山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

はかなさをわが身の上に‥‥

2005-11-05 18:47:30 | 文化・芸術
Nakahara050918-020-1
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-今日の独言-

<納音=なっちん>
 山頭火の俳号は納音(なっちん)から採られたことはご承知の向きも多いだろう。その種田山頭火が自由律俳句へと参じ、彼より年少ながら師匠格となったのが「層雲」を主宰した萩原井泉水だが、その俳号も同様に納音である。ご存知だろうが、本来、納音とは運命判断の一種で、十干十二支(=六十干支)に五行(=木火土金水)を配し、これに種々の名称をつけ、生年や月日にあてて運命判断をするものである。萩原井泉水の場合は1884年生れで、納音が井泉水にあたるので、これを俳号としたのだが、山頭火の生れは1882年で、納音は白鑞金にあたり矛盾する。どうやら山頭火は語彙・語感からのみこれを好んで採ったようである。もし仮に生年の納音どおり白鑞金と号していたら、遺された句の世界も些か異なっていたのかもしれない。
山頭火とは、山頂にて燃えさかる火。非常に目立った存在で、優れた知性を持ち、人を魅了する。
白鑞金とは、錫(すず)のこと。金属でありながら柔軟であり、臨機応変に姿を変えることができる。
 因みに私の生まれ年の納音は井泉水で、生年月日の納音は揚流木にあたるらしい。
井泉水とは、地下から湧き出る井水。日照りでも枯れることの無い豊かさと穏やかさを持つ。
揚流木とは、柳の木のこと。向上心は旺盛だが、流れに逆らわず、従順で素直な面を持つ。
 ―― 納音の解説はコチラのサイトを参照
    http://www.freedom.ne.jp/inukai/cgi-bin/setumei.html


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-24>

 はかなさをわが身の上によそふれば袂にかかる秋の夕露
                                 待賢門院堀河


千載集、秋。詞書に、崇徳院に百首の歌奉りける時詠める。平安後期の院政期を代表する女流歌人。
露のはかなさは、たとへば我が身、我が命の儚さそのまま。そう思えば夕暮の冷やかな露、否、悲しみの涙は袂を濡らす。
邦雄曰く、初句にあるはずの露を消して、余韻を生んだ。歌のなかから光り出るものがあるかの如く、と。


 もれそめし露の行くへをいかにとも袖にこたへば月や恨みむ
                                 足利義尚


常徳院詠、寄月顕恋。8代将軍足利義政と日野富子の子、9代将軍となるも24歳で早世。
邦雄曰く、題も「月に寄せて顕わるる恋」などと趣向倒れ一歩手前。恋も歌の表から可能な限り隠して「露の行くえ」「月や恨みむ」に托し、間接話法の粋をみせる技巧は、弱冠18歳と思えぬ老成振り。上句と下句のかそけきほどの脈絡も見事な技巧、と。


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ともにこそあやしと聞きし‥‥

2005-11-04 13:47:03 | 文化・芸術
051023-157-1
Information<四方館Dance Cafe>

-今日の独言-

子どもたちの甲高い声が鳴り響いている。
今は四時限も終わって給食の時間なのだ。
ベランダの洗濯物には秋の陽射し。
遠い雲は白々と霞み、先刻までの微風もはたと止んで、
子どもたちの声が遠ざかる。
きっと給食を終えて、みんな運動場へ飛び出していったのだろう。
二車線の、さして広くもない道路を挟んで、対座している
加賀屋東小学校の校舎と高層マンション五階の我が家。
クルマが一台、かなりのエンジン音をたてて、西から東へと通りすぎていった。
あれは、きっと、
このあたり便も少なくなった、市バスにちがいない。
子どもたちの声は、やはり、遠くなったままに、
時折、みじかい歓声の尻尾だけが、耳に届く。


と、時報が鳴った。
さて、いまから、なにをしようか。


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-23>

 ともにこそあやしと聞きし夕べなれはかなやひとり露も忘れぬ
                                 三条西實隆


雪玉集、秋恋。
邦雄曰く、初句「ともに」と第四句「ひとり」の間に、二人の愛は流れ、移ろった。記憶は消えず、秋がまわれば涙を誘われるのだ。溢れる思いと言葉を削り、つづめにつづめて、最後に残った三十一音。優に一篇の、あはれ深いロマンを創りうるような、豊かな背景を思わせる、と。


 おほかたの露には何のなるならむ袂に置くは涙なりけり
                                 西行


千載集、秋、題知らず。
草木に置かれた朝露夕露は大空の涙か、わが袂に降るのは人の世に生きるゆえの悲しみの露か。
邦雄曰く、秋思の涙と解するのが通説だが、もっと広く深く、無常に通ずる思いであり、それも秋なればと考えよう、と。


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東雲におきて別れし人よりは‥‥

2005-11-03 17:11:11 | 文化・芸術
N-040828-027-1
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-今日の独言-

ヴェネチアで生まれた文庫本
 塩野七生の「ローマ人の物語」が三年前から文庫化されはじめてすでに23冊まで発刊されているが、その第1冊目「ローマは一日にしてならず」の前書に、こういった文庫形式の書は今から500年も遡るルネサンス期のヴェネチアで生まれ出版されるようになった、と紹介されている。印刷技術を発明したグーテンブルグはドイツ人だったが、この発明がもっともよく活かされ広く普及したのは、ルネサンス発祥の地イタリアであり、とりわけ当時の経済大国であったヴェネチア共和国で企業化され、文字のイタリック体の考案なども経て、持ち運びに苦もない書物の小型本化も進んだという。17世紀初めには現在のようなポケット版が生まれ、またたくまにヨーロッパ各地に広まったというから、我ら東方世界との落差にあらためて驚かされる一事。


