山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

見渡せば花も紅葉もなかりけり‥‥

2005-11-10 00:15:44 | 文化・芸術
Nakahara050918-035-1
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-今日の独言-

やはり複雑怪奇、大阪市長選挙
 13日告示、27日投票予定の大阪市長選挙に、やっと第三の候補者が登場した。出馬表明したのは民主党前衆議院議員の辻恵氏。東京弁護士会に属する弁護士で、03年11月の衆議院選挙で大阪3区から民主党公認で立候補し、惜敗率高位により比例区で復活当選した人。9月の郵政解散による総選挙で雪崩をうって惨敗落選した民主党議員の一人だ。当然、独自候補擁立を模索していた民主党の推薦候補かと思いきや、民主党大阪は一枚岩にまとまらず、公認も推薦もないとのことで、本人は離党してあくまで無所属で立つ。民主党大阪の国会議員たちは辻支援に廻るというが、民主党市議団は自主投票を決め込んで、その多くは市職労組との癒着批判を避け推薦依頼を忌避している関前市長を支援する模様だというから、市政内部の錯綜混沌ぶりは深刻で、この選挙、市民の眼には相変わらず争点もはっきりしてこない。市民レベルで候補者擁立を模索してきた市民団体「見張り番」らが主導の「大阪24区市民連絡会」は、辻恵氏の出馬意志を歓迎し、急遽、推薦することにしたが、さて、これから選挙本番に向けて、冷え切った市民の関心をどこまで喚起できるか。



<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-28>

 問へかしな浅茅吹きこす秋風にひとり砕くる露の枕を  俊成女

新勅撰集、恋。詞書に、恋の歌あまた詠み侍りけるに。新古今の華、定家の姪である。
邦雄曰く、この歌、家集中の「衛門督の殿への百首」即ち、自分を棄てた夫、源通具への綿々たる思いを綴った連作のクライマックスをなす一首。閨怨の情趣が濃厚である、と。


 見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮  藤原定家

新古今集、秋上。詞書に、西行法師すすめて、百首詠ませ侍りけるに。定家満24歳の二見浦百首の秋。邦雄曰く、西行の「鴫立つ沢」、寂蓮の「槙立つ山」と共に「三夕」の一つであるが、他とはまったく趣を異にする凄まじい否定の美学をもって聳え立つ一首。春秋の美の粋もないと、舌打ちするかに詠い払った三句切れは、逆に花と紅葉を鮮やかに幻に描き出してたちまち消える。源氏物語「明石」の面影を写している、と。

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先づ座敷を見て、吉凶をかねて知る事

2005-11-09 13:04:57 | 文化・芸術
051023-050-1
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風姿花伝にまねぶ-<18>

問答条々-1
 問ふ。抑、申楽を初むるに、当日に臨んで、先づ座敷を見て、吉凶をかねて知る事は、いかなる事ぞや。
 答ふ。此事、一大事也。その道に得たらん人ならでは、心得べからず。


能舞台には、嵐窓と称する連子窓があり、見物席の様子を鏡の間から覗くことができるようになっている。会場の雰囲気を窺って、その日の舞台が成功しやすいか否かを見定め、いかに対応するかを思案するのは、一座の長の重い役目でもあろう。まずは、見物席が静まること、見物の心が一つになって、今や遅しと心待ちとなる頃合を捉えて、幕を上げ、シテの登場となれば、「万人の心、為手の振舞に和合して、しみじみとなれば、何とするも、その日の申楽は、早やよし」ということになる。
かように<場>を心得る、ということについて、世阿弥は「夜の申楽」と「昼の申楽」を陰陽の論理を用いて演じ分けるべし、と説く。夜の申楽ではとかくしめりやすいから、初めが大切。初めに侘しくしめりこんでしまえば、いかにも立ち直りがたい。陰の気の支配しがちな場には、営為ある陽の活力を、陽の気の支配しがちな場には、物静かな心を満たした陰の気を配し、陰陽の和に心配ることが成功の秘訣だ、という。


――参照「風姿花伝-古典を読む-」馬場あき子著、岩波現代文庫

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染めやらぬ梢の日影‥‥

2005-11-08 23:02:29 | 文化・芸術
Nakahara050918-082-1

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-今日の独言-

小学校時代の恩師を訪ねる
 今日の午後は、小学校の恩師宅へ初めての訪問。藪から棒の如く昨日電話を入れてのことだが、さぞかし驚かれたことであろう。逢うのは二年半ぶり、というのも一昨年の春の同窓会以来という次第。その折、次回の幹事役を押しつけられる羽目になったので、三年後あたりに開くとすれば、喜寿のお祝いを兼ねてのことにしましょうか、などと話し合っていた。来年の春にせよ、秋にせよ、喜寿を祝うなどと構えるとなれば、些か仕掛けも必要かと思い、せめて恩師の個人史的なプロフィールぐらいは紹介できる形が望ましかろうと、その取材のため突然のお邪魔をと思い立ったのである。
先生は昭和5年生れの満75歳。20年ほど前に胃潰瘍で2/3の摘出手術をしたというが、術後はなんの問題もなくいたって健康そのもの。夫人にも初めての御目文字だったが、まことに気安い方で昔談義に興じると話題も尽きず口跡滑らか。およそ三時間、話題はあれこれと飛び交いつつ、たっぷりとお聞かせいただいて、はや釣瓶落としの夕刻ともなったので、名残りを惜しみつつ辞去してきた。
宿題ひとつ、そう慌てることもないけれど、年明け頃にはモノにしておきたいと思っている。


