山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

五形菫の畠六反

2008-03-26 11:50:53 | 文化・芸術
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―表象の森― 金子光晴の未発表詩集

太平洋戦争末期、金子光晴が妻の森三千代と息子の乾とともに疎開し、山梨県の山中湖畔で暮らしていた1944(S19)年12月からの1年数ヶ月の間に、親子三人でたがいに綴った私家版の詩集が、昨年の夏、東京の古書市で発見され、このほど未発表詩集「三人」として講談社から刊行された、と毎日新聞の夕刊(昨日)が紹介していた。

  父とチャコとボコは
  三つの点だ。
  この三点を通る円で
  三人は一緒にあそぶ。」
    -略-
  三点はどんなに離れてゐても
  やがてめぐりあふ。
  三人はどれほどちがってゐても
  それゆえにこそ、わかりあふ。

チャコは妻の三千代、ボコは息子乾の愛称で、互いにそう呼び合っていたらしい。
この疎開暮しのさなか、息子へ二度目の召集令状が届いて、徴兵忌避のため金子が苦心惨憺奔走する話を思い出したが、詩に表れた溺愛とも云いうるような家族への拘りと執着が、戦時下という暗い狂奔の時代と対置されたとき、
抵抗の人金子光晴の相貌がきわだって立ち顕れてくるような気がする。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「霽の巻」-18

  県ふるはな見次郎と仰がれて 

   五形菫の畠六反      杜国

五形-ゲンゲ-菫-スミレ-の畠-ハタケ-六反-ロクタン-

次男曰く、折端-おりはし-で、花見次郎其人のあしらいである。会釈-あしらい-付は下手に使うと三句がらみになり屋上屋を架するだけだが、正客-発句、杜国-の亭主-脇、重五-に対する、合せて芭蕉に対する二重のねぎらいがここでの作分だと気付けば、「五形」「六反」の思付は卓抜な気転だとわかる。

あるじが花見次郎と仰がれる御仁ともなれば、五人で蓮華草を摘む遊に六反の畠を提供してくださる、と読めばよい。ゲンゲが緑肥・飼料として盛んに栽培されるようになったのは江戸時代になってからである。

五吟による歌仙は-三十六句-は七巡と一句余る。通例、初折の表六句目に執筆の座を設けるが、いずれにせよ五吟の歌仙には六名の参加を必要とする。単なる数字の序列だけで五を六につないでいるわけではない。当句の趣向は絶妙の思付だと合点がゆくだろう。

ゲンゲは仲乃至晩春の季、今の歳時記では「紫雲英」として掲げ、「五形花-ゲゲバナ-」、「蓮華草」を傍題とする。五形のゲンゲは本草書や辞書には見えず、固有の方言でもない。これまた先の霽-シグレ-と同じ新在家文字と見做してよかろうが、いろいろ調べてみても杜国に先立って遣われた例が見つからない。どうやら「五形」は五人を云わんがために、芭蕉の「霽」にあやかって思付いた杜国らしい作り字の工夫だったらしい、と。


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県ふるはな見次郎と仰がれて

2008-03-24 23:55:55 | 文化・芸術
Sotuensiki

―世間虚仮― 凝り型の卒園式

生後6ヶ月から丸6年ものあいだ毎日通い続けた保育園の、今日はハレの卒園式だった。
この日をともに迎えた同級の園児たちは39名、定員120名で0歳児から年長組の5歳児までが洩れなく通うこの圓で39名というのは、例年になく多い園児が巣立つことになる。

それにしても圓を挙げての一大セレモニーであった。
縦割り保育という特徴と玄米食や有機野菜を主体に乳幼児の食育に格別の配慮をした独自な保育方式に強い理念性を込めた園長自身の、園児たちの胸にしっかりと刻み込まれる日となることを、幼な心にも記憶に残るセレモニーをとの思い入れが随所にあらわれた、卒園児たちの入場から始まって最後の記念撮影が終るまで3時間半にも及ぶ長丁場のもので、さすがの私も畏れ入るほどの凝り様の演出であった。