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-22>

 やどり来し野原の小萩露置きてうつろひゆかむ花の心よ   肖柏

春夢草、秋、野萩。15世紀後半~16世紀初期の人。宗祇に師事し、和歌・連歌を学ぶ。旅の途次、野原に仮庵を結んで幾日かを過ごしたが、そのあいだ親しんだ小萩の花は、秋の深まりとともにやがて色褪せてしまうかと思い遣る趣向か。邦雄曰く、初句「やどり来し」を、第四句「うつろひゆかむ」が発止と受け、「小萩露置きて」には結句「花の心よ」が響き合う。この呼吸、連歌で緩急を心得た技か、と。

 東雲におきて別れし人よりは久しくとまる竹の葉の露   和泉式部

玉葉集、恋。陰暦八月の頃訪れて来た人が、露置く竹の葉を描いた扇を忘れていったので、暫くしてから、この歌を添えて返してやった、という意の長い詞書があるそうな。邦雄曰く、まことに穿った、巧みな贈歌であり、忘れ扇が故意ならば見事な返歌と言うべきか、と。

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散らば散れ露分けゆかむ‥‥

2005-11-02 18:35:37 | 文化・芸術
Nakahara050918-016-1
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-今日の独言-

JulyとAugust
 ユリウス・カエサル(Juliuss Caesar)が暦のJulyにその名を止めたのはつとに知られたことだが、そのカエサルが制定した太陽暦としてのユリウス暦は、ローマで紀元前45年から採用され、以後、より誤差の少ないグレゴリオ暦が制定される16世紀までの長い期間、ヨーロッパ世界に普及していたことになるから、彼の誕生月にその名を残しているのも肯けようというもの。もう一人、カエサルの後継者でローマ帝国の初代皇帝となったオクタヴィアヌス(アウグストゥス=Augustus Caesar,)もAugust=8月にその名を止めるが、そこに面白いエピソードが一つ挿入されていた。それまで8月は小の月で30日だったのを、7月と同じ大の月として31日に変えさせたのだという。理由は勿論、カエサルの7月より自分の月が一日少ないのを嫌ったからで、他の月を一日削って調整したらしい。カエサルの場合は決して自分から望んで名を残したのではなく、彼の死後、贈られたものだが、後塵を拝する権力者というものはその偉大さを競うあまり在世のうちにそれを欲したがる。同じような歴史的事象にも表と裏ほどに実相は異なることに気づかされるのは愉しいことだ。


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-21>

 散らば散れ露分けゆかむ萩原や濡れての後の花の形見に
                                 藤原定家


拾遺愚草、上、秋。定家27歳の詠。狩衣の袖をひるがえして颯爽と、花盛りの、露もしとどな萩原を分けて歩む若き公達の姿は、無論自身の投影だが、邦雄曰く、若書きの烈しい息遣いが命令形の初句切れにはじまる快速の調べにも、顕わなくらいだ、と。

 頼まずようつろふ色の秋風にいま本荒の萩の上の露
                                 藤原家隆


壬二集、恋、恋歌あまた詠み侍りし時。藤原俊成を師とし、俊成の子定家と並び称された。「本荒-もとあら-の」は、根元もまばらなの意。そんな萩の露のようにひと思いに散るなら散ってもよい。秋風と共に移ろう人の心などもうあてにはせぬ、とやや捨て鉢に愛想づかしをする。邦雄曰く、技巧的でしかも激情をひしひしと伝えるところ、家隆の特色か、と。

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なげくかな秋にはあへず‥‥

2005-11-01 10:33:15 | 文化・芸術
051023-008-1
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-今日の独言-

ガリア戦記のカエサル
 さすがに、ガリア戦記のカエサルはおおいに読ませてくれる。塩野七生の「ローマ人の物語」シリーズ「ユリウス・カエサル」(文庫本)はルビコン以前、ルビコン以後を各々上・中・下に分け6冊になっているが、現在4冊目を読み進んでいる。
著者自身、本書に記すように、西ヨーロッパの都市の多くがガリア戦記に描かれたローマ軍の基地を起源としていることがよくわかる。後年、カエサルは、退役する部下たちを、現役当時の軍団のままで植民させるやり方をとったから、彼らが軍務で身につけた土木・建設の技術力に加え、共同体内部での指揮系統まで整った形で都市建設をはじめることになり、彼らのまちづくりが、二千年後でも現存することになった、という。
古代ローマを中心にしたヨーロッパの形成が絵巻物世界のごとく綴られてゆくのを享受する醍醐味はなかなかのものだ。


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-21>

 葛はうらみ尾花は招く夕暮をこころつよくも過ぐる秋かな
                                 夢窓国師


正覚国師御詠、暮秋を。秋風に靡いて葉裏を見せる葛と、人を誘うように揺れて手招く薄の、いずれも無視しがたい強さで迫ってくる情意を、潔く、きっぱりと振り切って秋は通り過ぎてゆく。邦雄曰く、葛・尾花・秋三者の擬人化は微笑ましいくらい整っており、秋を男に見立てているのであろう、と。

 なげくかな秋にはあへず色かはる萩の下葉を身のたぐひとて
                                 宗尊親王


竹風和歌抄、萩。13世紀中葉、後嵯峨天皇の皇子。続古今集には最多入集。邦雄曰く、結句にあるべき言葉をわざわざ初句に置き換えたような、訥々とした調べがめずらしい。我が身もまた凋落の秋に遭い、免れがたく移ろっていく歎き。口篭るように「とて」で終る、むしろ余韻を残さぬのも一つの味であろう、と。

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