<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>
「灰汁桶の巻」-17
何を見るにも露ばかり也
花とちる身は西念が衣着て 芭蕉
西念=ありふれた凡僧を呼ぶ通名。西念坊
次男曰く、裏十一句目は初折の花の定座。四季に執成せる「露」を見込んで、雑の句を挟まず秋から春への季移り-花の露-に作っているが、「何を見るにも」をとがめて「-ちる」と無常に治めた二句一章である。
下敷は「願わくば花の下にて春死なむその如月の望月の頃 -西行-」、「西念」は西行のもじり、と誰にでもすぐに気付かせる点、芭蕉にしては浅きに過ぎる作りと云えば云えるが、じつはその浅さ、平明さが次座の興の取出しを自由にしたのだ、ということが凡兆の次句を読めばよくわかる。奪うよりも奪われ上手の俳諧師だとあらためて感心させられる、と。
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