園長自ら一人一人に修了証を手渡す授与式。
一人ずつ名前が呼ばれ演壇に立つと会場はその都度暗転となって、その子の園生活での想い出のショットが4葉、コマ送りでスクリーンに映し出される。スライドと同時進行で、その子について、ああだったネ、こうだったネ、と短いコメントが進行役の保母さんの口から語られる。その間30秒ほどか。と演壇はすぐにも明かりが灯され、名前、生年月日を園長自身に読み上げられ、向かい合った園長から子どもへと修了証が手渡されるのだが、これでまだ終らない。さらに園長は小声で子どもになにやら二言三言話しかける。その内容は離れた父母の席までは聞こえてこない。その子どもとの園長流の私的な交わり、秘密の会話なのだ。そうしておいて二人はいかにも仲間同士なんだとばかりハイタッチをして、子どもは回れ右、演壇を去り際にもう一度立ち止まって、「ぼくはポケットモンスターの??になりたいです」とか「わたしはケーキやさんになりたいです」とか、客席の父母たちに向かって思い思いの宣言をして立ち去るといった段取りで、やっと一丁あがりなのである。

こんな調子だから、一人の名が呼ばれ次の子が呼ばれるまでにほぼ3分弱はかかったろうか、39人の園児すべてが一巡するまで2時間近くを要する始末で、いくらなんでもこの趣向は些か凝りすぎの演出だろう。

可哀相だったのは、残る園児たちの代表としてこの式に付き合わされた年中組の20名ばかりの子どもたちだ。彼らの出番はたった一ヶ所、このあとに輪唱した送る歌のみで、そのために延々と長い時間、固い木の椅子に座らされてつづけていたのだから。
狭い会場の両サイドにずっと立ちん坊だった20数名の保母さんたちにとってもかなりの苦行だったにちがいないが、彼らにとっては長い日々の労苦の末に迎えたけじめのハレの日とあれば、さまざまに想いもよぎるとみえ、最後に演壇に上がって保母さんたち全員でこれまた別の送る歌を輪唱したときには、それぞれみな感極まった様子で、セレモニーは大団円のクライマックスを迎えていた。

そして屋外に出て春うらら蒼天の下で出席者全員の集合写真、さらには一人一人の子と親と園長とで記念撮影と順番を待つことしきり、これにおよそ30分近くは要したか。
9持30分に始まってもうとっくに昼時だが、ここまでやるともう果てしがない。親たちも子どもそれぞれにゆかりの保母さんたち一人一人と想い出の記念写真をと次々に撮りまくるといった光景が続いて、やっと三々五々帰りゆく。

まあ、なんとも驚きの卒園式、ハレの半日だったこと、わが家では一回こっきり、これっきりのことゆえ、バカバカしいとシラけきる訳にもいかず、ほのかな感懐とともに過剰さゆえの倦怠がないまぜになった奇妙な気分が漂う。

園長坂下喜佐久氏は、兵庫県教育大学大学院を修了、社会福祉法人喜和保育事業会理事長、傍らPL学園女子短期大学教授を務めるという。昭和52年に大阪市南港ポートタウンにて「きのみ保育園」を開園、手作りの日本食の給食を提供し続けている。また今年で開園12年の姉妹園「きのみむすび保育園」は大阪で数少ない年中無休の保育園として地域に無くてはならない存在となっている、と。

保育のあり方、園の運営の仕方は、中小の企業同様に、良きにつけ悪しきにつけその経営者、中心となる人物の刻印を色濃く帯びているということを、ここでもまたつくづく痛感。しかしことが保育や教育といった現場であればこそ、個人の影を帯びた独善の弊に対して、つねに当事者は敏感でなければなるまいが、権威というわけの判らぬ付加価値が却ってこれを野放しにしがちなものだ。