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-27>

 浅茅原はかなく置きし草のうへの露を形見と思ひかけきや
                                 周防内侍


新古今集、哀傷。平安中葉、白河・堀河期。白河帝中宮賢子は応徳元年九月薨去。その御殿は荒れ草ばかり茂っていたが、七月七日は梶の葉に歌を書く慣わしあり、童子が硯に、草の葉の夜露を取り集めているのを見て、という意味の長い詞書が添えられている一首。その露が27歳ばかりで早逝した中宮賢子の形見だったとは思い及ばなかった、と詠っている。邦雄曰く、並々の贈答歌とは異なる、澄み透ったあはれがにじむ、と。

 染めやらぬ梢の日影うつりさめてやや枯れわたる山の下草
                                 永福門院内侍


風雅集、秋下。室町中葉、伏見院の女御永福門院に仕えた。第三句「うつりさめて」の字余りのたゆたい、四句「やや枯れわたる」の微かな限定。邦雄曰く、自然観照の細やかさ、一首の微妙な時刻の移ろい、山野の眺めの照り翳りは特筆に価しよう。草紅葉することもなく、枯れ草となっていく、秋の終りの山ふところの八重葎の原の幻が、墨絵のように浮かぶ、と。

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荒れわたる秋の庭こそ‥‥

2005-11-07 22:53:44 | 文化・芸術
051023-025-1
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-今日の独言-

市町村合併に伴なう地名破壊
 平成の大合併が進み、それに伴なって地名破壊も日本中に拡がっている。
合併特例法の大号令で、1999年3月末に3232だった全国の市町村数は、来年3月末には1821に減る見込みだそうだ。総務省は、合併の功罪を検証し、今後の課題や合併推進策を探る研究会を発足させる、という。ここ両三年の合併履歴はコチラのサイトで見られる。栃木県に「さくら市」という名の市が誕生して、物議を呼んでいる。あまりにも地域の特定性がない、という訳だ。合併に伴う新地名選定には、昔から連綿と継がれてきた歴史的地名があまりにも軽んじられていると歎き、消されゆく地名の大洪水に、これはある種の文化的大破壊だ、と怒りの声をあげる批判の書も出版されている。だが、残念ながらこういうことは今に始まったことではなく、明治維新の近代化以来、国の号令のもと何回かの大合併が取り組まれてきたし、また戦後60年を見ても、市町村合併とは別に、各地方自治体では、利便性を求めた町づくりのために、区画整理事業をかさねて、たえず由緒ある旧地名は抹消されてきたのである。歴史的事象といえどもつねに文明の濾過器にふるいにかけられ、歴史は再創造されてゆく、或は、捏造されてゆくのだ。歴史と文明という座標の変容のなかに棲みつづける人間社会というものは、所詮はそんなものではないのかというのが、私の思うところだが‥‥。
 ―― 平成の大合併履歴サイト 
 ―― 合併で進む地名破壊サイト


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-26>

 荒れわたる秋の庭こそあはれなれまして消えなむ露の夕暮
                                 藤原俊成


新古今集、雑、千五百番歌合に。
邦雄曰く、上三句に「あ」の頭韻を押し、冷え侘びた調べに明るみを添えたあたり絶妙。時に作者、87歳、三年後の死を思わせつつ澄み渡った心境、と。


 風吹かばなびく浅茅はわれなれや人の心の秋を知らする
                                 斎宮女御徽子


後拾遺集、雑、題知らず。平安初期、醍醐天皇第4皇子重明親王の娘。
邦雄曰く、冷やかにしかも渺茫とした心のなかの眺め、「われなれや人の心の秋」の神韻ともいうべき調べは格別、と。


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いづかたにしをれまさると‥‥

2005-11-06 23:47:38 | 文化・芸術
Nakahara050918-085-1

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-今日の独言-

35歳の初志貫徹
 私は将棋や麻雀など勝負事はからきしダメなのだが、35歳のアマチュア棋士がプロ資格への挑戦をして、晴れて四段棋士となったニュースには他人事ながら快哉の声を上げたい。一旦は26歳で立ち塞がるプロ資格の壁の前に挫折して、苦節十年、その熱意と辛苦は、資格規定の定法を破ってまでの異例の挑戦となり、執念のプロ入りを果たした快挙は、近頃滅多に出会えぬ、人として生き抜くことの範に値する。


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<秋-25>

 いづかたにしをれまさると有明に袖の別れの露を問はばや
                                 後崇光院


沙玉和歌集、別恋、詞書に、永享四年二月八幡社参じて心経一巻書写してその奥に。室町後期。後朝(きぬぎぬ)の名残りを惜しむ涙を「袖の別れの露」とした。冷え冷えとした暁の薄明りのなかに別れてゆく二人の姿が浮かぶ。邦雄曰く、技巧を凝らした構成の、殊に結句の吐息に似た響きが佳い。身は皇族に繋がりながら終生不遇であった人の、詞に懸けた凄まじさを、と。

 思ひ入る身は深草の秋の露たのめし末やこがらしの風
                                 藤原家隆


新古今集、恋、水無瀬恋十五首歌合に。恋に深く心を沈めた我が身は、深草に宿る秋の露か。頼みとしえたはすでに過去のこと、果ては木枯しの風に吹き散らされる儚き定めか。邦雄曰く、上・下句共に体言止めの、ひたと対峙して響き合う文体、しかも惻々と心に沁む趣き、と。

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