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―表象の森― 金子光晴の未発表詩集
太平洋戦争末期、金子光晴が妻の森三千代と息子の乾とともに疎開し、山梨県の山中湖畔で暮らしていた1944(S19)年12月からの1年数ヶ月の間に、親子三人でたがいに綴った私家版の詩集が、昨年の夏、東京の古書市で発見され、このほど未発表詩集「三人」として講談社から刊行された、と毎日新聞の夕刊(昨日)が紹介していた。
父とチャコとボコは
三つの点だ。
この三点を通る円で
三人は一緒にあそぶ。」
-略-
三点はどんなに離れてゐても
やがてめぐりあふ。
三人はどれほどちがってゐても
それゆえにこそ、わかりあふ。
チャコは妻の三千代、ボコは息子乾の愛称で、互いにそう呼び合っていたらしい。
この疎開暮しのさなか、息子へ二度目の召集令状が届いて、徴兵忌避のため金子が苦心惨憺奔走する話を思い出したが、詩に表れた溺愛とも云いうるような家族への拘りと執着が、戦時下という暗い狂奔の時代と対置されたとき、
抵抗の人金子光晴の相貌がきわだって立ち顕れてくるような気がする。
<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>
「霽の巻」-18
県ふるはな見次郎と仰がれて
五形菫の畠六反 杜国
五形-ゲンゲ-菫-スミレ-の畠-ハタケ-六反-ロクタン-
次男曰く、折端-おりはし-で、花見次郎其人のあしらいである。会釈-あしらい-付は下手に使うと三句がらみになり屋上屋を架するだけだが、正客-発句、杜国-の亭主-脇、重五-に対する、合せて芭蕉に対する二重のねぎらいがここでの作分だと気付けば、「五形」「六反」の思付は卓抜な気転だとわかる。
あるじが花見次郎と仰がれる御仁ともなれば、五人で蓮華草を摘む遊に六反の畠を提供してくださる、と読めばよい。ゲンゲが緑肥・飼料として盛んに栽培されるようになったのは江戸時代になってからである。
五吟による歌仙は-三十六句-は七巡と一句余る。通例、初折の表六句目に執筆の座を設けるが、いずれにせよ五吟の歌仙には六名の参加を必要とする。単なる数字の序列だけで五を六につないでいるわけではない。当句の趣向は絶妙の思付だと合点がゆくだろう。
ゲンゲは仲乃至晩春の季、今の歳時記では「紫雲英」として掲げ、「五形花-ゲゲバナ-」、「蓮華草」を傍題とする。五形のゲンゲは本草書や辞書には見えず、固有の方言でもない。これまた先の霽-シグレ-と同じ新在家文字と見做してよかろうが、いろいろ調べてみても杜国に先立って遣われた例が見つからない。どうやら「五形」は五人を云わんがために、芭蕉の「霽」にあやかって思付いた杜国らしい作り字の工夫だったらしい、と。
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