前夜いつもより遅い就寝についたK-幼な児-はやはり少しばかり昂ぶっていたのか、朝食のあと食べたものをすっかり吐いてしまっていた。そんなことがあったから、この長丁場の進行に無事付き合いきれるのかと心配されたのだが、成長というものは体力も気力も伴うもので、昂ぶりは昂ぶりのままにこのハレの長い時間を享受しきったようで、その躁状態は保育園を去ってからも終日続き、長く記憶に残るべき一日を彼女なりに満喫したのではなかったか。

それにしても6年という月日、毎日々々、子も母も父も、通ったも通ったり、まこと三様にご苦労さんであったことよ。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「霽の巻」-17

   仏喰たる魚解きけり    

  県ふるはな見次郎と仰がれて  重五

県-あがた-

次男曰く、初折の花の定座で、見所は二つある。一つは、「仏喰たる魚解きけり」を花の賞翫につないだ目付、いま一つは「はな見次郎」といあ渾名の趣向だ。

「ほとけにはさくらの花をたてまつれわが後の世を人弔はば」-山家集・春-という西行の有名な歌がある。俊成が「千載集」にも撰んでいるもので、前者の思付の拠所はこれだろう。「仏」と云い「解きけり」と云った芭蕉の句作りが、津波による一珍事にとどまらず、煩悩の解脱を含とした、花の句前の興だったとも改めて覚らされる。

後つまり「はな見次郎」の方は、当五歌仙の初巻-狂句こがらしの巻-初折の表三句目で、荷兮が「有明の主水に酒屋つくらせて」と既に作っていたと思い出してもらえばよい。片や月の座を取り込んで趣向とした渾名の思付で、こういうとき俳諧師は間違っても「月見次郎」などとは作らぬ。又、工夫に先例があれば「花見太郎-三郎、四郎-」とも作らぬ。

句はホドク其人の付で、芭蕉を賞めそやしている。「はな見」とした表記がみそだ。連句には差合を嫌って、句去-隔-という約束がある。たとえば同季は通例五句去、同字もこれに準ずる-三句以上隔-。当歌仙は「紅花買みちに」から数えて花の座は五句目、花見次郎を「はな見」と表記した所以だろう。

「県ふる-旧る-」は、その地方で古くから名を知られている意で、県居-田舎暮し-から派生した連語だろう。


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仏喰たる魚解きけり

2008-03-23 23:56:01 | 文化・芸術
Fugakusuwako

写真は富嶽三十六景、藍摺10葉の内「信州諏訪湖」

―表象の森― 富嶽三十六景

北斎の富嶽三十六景が46葉もの景から成っていたとは、その一葉々々を順繰りに眺め渡してみるまで気がつかなかった。
勿論、当初は板元もその名の通り36葉の景で終結とする予定だったが、評判が良すぎた所為で10枚が追加されたという。あとから追加の10葉を「裏富士」と呼ぶそうな。
これらの全容を見るのに便利なsite-「葛飾北斎 富嶽三十六景」-があった。勿論商用のsiteなのだが、まことに懇切丁寧な作りで感心させられた。
北斎といえば西欧から入ってきた「ベロ藍」の導入が思い出されるが、「東都浅草本願寺」に始まり「信州諏訪湖」や「甲州石班沢」などを含むその「藍摺」10葉が別掲で纏められている頁もあってなかなか愉しめる。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「霽の巻」-16

  まがきまで津浪の水にくづれ行  

   仏喰たる魚解きけり     芭蕉

仏-ホトケ-喰-くう-たる魚-ウオ-解-ほど-きけり

次男曰く、津浪の拾いものに人喰い鮫が揚がった、と付入って興じている。作意は「仏喰たる」で、これは、喰われてホトケに成ることを転置した云回しの面白さだろう。打揚げられた大魚を取囲んで、人間を食べたに違いない、と気疎げにのぞきこんでいる人垣のさまがよく出ている。手足の一つも出てくるかもしれぬという好奇心と怖れはあるだろうが、腹を割いてみたら現にそれらしい物が出てきたと云っているのではない。

