもの>が、
<隠されたまま>でありさえすれば、
その現成するところが、
物質の三態=固体・液体・気体のごとき、
物理的な条件下における変様にすぎないのだとすれば、
果てしない殺戮の連鎖が、
9.11の破壊も、またイラクへの報復も、
さらには、イスラエルのレバノンへの攻撃も、
決して起こり得ないであろうに。
<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>
<秋-46>
きみ恋ふる心の空は天の河櫂なくて行く月日なりけり 平兼盛
兼盛集、恋。
邦雄曰く、「櫂なくて行く=甲斐なくて生く」の懸詞を導き出すための天の河であるが、この恋の底には二星の儚い逢瀬がひそんでおり、それは「心の空」なる縁語でも明らか。いま一首、星合の恋歌に、「天の河川辺の霧の中わけてほのかに見えし月の恋しさ」があり、「月」とはすなわち思う人の面影、「遇ひて逢はざる恋」風の味わいがある、と。
琴の音に嶺の松風かよふらしいづれのをより調べそめけむ
斎宮女御徽子
拾遺集、雑上。
邦雄曰く、「野宮に斎宮の庚申し侍りけるに、「松風入夜琴」といふ題をよみ侍りける」の詞書あり、徽子の数多の秀作中でも、最も有名な一首。これまた後世、数知れぬ本歌取りの母となった。徽子は村上天皇の女御であり、この歌は娘の規子内親王が斎宮に卜定された天延3(975)年、神無月27日の作。徽子はその翌年規子と共に伊勢へ下向した、と。
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