山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

家にありし櫃に鍵刺しおさめてし‥‥

2007-07-23 16:28:24 | 文化・芸術
Takenohana

-四方のたより- 異邦人の長い一日

昨日(22日)は例によって稽古で、帰宅後に図書館に予約本を引き取りに出向いた以外は定番コース。
一昨日の土曜はあるコンサートに「きしもと学舎の会」のブース出店のため、いまにも降り出しそうな空模様のなか、朝早くから播麿中央公園まで出かけた。まずは宝塚の岸本宅へ立ち寄り、めずらしく早い食事を済ませた彼を車に乗せて、ヘルプの境目君と岸本の古くからの知友坂本和美君と緊急参加の谷口豊子さんの総勢5人となったから、往きも帰りも窮屈至極のドライブ移動。
当初から300も集まれば御の字かと決め込んではいたものの、コンサート会場の客足は予想以上の低調ぶりで、消耗戦覚悟だったとはいえ、若者たちの集うコンサート会場に紛れ込んだ我々5人の異邦人たちにとって、まさにそのとおりの長い一日となった。救いはお互い初めての顔合わせもあり、それらがひとつことの協働作業に一日を費やして時を過ごしたことの、五人五様に事情は異なろうともいくらか新鮮な匂いがあったかに思えることだ。
それにしても、隣に陣取った「Wajju-和聚」なるブースに寄り集う若者たちの群れのノーテンキな健全さには些か閉口させられた。どうやら彼らはなべて神戸に本社を置く人材派遣会社「ガイアシステム」が関係するボランティア団体らしく、中核はみんなその会社の社員のようだった。
若いイベントスタッフたちもまたそうだったが、彼らはみな一様に明るくかつ自己中心的としか映らない。「出会い」を謳い「発見」を唱えるが、その出会いも発見も予定調和的で、彼ら自身の限られた狭い枠のなかでしかないから、此方と通じるような回路の見出だしようもない。
フィナーレ近く、主催となっている歌手のステージが始まったあたりで、我々異邦人たちは早々と帰り支度をして車に乗り込んだ。帰路、岸本の自宅近くのレストランに立ち寄り、ゆっくりと会食をしたのが異邦人たちの長い一日の慰めのひとときとなって、お互いやっといつもの自分に戻り得たような気がしたものだ。


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋-76>
 恋ひ侘びてうち寝るなかに行きかよふ夢の直路はうつつならむ  藤原敏行

古今集、恋二、寛平御時、后の宮の歌合の歌。
邦雄曰く、現実には逢い難い愛人の許へ、夢のなかでのみは通う路がある。「直路(ただじ)」、直通するたのもしい通路が覚めての後の日常にもあったらと、詮ないことを願う。恋する者の切ない心であろう。古今集には、この歌に並べて百人一首歌「夢の通ひ路人目よくらむ」が採られている。定家は後者を「花実よく相兼ねたる」と称揚はしたが、如何なものか、と。


 家にありし櫃に鍵刺しおさめてし恋の奴のつかみかかりて  穂積皇子

万葉集、巻十六、由縁ある雑歌。
邦雄曰く、愛の道化師、恋の奴隷を幽閉しておいたが、無益なこと、いつの間にか脱出して、主人に挑みかかる。当然のことであろう。それこそ今一人の自分であったものを。穂積皇子は、この歌を宴席で酒が最高潮になった頃、好んで歌ったと註している。戯歌ではあるが、このやや自虐的な修辞には、かえって作者自身の、隠れた感情が躍如としている、と。


