山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

曇り日の影としなれるわれなれば‥‥

2007-07-11 12:01:16 | 文化・芸術
Rinjyuki

-表象の森- 「林住期」を生きる

「林住期」という語も、最近は五木寛之の「林住期」と題されたそのものズバリの著書が出るに及んで、巷間つとに知られるようになったようだ。
抑も「林住期」とは、古来ヒンドゥ教の訓える「四住期」の一。
学生期・家住期・林住期・遊行期と、人生を4つの時期に区分し規定したとされる。
学生期(がくしょうき)とは、師について学び、禁欲的な生活をおくり、自己の確立をまっとうすべき時期、とでもいうか。
家住期(かじゅうき)とは、結婚し子どもをもうけ、職業に専念、家政を充実させるべき時期。
林住期(りんじゅうき)とは、親から子へと世代交代をなし、古くバラモンならば、妻と共に森に暮らし祈りと瞑想の日々を送るということになるが、今の世ならば、さまざまに縛られてきた責務から自らを解放し、やりたいことをやろうという時期とでもいうか。
されば、遊行(ゆぎょうき)期とは、バラモンでは林住期においてなお祭祀などの義務を残していたが、ここではもはや一切を捨て、おのが死に向かって遊行遍歴の旅人と化す時期であろうか。
これら「四住期」については、手塚治虫の長編「ブッダ」にもすでに触れられていたと聞くが、私の場合、山折哲雄の編著として出版された「林住期を生きる」が初見であった。
この書では、現代においてまさに「林住期」を生きる五人各様の生きざまが、各々自身の言葉でもって綴られているが、以下ごく簡単に紹介しておく。


富山と石川の県境近く、山深い久利須という里に住む美谷克己は、偶々市岡高校の期友だが、二十数年前から、炭焼きをし畑を耕し、安藤昌益の謂う「直耕の民」としていまなお生き続けるが、決して孤影の仙人暮しなどではなく、かの僻地に住まいしたことが却って政治的にも文化的にも連帯のネットワークを飛躍的にひろげたものと見えて、その活動はどんどん活発化しているようだ。
東京都世田谷区の保健婦だった足立紀子は、55歳で早期退職、社会人大学に入学し、四国八十八箇所の遍路へと旅立ち、さらに大学院へと進み、おのが興味の尽きない勉学と気儘な放浪の旅を往還する人生だ。
神戸癒しの学校を主宰する叶治泉は、阪神大震災の彼我の生死を分かつ被災体験を契機に、大峯山奥駆修行に発った。以来自戒としてか毎年この山野の行を欠かさず、里の行たる癒しの学校運営に専心しているという。
若い頃の十数年を、釈迦ゆかりの地、インドの王舎城にて藤井日達翁のもとで出家修行した成松幹典は、36歳で還俗、日本に帰国してのち家庭を持ったが、さらに十数年後、こんどは家族とともにネパール・ポカラへと移住、ヒマラヤのアンナプルナ連峰が映える風光明媚な地でホテル支配人として日々を暮らす。
「仏教ホスピスの会」会員として終末期の患者やその家族と関わり続ける三橋尚伸は、迷宮とも見える仏教知の世界を放浪した挙げ句、東方学院に学び出家得度をしたれっきとした僧だが、いわば在家としてホスピス・ボランティアに生きる有髪の尼僧だ。


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋-66>
 片糸のあはずはさてや絶えなまし契りぞ人の長き玉の緒  後鳥羽院下野

新勅撰集、恋五、右衛門督為家、百首の歌よませ侍りける恋の歌。
邦雄曰く、縒り合せていない糸は、二筋撚らぬ限り、甚だ弱いものだ。そのように一人と一人は逢わぬ限り、たとえ慕い合っていてもいつか仲が絶える。縒糸とする力こそ契りであろうし、それが二人の末長い命となろう。玉の緒は一人一人の恋の片糸によって絶たれも繋がれもしよう。下野は小比叡禰宜祝部家出自、院配流後の遠島御歌合作者の一人、と。


