またひとつ墜ちむとするや阿呆鳥‐記
こんな同窓会もある、‐あった。
「40年目の再会、それぞれの来し方行く末」
神沢先生急逝を悼み、
阪神優勝に元気を貰った40年目の再会。
2003.9.23‐市岡高校15期会同窓会報告記
神沢さんが死んだ。‐
2月の幹事会からはじまり、毎月のように会合を重ね、順調に準備を進めてきた高校15期会の同窓会開催に、驚天動地、突然の暗雲が垂れ込めた。卒業後40年の記念開催に講演をお願いしていた神沢先生の訃報が届いたのである。9月7日、日曜日の朝だった。前日の夕刻、入院先で家族のみに看取られての臨終だったという。享年74才。考えられない悲報であった。5月にお願いにお伺いした時は、あんなに元気だったじゃないか。昼過ぎから夕刻まで、独り舞台のように喋りつづけていた。7月の時だってそうだ、咳がでて仕方ないんだと云いつつ、先と同様、夕刻まで神沢節の独壇場はつづいた。入院すると聞き、駆けつけた時も、「なに、検査入院だから心配するな。15期会には行けるさ、きっと行くさ。」なんて、神沢さんらしくまだ強がっていた。だから、ひょっとすると出席できなくなるかもしれない。そのときはせめて録音で挨拶くらいは貰わないといけないな、とは思っていたけれど、まさかこんなに急に逝ってしまうなんて、まったく想像の埒外だった。葬儀は密葬に近いかたちで粛々と執り行われ、9月10日付、新聞各紙に訃報記事が掲載され、広く知られるところとなった。9月23日の開催を前に、もう二週間しかない。神沢さんの話を楽しみに来る者もきっと大勢いる。訃報を知らないで来る者もいるだろう。あろうことか講演のタイトルは「神沢流老いの流儀」だったのである。さてどうすべきか。講演に代えて追悼のセレモニーをするしかないが、同窓会という性格を考えると仰々しくはすべきでない。短かい時間で、しかも神沢さんの晩年の日々を、出席者に相応に伝えることができ、それぞれの思いで偲んでもらう。そんな仕掛けが必要だ。さてどうしよう? なにができる?
‐40年目の再会‐
― 総会、追悼、講演、そして記念撮影。
9月23日、リーガロイヤルホテルの山楽の間。明るく楽しい話題で一杯だったはずの企画が、一転、悲哀と愉快の交錯する宴となった。開場前、受付では16頁立てのプログラム冊子と12頁立ての神沢先生追悼の栞が配布される。会場に入ると懐かしいフォークダンスの曲が流れている。まもなく曲が変わって音が大きくなる。おっ、今度は校歌だ。12時ジャスト、開会。司会のK嬢(?)の声はあくまでも明るく会場に響く。総会として、本会開催に至る経緯や会計報告、100周年記念植樹の事など、代表幹事T君の報告の後、拍手で諒承。次に追悼のセレモニー。今は亡き神沢先生の声が、15期生諸君へと、入院中自ら録音されたという、病臥の喘ぐような声が流れ、場内は一瞬しんと静まりかえる。最後に神沢さんの遺した一遍の詩を朗読。嘗ての市岡名物教師たる颯爽とした姿が参加者たちの胸にほうふつと蘇ったことだろう。神沢先生の急逝に対し、併せて、すでに物故された12名の同期生たちへ、黙祷を捧げること数十秒。哀しく重い気分が会場を包んだ後、一転、えっ、六甲おろし! いえいえ冗談じゃありません。大真面目に六甲おろしのイントロにのって登場いただいたのは、高校11期生でもある前阪神球団社長の高田順弘さん。社長当時、野村監督を招聘、闘将星野へと礎を築いた方で、いま関西を元気にしてやまない阪神タイガースの面白秘話をご披露戴こうと、先輩後輩の誼に甘えてお出まし願ったのです。約20分、後半は優勝後の選手達の年俸問題や、阪神グループへの経済効果など、話も佳境に入って我々聴衆も愉しく拝聴。これで無事第一部の終了。二部へのつなぎにみんなで隣の間に移動して記念撮影。同期のN君(プロの写真屋さんです)の指揮のもと、百名余りの初老軍団とご長寿恩師連がにぎやかに雛壇に居並び、見事カメラに収まりました。