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人知れず逢ふを待つ間に恋ひ死なば‥‥

2007-07-21 23:47:07 | 文化・芸術
Alti200419

-世間虚仮- 進学校と優秀生徒の「名義貸し」

予備校にしろ私立の進学校にしろ、少子化の進行で生徒確保のしのぎを削る競争はよほど深刻化しつつあるのだろうが、「関関同立73人合格、実は1人」と、有名大学への合格実績がこんな形で大量に水増しされていたとは、驚き入って開いた口がふさがらない。これでは公共事業の入札・請負などによく問題となる「名義貸し」とまったく同じではないか。
昨日付の読売新聞の報道では、大阪市内住吉区の私立学芸高校の学力優秀な一人の生徒に、学校側が受験料を全額負担し、06年度の有名私立関関同立の全73学部・学科にすべて出願させていたというのだ。といっても、センター試験の結果のみで合否判定をする制度を利用してのものだから、この生徒がいちいち実際に受験する必要はないわけで、謂わば生徒の名義貸し、学校側からいえば名義借りということだ。結果はすべて合格で、受験費用は計130万円也。さらにこの生徒側には5万円也と数万円相当の腕時計を贈答していたというから、畏れ入谷の鬼子母神。この生徒は国公立が第一志望で、実際はこれに合格し進学したらしい。
この学校では5年前から、関関同立などを受験する生徒の受験料を負担する制度を設けており、規定は非公開で一部生徒だけに告げられる、とも報じられている。
優秀な生徒の名義借りが常習化しており、この水増し合格で進学校としての偽装を図ってきたわけだが、これも氷山の一角、決してこの高校だけではないだろう。新興の進学校はおそらく大同小異だろうし、老舗の有名進学校だって、いくらか疑ってかかる必要があるかも。


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋-75>
 うつつこそ寝る宵々も難からめそをだにゆるせ夢の関守  後鳥羽院

続拾遺集、恋二、千五百番歌合に。
邦雄曰く、四句切れ命令形「そをだにゆるせ」がまさに帝王調、悠々としてしかも情趣に富む。歌合では、右が定家の「思ひ出でよ誰がきぬぎぬの暁もわがまたしのぶ月ぞ見ゆらむ」。顕昭判は当然表敬の意も込めて左勝だが、実質は力倆まさに伯仲した「良き持」の番。院の剛直な急調子も快く、定家の凄艶な言葉の響きと彩も、いつもながら圧倒的である、と。


 人知れず逢ふを待つ間に恋ひ死なば何に代へたる命とかいはむ  平兼盛

後拾遺集、恋一、題知らず。
邦雄曰く、恋に生きるこの命、それも逢い、契ってこその命、未だ逢うこともなく、秘かに思い続けて、機を待つばかりで、その間に焦れ死んでしまったらなんの甲斐があろう。命に代えて必ず逢おう。一筋の恋心、それも男心が、切々と歌われ、殊に結句の「命とかいはむ」には涙をこらえた響きさえ籠っている。恋の真情、真理を伝えた稀なる一首である。


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はかなくて見えつる夢の面影を‥‥

2007-07-20 21:08:41 | 文化・芸術
Furuna

写真は、棟方志功「釈迦十大弟子」より「富楼那の柵」

-表象の森- 釈迦十大弟子の六、富楼那

富楼那は説法第一となり。また、満願子とも異称されるなり。
カビラ城の近くドーナヴァトゥという婆羅門村に生まれた。彼は若くして家を出、海上の交易商人となって成功し長者となった。ある日、その航海の途上で舎衛城の仏教教団と乗り合わせ、釈尊の存在を知るところとなった。この時どうやら彼は、釈尊に直にまみえることなく出家を決意したらしく、航海が終わるや否や、財産をすべて長兄に譲り渡し、舎衛城近くの祇園精舎へと駆けつけたという。
晩年は故郷へ戻って釈尊の教えをひろめることに専心したといわれるが、この釈尊との別れの際に師弟の間で交わされた問答が仏典に残され、伝道に徹底して身命を賭した覚悟のほどが語られている。


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋-74>
 思ひつついかに寝し夜を限りにてまたも結ばぬ夢路なるらむ  藻壁門院少将