 曇り日の影としなれるわれなれば目にこそ見えね身をば離れず  下野雄宗

古今集、恋四、題知らず。
生没年、伝未詳。下野氏は崇神天皇の皇子豊城命を始祖とする東国の豪族と伝えられる。
邦雄曰く、影は曇り日にもある。人の目に見えぬだけなのだ。私は君の身を離れない。曇り日の影のように人知れず、ひったりと影身に添うて恋いつづけるだろう。他の恋歌といささか発想を異にした不気味な迫力を持つ歌である。現代ならこの歌を贈られた人は慄然として、肌に粟を生ずるだろう。作者は六位、生没年等は一切不詳。採られたのは一首のみ、と。


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思ひ出でよ誰がかね言の末ならむ‥‥

2007-07-10 10:29:06 | 文化・芸術
Zusetsuarabian_nights

-表象の森- 「アラビアンナイト」の日本的受容

以下は、先に紹介した西尾哲夫著「アラビアンナイト-文明のはざまに生まれた物語」の終章「オリエンタリズムを超えて」における-アラビアンナイトと近代日本のオリエンタリズム-と題された掌編の要約である。

日本は、「アラビアンナイト」とはヨーロッパ文明の一要素であると見なしてこれを受容した。これにともない、「アラビアンナイト」との接触を通して形成されていったオリエントもしくは中東のイメージが日本にも入りこむことになった。これらのイメージが若干の変形を受けながらも日本の風土に移植された時期の日本人は、明治以前に知られていたものとは構造的に異なった世界システムへの対処法を探っていた。やがて日本が自らをヨーロッパ文明の構成員であると見なすようになると、ヨーロッパの近代化プロセスに埋めこまれていたオリエンタリズムからも影響を受けることになる。つまり日本に入ってきたのは、近代ヨーロッパに特徴的に出現したシステムとしての「オリエンタリズム」だったわけである。
だが、ヨーロッパにおける国際関係を基盤として形成された「オリエンタリズム」を明治期日本という異なった文化風土のもとで具体化するためには、ヨーロッパ人にとってのオリエントである中東に代わるべき対象を再設定する必要があった。こうして日本は中国とその周辺地域を再定義し、オリエンタリズム的視座による世界システムを再構築したのである。
このように日本は、ヨーロッパとオリエント(もしくは中東)相互の全体論的な関係の副産物であった「オリエンタリズム」を機械的に適用し、自身をヨーロッパ化することによってオリエントとしての中国を支配しようとしたが、その一方ではヨーロッパを他者として仮想することによって自己像を分裂させたのである。つまり日本におけるオリエンタリズム形成において中国、より正確には虚構上の中国が果たした役割は、近代ヨーロッパにおけるオリエンタリズム形成において中東世界が果たした役割とは異なっていたことになる。
明治期以後に進められたアイデンティティの再構築においては、ヨーロッパが二重の役割を果たすことになった。つまり日本にとってのヨーロッパは、投影による自己像、および仮想の他者の二つに分極化されたわけである。こうして明治以後の日本が採用した「オリエンタリズム」にあっては、近代ヨーロッパにおけるオリエントとしての中東が持っていた意味が失われることになった。オリエント(=中東)は、相対する他者、自己確認と自己規定のツールとしての他者としての意味を喪失し、他者としてのまなざしが交錯しない後景におしやられることになったのである。
つまりヨーロッパにとっての中東(オリエント)は、「見るもの-見られるもの、それを通じて慈子を見なおすもの」として存在したのであるが、日本的オリエンタリズムにおいては「見るもの」としての日本、「見られる」ものとしての中国、「それを通じて慈子を見なおすもの」としてのヨーロッパという三極分化が生じ、他者としての役割を中東に期待することはなかった。
日本人の想像力がアラビアンナイト中に見出だした中東世界は、ヨーロッパと中国(もしくはアジア)の彼方に存在している。結局のところ、現代の日本人にとって「アラビアンナイト」の世界はシルクロードの果てに広がるファンタジィの世界であり、江戸時代の庶民が見慣れた三国(日本・中国・インド)地図の片端に描かれたような実体のない異域にとどまっているといえるだろう。


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋-65>
 思ひ出でよ誰がかね言の末ならむ昨日の雲のあとの山風  藤原家隆