「くづれ行」に「解きけり」は、詞のひびきをうまく利用した観相付の展開である。「ほとけ」は「解-ほと-け」に通じる。

古注以下殆どの評家は、打揚げられた大魚を瑞祥とでも眺めたか、「仏」は仏像と読んでいる-樋口も穎原も同じ-。捌いてみたら尊像が出てきたという縁起話は、漁村の寺などにはよくあることだから、そうも読めるが面白くはない、と。


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まがきまで津浪の水にくづれ行

2008-03-20 03:00:43 | 文化・芸術
Kanikisuru_enku

―表象の森― 「歓喜する円空」ならぬ、歓喜する梅原猛か

否応もない呪縛からやっと解放され自由な時間が取り戻せた。
この間に図書館からの借本の返済期限を気づかずにやり過ごしてしまったのが一冊、慌てて返しに走る始末。
読みかけたままに打棄った本が2冊、これまた返済の期限が迫っているから、これまた走り読まねばなるまい。

それにしても梅原猛の「歓喜する円空」には彼一流の大仰な論理構築に些か食傷気味の幻滅感に襲われる。その語り口は嘗ての「隠された十字架」や「水底の歌」とさほど変わりはしないが、対象に肉迫する論理の積み重ねにおいて緻密さに欠けるように感じられて仕方がない。
本書における円空への梅原の過大に過ぎよう止揚ぶり、その構築の論理を図書新聞の書評がよく語り得ており、大家梅原古代学への追随ぶりと併せて、一読に値しようか。

「十二万体の異形の木彫仏をつくった円空とはいかなる僧だったのか。-略-
本書は、円空に関する伝承に着目しつつ先行の諸論を整理。一部これまでの虚像や錯誤を糺し、その謎多き生涯に鮮烈な眼光を当てる。絢爛と混沌の円空芸術の創造の源流が、土俗の内部のドラマとともに理路整然と説き明かされてゆくのである。
まず、著者の関心をよんだのは、円空が白山信仰の修験者であり、「神仏習合の先駆けであり、それは日本宗教史において最も重要な問題」であるからであった。白山信仰の創始者である泰澄は同時に木彫仏制作の 創始者であり、さらに造寺や架橋などで諸国を行脚した行基は、泰澄から木彫仏制作を学んでいる。ゆえに、円空は「神仏習合思想と木彫仏の制作」において、泰澄、行基の伝統の上に立つ。すなわち、著者にとっては、円空こそ「神仏習合思想の深い秘密を教える哲学者」なのである。
かくて、円空は「神仏像・絵画・和歌の三位一体」のものとして、総合的に解明されなければならないとする著者の慧眼が行間に熱く滲む。
その放浪の足取りは生まれ故郷の美濃を旅立ち、関東、東北、北海道を経て、飛騨や吉野に分け入り荒行をつづけ、一片の素木に彫る造仏に一切衆生の救い祈りを 籠めていった。著者はそれら奉納された造仏を訪ね、その制作年代の確定や作風の変遷などに厳密な考証を行い、流離の運命の諸行について独自の瞑想的洞察を馳せる。
「大般若経」写本の見返しに貼られた百八十四枚を始めとした絵画に、円空における仏教思想の根幹を突き詰めようと精緻な論証を行う。そのために、絵を三カ月も四カ月もひたすら穴の開くほど眺め続けるのである。さらに、近年発見された千六百首の和歌の研究が必要であると取り組み、西行の歌より円空のほうが面白く、「雄大な世界観が脈打っている」と指摘。孤高の造仏聖に迫る著者は、滔々たる「梅原日本学」の山脈を基層に、旧に変らぬ息軒昂に満ちている。
それに本書の何よりの核心は、円空が思想的に一大転換をなしとげる美と文化の重層的な軌跡を明らかにしていることだろう。ここに、狂気と情熱に駆り立てられ、放浪をつづけねばならなかった苦行僧の真実とし て、新たに男盛りのエネルギッシュで無類にポジティブな相貌が、歴史の襞の燦然たる闇の中からくっきりと浮かび上がってくるのだ。
当初は忠実で写実的な傾向の強い仏像制作であった。だが、やがて変革し、破壊への証として「円空仏のエッセンス」である護法神の誕生を経て、まもなく「自由 境地となり、自在な作風の仏像」が精力的につくられるようになる。こうした数々の円空仏に対面して、「ユーモアと慈悲」、「遊びと荘厳」の芸術創造の真髄を見出す著者の熱狂が、一読、爽やかに噴きこぼれるように伝わってくる。
現実への深い絶望と理想の世界を前に歓喜する仏の躍動するエネルギーは、大いなる笑いになって現れる。現実を絶対肯定する精神の表現として、これこそ「哄笑の交響楽」であり、「円空の思想の中心は生きている喜び、楽しみを礼賛すること」であるという。
「心に花を絶やさず、心はいつも花であった」円空の創造と苦悩の根源的エロスは、常にまばゆい祭典のように光輝いている。神と仏の共感のシンフォニーを肉声とする強靭な現実肯定の精神とは、永遠に遊び狂いつづける清らかさということであろうか。
「私もこの歳になってようやく菩薩の遊び、円空の遊びがわかってきた」のであり、「私は円空の思想の中心は生きている喜び、楽しみを礼賛することであると思う」という論述には、並々ならぬ躍動感が漲る。
また本書には、著者・梅原猛の生の悲しみの水脈に沿う蒼白の呼吸遣いが静かにとおりぬけてゆく。弾ける歓喜とともに、円空の抱えた深い闇に、著者の悲哀が重なる。
「まつばり子の悲しみは、まつばり子同士でなければ分からないかもしれない。私もまた円空と同じ星の下に生まれたので、まつばり子の気持ちが痛いほどよく分かる」という。円空が慕う泰澄・行基もまたまつばり子であった。
一巻は天を衝いて歓喜大笑する円空と、永遠のディオニュソスの使徒たる著者の法楽の遊びの華やぎに満ちている。」 ―図書新聞2006.12.20書評―

