―四方のたより―神沢師の七回忌近く
神沢師が逝かれてはや6年が経とうとしている。その命日、9月6日に学園前の稽古場で法要を兼ねてのイベントが企画されているようで、もう十日ほど前か、書面の案内が寄せられている。
曰く「アンティゴネー」上演会、とか。
「父は生前、ギリシア悲劇の『アンティゴネー』を上演する意図を持っていたようです。最初の舞踊公演にギリシア悲劇にちなんだ『山羊の歌』というタイトルを賦し、またギリシア悲劇の名作の中でも『エレクトラ』『トロイアの女たち』『メディア』といった女性を中心にした作品を上演してきましたから。この思いは確かにあったのでしょう。父のそんな「思い残し」を、一つの作品にしようというのが私の気持ちです。」と子息和明氏は書面のなかで言っている。
また「創作の場であった<神沢創作舞踊研究所>の稽古場で、所縁の者たちが<神澤和夫>を観客にして上演する」あるいは「演じるのも観るのも、研究所に関わった人たち。研究所、稽古場にこだわった、私的な企画です」というあたりから類推されてくるのは、遺された者たち、とりわけ茂子夫人にとってのいっさいのけじめ、となるべきものであろうかと思われる。
神澤師の記憶が、それぞれの心の中にどのように生きていようとも、神澤和夫の仕事、それはなによりもまず協働者たる茂子夫人の舞踊いっさいを含み込み、さらには彼とシンクロナイズした同伴随伴のもろもろの者たちすべてを内包したものとして、七回忌を機に、その壮大な歌仙は、この企画「アンティゴネー」上演の会をもって挙げ句とされなければならぬ、そういう強い意志が和明氏を貫いているように見受けられるのだ。
<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>
「空豆の巻」-33
山の根際の鉦かすか也
よこ雲にそよそよ風の吹出す 孤屋
次男曰く、「かすか」なものは「そよそよ風」だと、承けて作っている。「吹出-ふきいだ-す」が蛇足のようだが、「やみにけり」では起情に水を差すし、「面白う」では乗りすぎる。五七五遣句のことばづかいの落着くところは「吹出す」あたりか。
「よこ雲」は「山の根際」との釣合、と。
―四方のたより―今日のYou Tube-vol.42-
四方館DANCE CAFEより
「出遊-あそびいづらむ-天河織女-あまのかわたなばた-篇」Scene.4
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