邦雄曰く、家隆自讃歌二首の中。千五百番歌合中の名歌であり、新古今集恋の白眉の一つともいえようか。昨日吹き払われた雲の、その後の空に、今日も風は吹き荒れる。初句切れの命令形さえ、三句切れの深みのある推量で、恨みを朧にする。歌合では六条家顕昭の奇怪な判によれば、左、西園寺公経の凡作との番が持。勿論、公経の歌は新古今には洩れた、と。

 心のみなほひく琴の緒を弱み音に立てわぶる身とは知りきや  飛鳥井雅世

飛鳥井雅世集、寄緒恋。
邦雄曰く、琴の緒は即ち玉の緒、恋にやつれ、弱り、それでもなお諦め得ぬ悲しみを、そのまま、弾琴のさまになぞらえて、あたかも楽と恋慕の主題を、詞の二重奏のように調べ上げた。結句の反問もむせぶかに響く。「寄鐘恋」では「ひとりのみ寝よとの鐘の声はして待つ宵過ぐるほどぞ悲しき」があり、15世紀も中葉の、歌の姿の一面を見せてくれる、と


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夕暮れは雲のはたてにものぞ思ふ‥‥

2007-07-08 23:49:08 | 文化・芸術
Alti200409

-世間虚仮- 地方議員164名の駆け込み辞職

今年の4月1日には「改正地方公務員等共済組合法」が施行されているが、これに伴い全国の都道府県議・市議・区議等の議員年金も給付水準が12.5%引き下げられることになったわけだが、こりゃかなわんとばかり臆面もなくちゃつかりと、施行前の3月末に駆け込み辞職をした議員先生たちが少なくとも164名を数えたと報道されていた。
町村を除いた地方議員だから、この分母は最大2万4000人ほどになり、わずか1%にも満たない数値だが、3期12年の年金受給資格者に限られるから、分母はぐんと小さくなるだろう。とはいうものの2桁の大台に乗るはずもなく数パーセントにすぎないと思われようから、さほど驚くにあたらないと見えるかもしれないが、よほどの不始末でもしでかさないかぎり任期途中で自ら辞任などしないお歴々のことなれば、164名というこの数字は充分に事件性はあるといっていいだろう。
5000万件以上の主不明の年金騒動で上や下への当節にこの報道、まるで出来すぎの諷刺漫画みたいだが、とても笑ってすませるものではない。


ところで、わが国と世界各国の地方議会制度を比較、わかりやすく数値で対照した一覧を、「構想日本」なる団体がネットに公開しているが、わが国の地方議会・議員事情の突出した特異性が如実に示されている。
嘗て私が見聞したオーストラリアも、デンマークやスエーデンなどの北欧においても、地方議員とはみな専門職などではなくボランティアであった。したがって議会も夜に行われるというのが通例であった。
上は国政を与る衆参議員から末端自治体の市区町村議員まで、ひとしなみに専門化・職業化している地方議会・議員制度は、ひとりこの国だけなのだ。
些か論理は飛躍するようだが、特権化した議員集団をあまねく末端にまで肥大させたがゆえに、これにおもねるあまりか、却って自治体サイドの情報公開をずいぶんと遅らせてきたのではないかと、私などには思われるのだ。


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋-64>
 つれづれと空ぞ見らるる思ふ人天降り来むものならなくに  和泉式部

玉葉集、恋二、百首歌の中に。
邦雄曰く、天来の愛人を待つ心、「天降り来むものならなくに」と自ら否みながらも、他の頼む術もないままにまた天を望む。二句切れの思いあぐねたような構成も、無造作に見える下句も、累計的な王朝和歌の中では、新しくかつ別趣のあはれを創っている。数世紀にわたって数多の本歌取りあり。この秀作、第十四代集に至るまで選外に置かれた、と。


 夕暮れは雲のはたてにものぞ思ふ天つ空なる人を恋ふとて  よみびと知らず

邦雄曰く、華やかに遙かな恋歌の源泉にして原型とも言うべき一首。日没の山などに、光の筋の立ち昇るように見える雲を、雲の旗手と呼ぶ。万葉の「わたつみの豊旗雲に入り日見し」も同趣の光景。前掲の和泉式部の「つれづれと空ぞ見らるる」も、この歌の心を写したもの。下句の匂い立つような情感は、後の世のあらゆる相聞の、技巧の粋すら及ばない、と。