新拾遺集、恋四、題知らず。
生没年未詳、藤原延実の女、弁内侍・少将内侍の姉。新三十六歌仙や女房三十六歌仙に挙げられる。新勅撰集初出。
邦雄曰く、恋しい人との仲も絶え果てた。その故由はさらに知り得ぬ。疑問と不安と絶望に身を苛まれながら、作者はじっと宙を見つめるのみ。夢路とは逢瀬のこと、単純な内容であるが嫋々たる調べは曲線を描いて、盡きぬ恨みを伝えている。少将は、似絵の開祖藤原隆信の孫。後堀河天皇の中宮藻壁門院に仕えた歌人で、反御子左家とも親交あり、と。


 夢にても見ゆらむものを歎きつつうち寝る宵の袖のけしきは  式子内親王

新古今集、恋二、百首歌中に。
邦雄曰く、正治2(1200)年院初度百首の中。空前の秀作揃いで、70首以上が新古今集以降の勅撰集に採られ、残りも殆どが未木抄に入った。殊に新古今入選は25首に上る。袖も涙も濡れ濡れて寝るこの姿、あなたの夢にも現れようものをと、独特の二句切れ倒置法で訴える。迫力あり、妖艶の極みといえよう。式子の数ある恋の名作の一つに加えたい、と。


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はかなくて見えつる夢の面影を‥‥

2007-07-19 22:39:54 | 文化・芸術
Syubodai_1

写真は、棟方志功「釈迦十大弟子」より「須菩提の柵」

-表象の森- 釈迦十大弟子の五、須菩提

須菩提は、解空第一となり。また、無諍第一、被供養第一とも。
解空とは、文字通り、空を解すること、空なるものへの理解が抜きんでていたということ。
無諍とは、決して諍いせず、いかなる非道・中傷・迫害があろうとも決して争わず、つねに円満柔和を心がけたと。さればこそ多くの人々からかぎりない供養を受け、被供養第一とも称されたのであろう。
彼はコーサラ国舎衛城の富豪商人の家に生まれたという。
祇園精舎を寄進した大富豪須達の甥にあたるが、その祇園精舎が完成した際の釈尊の説法を聞いて出家したという。


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋-73>
 はかなくて見えつる夢の面影をいかに寝し夜とまたや忍ばむ  土御門院小宰

続古今集、恋三、恋の歌とて。
邦雄曰く、偶然にも夢で恋しい人を見た。忍びに忍んで、報いられぬゆえの、悲しい反映に過ぎないのに、その夢すらどういう風に寝たから見ることができたのかと省みる。うつつには到底叶わぬことゆえに、剰る思いを精一杯言葉に変えようとする涙ぐましい作品。小宰相は家隆の息女、父と共に遠島流謫の後鳥羽院を歌で慰めた。勅撰集入集26首、と。


 つらかりし多くの年は忘られて一夜の夢をあはれとぞ見し  藤原範永

新古今集、恋三、女に遣はしける。
生没年未詳、生年は正暦4(993)年頃かと。能因法師や相模を先達と仰ぎ、源頼実ら家司・受領層歌人で和歌六人党を結成。小式部内侍と間に女児を設けたとも。後拾遺集初出、勅撰集に30首。
邦雄曰く、待ち焦がれた逢瀬、この一夜までの苦しさは今更繰り返すのも辛い。だが、そのただ一夜共に寝てみた甘美な夢ゆえに、既往のすべての苦悩もさっぱりと忘れ得た。後朝に男が贈る歌としては、安らぎに満ちた、一盞の美酒に似た香を漂わす。恋歌群中にあっては、むしろ目立たぬ作ながら、一息に思いを述べた爽やかさは、それゆえに存在価値あり、と。


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送りては帰れと思ひし魂の‥‥

2007-07-18 10:43:00 | 文化・芸術
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-世間虚仮- 誕生日とお泊まり保育