‐それぞれの来し方・行く末‐
― 心を洗う愉快な宴に。
あらためて 会場に戻るとオクラホマミキサーの曲が聴こえる。フォークダンス定番の懐かしいあれ。二部懇親会の冒頭は、来賓恩師方11名が壇上に並び、順々に一分間コメントを頂戴する。失礼千万な処遇ではあるが、時間の都合上致し方ない。周到、長広舌必至のお方にはタイムアウトを宣告する鐘を用意してある。司会のK嬢、遠慮なく鳴らすこと頻り。そのたびに会場はどっと沸く。お蔭でもう和やかムードだ。乾杯の音頭は1組担任の難波先生。8?才、矍鑠として明鏡止水の境、善哉々々。乾杯が終わると、お待ちかね、飲む・喰う・喋るのフリータイム。ビュッフェ方式だけれど、今回は立食ではなく椅子席だから、ゆったりと落ち着いた気分。BGMはいま流行りの女子十二楽坊だぜ、知ってるかい? 照明も明るいし、雰囲気も明るく愉しげだ。あっという間の30分が過ぎて、ゲストタイムへ。もう少しゆっくりさせてくれ、と云う声が聞こえそうだが仕方がない。場内の明かりが落とされ、舞台にはスポットに照らされて関西二期会の歌い手さんの登場だ。オペレッタの名曲から2題、それに落葉松という日本の曲。メゾソプラノの朗々と響く歌声に喝采しきり。まったくこの同窓会、粋な趣向だね。続いてリクェストトーク。同期の桜、あらかじめ選抜の4人、それぞれの来し方・行く末などを拝聴させていただこうという企画。K君には東京市岡会のことなどを。農を行として生きようと、炭焼の暮しをつづけるM君。未亡人になったのを幸いに、世界をまたに駆けて独り旅をたのしむUさん。職業柄、お得意の火星にまつわる話を披露してくれたW君。高校入学の折は前代未聞の定員割れで、上にも下にも肩身の狭い思いをした15期生だが、これで結構多士済々なんだよ。まだまだイカした奴は居るんだぜ、って心のなかで呟く。さあ、宴もたけなわ、最後にもう一つ、愉しいことをしよう。思い返してごらんよ、市岡時代はやたらと仲の良いカップルが目に付いたものだ。その同期生カップルがそのまま目出度くもゴールインして、40年を経た本席に3組ご出席あそばした。これを酒肴にしない手はないと、みんなでお祝い申し上げることにした。題して、永年の二人三脚を寿ぐ。T夫妻、N夫妻、Y夫妻と各々壇上に上がると、能書家のNさん直筆の色紙がまるで表彰の儀式よろしく各々に授与される。司会のN嬢は冷やかし半分のインタビューで客席を沸かせる。ま、およろしいこって、いつまでもお幸せに、が半分。だけど40年余りもさぞ大変だったろうね、ってのが半分かな。そんなこんなでやっと中締めまでたどりついた。締めの挨拶をKさんがして、お定まりの校歌斉唱は、S君を筆頭に柔道部連の登場だ。おいおい7.8人も舞台に上がったぜ。柔道部は全員お揃いだったのか、いつまでもいいチームワークだね、ちょいと吃驚。全員で歌って拍手のうちにお開き。あーあ、盛り沢山の3時間だったね。幹事連には裏方のお役目ほんとにご苦労さま。
さあ、お次は二次会々場へ、みなさんお誘い合せてどうぞ。
三年後か、はたまた五年後か、
今回出席の人も、残念ながら出席できなかった人も、
次の機会にお逢いできるのを楽しみに!……
時々お訪ねいたしますのでよろしく願います。