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風吹けば嶺に別かるる白雲の‥‥

2007-07-07 11:39:56 | 文化・芸術
Arabian_nights

-表象の森- オリエンタリズムとしての「アラビアンナイト」

「異文化の間で成長をつづける物語。
この本は新書の一冊だが、その背後には実に膨大な歴史がある。
今日世界の問題である中東の状勢を考える上でも、アラビアンナイトの辿った道は、決して無視することが出来ないだろう。」
と、毎日新聞の書評欄「今週の本棚」5/20付で渡辺保氏が評した「アラビアンナイト-文明のはざまに生まれた物語」(岩波新書)はすこぶる興味深く想像の羽をひろげてくれる書だ。
著者は国立民族学博物館教授の西尾哲夫氏、2004年に同館主催で開催されたという「アラビアンナイト大博覧会」の企画推進に周到に関わった人でもある。
今日、『アラビアンナイト』を祖型とするイメージの氾濫は夥しく、映画、アニメ、舞台、電子ゲームなどに溢れかえっているが、「それらの大部分は19世紀以後に量産されてきた挿絵やいわゆるオリエンタリズム絵画から大きな影響を受けている。」と、著者はさまざまな例証を挙げて説いてくれる。
本書を読みながら、図書館から同じ著者の「図説アラビアンナイト」や04年の企画展の際に刊行された「アラビアンナイト博物館」を借り出しては、しばしこの物語の広範な変遷のアラベスクに遊んでみた。


『アラビアンナイト』もしくは『千夜一夜物語』の題名で知られる物語集の原型は、唐とほぼ同時代に世界帝国を建設したアッバース朝が最盛期を迎えようとする9世紀頃のバグダッドで誕生したとされるが、それは物語芸人の口承文芸だったから、韻文を重んじたアラブ世界では時代が下るといつしか忘れ去られていったらしい。定本はおろか異本というものすらまともに存在しなかったらしい。
アラビアンナイト最初の発見は1704年、フランス人アントワーヌ・ガランがたまたま手に入れたアラビア語写本を翻訳したことにはじまる。
しかしガランが最初に入手した写本には、お馴染みのアラジンもアリババも登場しない。シンドバッドだけが何故か別な物語から挿入されたらしい。アラジンやアリババはガランが別な写本から翻訳、後から付け加えられたという。これが時のルイ十四世の宮廷に一挙にひろまった。フランスのブームはイギリスへ飛び火し、さらにヨーロッパ全土へと一気にひろまっていく。


著者は本書の序において、「今から300年ほど前、初めてヨーロッパ人読者の前に登場したアラビアンナイトは魔法の鏡だった。ヨーロッパ人読者はアラビアンナイトという魔法の鏡を通してエキゾチックな幻想の世界という中東への夢を膨らませた。やがて近代ヨーロッパは、圧倒的な武力と経済力で中東イスラム世界を植民地化していく。現代社会に深刻な問題を投げかけているヨーロッパとイスラムの不幸な関係が出来上がっていった。」と要約してみせる。
或いはまた「『アラビアンナイト-千夜一夜物語』とは単なる文学作品というよりも、西と東との文明往還を通して生成されていく一つの文化現象とでも形容できる存在なのだ。」
「ヨーロッパにおける『オリエンタリズム』、いわば初めは正体がわからず畏怖すべき対象であったオリエントが、ヨーロッパによって『文明化』され、ヨーロッパ的価値観という統制可能なフレームの中に収まっていく過程とパラレルになって形成されてきたのが『アラビアンナイト』なのだ」と。
たとえばブッシュに代表される現代アメリカの中東観に関わることとして、
「トリポリ戦争の勝利によって独立後の国家としてのアイデンティティを確立したアメリカは同時に『遅れた野蛮な地イスラム諸国』という視点をもってイスラム世界と対立してきた。そこにもまたこの物語が影を落している。ご承知のようにこの物語の大枠は女を毎夜殺害する専制君主の前に引き出された『シェヘラザード』が毎日王に物語を語って聞かせ、ついに王を悔悟させるというものだが、この聡明な知恵をもって野蛮な王を説得する女性のイメージこそ、その後のアメリカのイスラム諸国を野蛮視する視点の確立に合致している。アメリカは、その独立建国以来、今日までこの物語の視点を持ち続けているのである。」というあたり然もありなんと肯かせてくれる。