昨夜は夕食の後の食卓にめずらしくショートケーキが出てきた。眼前に置かれた私のには細いローソクが3本、小さな炎が灯されていた。自分の誕生日だということを忘れていたわけではないが、いまさらさしたる感慨もなく打ち過ごしている身だから、ささやかなセレモニーよろしく妻と幼な児に「おめでとう」と言われても、なにやら他人事のような遠い感触に包まれながらケーキを頬ばったものである。
そういえば、いつものように保育園に幼な児を迎えに行ったその車の中で、「今日は、お父さんのお誕生日なんって、先生に言ったよ。そしたら、先生が『え、ホント、で、お父さんはいくつになるの?』って。だから、るっこは『3歳になるの』って言ったよ。」などと幼な児はお喋りしていたっけ。
もうずいぶん前からだが、自分の年齢のことが解ってくるとこんどは母親や私の年をしつこく訊ねるようになってくるもので、そんな頃から、私の場合は60を捨象して1歳、2歳と数えさせていたから、そのような保母さんへの応答になるのだけれど、それを聞いた保母さん、さぞかし面喰らったことだろうと思うとちょいと可笑しく愉快な気分にさせられたものだ。


その幼な児は、今日からはお泊まり保育とやらで、それも加太の海岸近くの民宿に2泊3日という、保育園にしてはめずらしい本格派の小旅行にお出かけあそばすのだが、今朝は早くからそわそわとどうにも落ち着かない。結局は集合の時間にはまだまだたっぷりと余裕があるけれど、「早く行こうよ」と浮き足だってくるから、早々に保育園へと送りとどけることになってしまった。
月が変わってからは、「あといくつ寝ると‥‥」と来る日も来る日も指折り数えては待ちかねてきたお泊まり保育だもの、彼女にすればそんな浮き浮きそわそわも無理はないのだけれど、これまで一度だって親と離れて外泊などなかった子であれば、反面いささか緊張している風情もあって、それかあらぬかいつもなら朝は決まってパンかお茶漬けでお腹を満たしていく子が、今日に限って「いらない」とそのままに出かけたあたり、新しいこと未知のことにはどんな場合も緊張の先立つ気質がまだまだ脱けないらしく、やはりうれしさ半分物怖じ半分というのが、今朝の彼女の姿なのだろう。
はてさて、2泊3日の3日目の夕刻、迎える私に幼な児はどんな姿を見せるものやら、この時期の子どもにとっては相当な強度をもつはずの体験であろうから、きっとなにかしら変化のきざしが表れているにちがいないが、それがどんなものにせよ彼女にとっては成長史の大きな徴のひとつになることは疑いないし、こちらはこちらでどのように眼を瞠らせられるのかに小さな期待を寄せつつ、二晩の不在を味わねばならない。


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋-72>
 逢ふと見てことぞともなく明けぬなりはかなの夢の忘れ形見や  藤原家隆

新古今集、恋五、百首歌奉りしに。
邦雄曰く、正治2(1200)年院初度百首の時、作者壮年を過ぎ、技倆ようやく円熟して、秀歌ひしめく感あり。もっともこの恋歌、六百番歌合「枯野」の定家「夢かさは野べの千草の面影はほのぼの靡く薄ばかりや」に似すぎているが、本歌とされる小町の古今集歌「秋の夜も名のみなりけり逢ふといへばことぞともなく明けぬるものを」を遙かに超えた秀作である、と。


 送りては帰れと思ひし魂の行きさすらひて今朝はなきかな  出羽弁

寛弘4(1007)年?-没年未詳、平安中期の女流歌人で家集に「出羽弁集」。「栄花物語」続編の巻31から巻37までの作者に擬せられる説あり。後拾遺集初出、勅撰集に16首。
金葉集、恋下、雪の朝に出羽弁が許より帰り侍りけるに是より送りて侍りける。
邦雄曰く、古今・雑下に「飽かざりし袖の中にや入りにけむわが魂のなきここちする」と、橘葛直の女陸奥の作あり。後朝に別れを惜しみ、男を送って行った。身は帰ってきたが魂は恋しい人の方に行き迷い、脱穀さながらの今朝の自らの有様。離魂症状をまざまざと描き出したところ、執念を思わせてまことに印象的である。作者は出羽守平季信の女、と。


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