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋-63>
 生けらばと誓ふその日もなほ来ずばあたりの雲をわれとながめよ  藤原良経

六百番歌合、恋、契恋。
邦雄曰く、命を懸けた恋、それもほとんど望みのない、宿命的な愛を底に秘め、あたかも宣言でもするような口調で、死後の自らを、空の白雲によって偲んでくれと歌う。俊成は「あたりの雲」を「あはれなる様」と褒めたのみで、右隆信の凡作との番を持とした。技巧の翳りもとどめぬ、このような直情直叙の歌に良経はよく意外な秀作を残している、と。


 風吹けば嶺に別かるる白雲の絶えてつれなき君が心か  壬生忠岑

古今集、恋二、題知らず。
邦雄曰く、わが心通わぬ無情な人の心を、初句から第四句の半ばまでの序詞をもって代え、かつ描き出した。虚しい空の、さらに空しい雲が、風のために嶺から離れて行かねばならぬ定め。「つれなき」とはいえ、白雲もまた自らの心で別れるのではないところに、「心か」の疑問風嗟嘆の余韻は仄かに後を引く。多くの歌の本歌としても永遠に生きる、と。


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聞かじただそのかねごとは昔にて‥‥

2007-07-05 22:18:52 | 文化・芸術
Mokukenren

写真は、棟方志功「釈迦十大弟子」より「目犍連の柵」

-表象の森- 釈迦十大弟子の二、目連

目連は、目犍連また大目犍連とも称され、神通第一なり。
生まれはマガダ国王舎城の北、コーリカ村のバラモン出身にて、舎利弗とは隣村同士。
彼はその神通力を駆使し、仏の説法を邪魔する鬼神や竜を降伏させたり、異端者や外道を追放するなどして、多く恨みを買ったこともあり、却って迫害される事も屡々であったとされる。とくに六師外道の一とされるジャイナ教徒から仇敵視されよく迫害されたという。
舎利弗と同様、目連もまた、釈迦入滅に先んじて没した。
神通をもって多くの外敵を滅ぼしたがゆえに、おのが業の深さもよく知っていた。また舎利弗とともに尊師の死を見るに偲びなかったのであろうかと思われるが、釈迦に別れを告げた後、故郷の村へと帰参し、多くの出家者たちに見守られつつ滅度を遂げたとされる。
後世、中国の偽経「盂蘭盆経」に説かれる、地獄に堕ちて苦しむ母を浄土へ救い出すという、目連救母の逸話は、祖霊を死後の苦悩世界から救済する「盂蘭盆会」仏事の由来譚となり、これが中国より日本へ伝来し、津々浦々庶民の信仰するところとなって今日の盆行事にいたる。


<歌詠みの世界-「清唱千首」塚本邦雄選より>

<恋-62>
 聞かじただそのかねごとは昔にてつらき形見の夕暮の声  貞常親王

後大通院殿御詠、期忘恋。
「かねごと」-予言または兼言、いわゆる約束の言葉だが、この一首では鐘の声と懸けられている。
邦雄曰く、入相の鐘が鳴る。聞くまい、聞きたくない。約束していながら私はあの時それを忘れ、仲はそのまま絶えてしまった。今は昔のこと、ただ、その名残を偲ばせるような鐘の声が身に沁む。一篇の物語にも余る恋の経緯の始終を、一首に盡してなお余情ある技法。「憂き身こそいとど知らるれ忘れねど言はぬに人の問はぬつらさは」も、同題の作品、と。


 君が行く道のながてを繰り畳ね焼きほろばさむ天の火もがも  狭野弟上娘子

万葉集、巻十五、中臣朝臣宅守との贈答の歌。
邦雄曰く、巻十五後半には、二人の悲痛な相聞が一纏めに編入されているが、婚後、何故か越前に流罪になった宅守に宛てた妻・弟上娘子の歌のうち、殊に「天の火もがも」の、一切をかなぐり捨てて彼女自身が白熱したような一首は、胸を搏つ。道をあたかも一枚の布か紙のように、手繰って巻き寄せるという発想にも、昂揚した女性特有の凄まじさがある、と。


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