―今月の購入本―
S.J.グールド「ワンダフル・ライフ」ハヤカワ文庫
副題は「バージェス頁岩と生物進化の物語」。カナダのバージェス頁岩に見出されたカンブリア紀の動物群を詳細に紹介しつつ、進化のシナリオに偶然性の関与が大きいことを解く93年初訳の文庫化本。自然陶太の作用を最大限に重視する漸進的進化論者のドーキンスに対して偶発性も重視する断続的進化論者グールドの代表作とされる。

S.J.グールド「フルハウス-生命の全容」ハヤカワ文庫
副題は「四割打者の絶滅と進化の逆説」。著者曰く前著「ワンダフル・ライフ」に対をなす書と。生命の進化がランダム・ウォーク-酔っぱらいのヨロヨロ歩き-と同じであることを詳細に論証し、生命の進化は偶然が支配してきた複線的かつランダムな確率過程であって、決して人類は必然の存在ではなく、生命世界の全容-フルハウス-から見れば微々たる存在に過ぎないと説く。

D.タメット「ぼくには数字が風景に見える」講談社
映画「レインマン」やTVドキュメント「ブレインマン」で知られたサヴァン症候群のD.タメットが自ら語る心の遍歴。

脳科学総合研究センター「脳研究の最前線 -上」ブルーバックス
脳科学研究センター「脳研究の最前線 –下」ブルーバックス
創立10周年を迎えたという産学官協働のセンター監修による「脳とこころ」問題の最新理解を12名の研究者が集積する。上巻の副題は「脳の認知と進化」、下巻においては「脳の疾患と数理」と題される。

吉田簑助「頭巾かぶって五十年 -文楽に生きて」淡交社
文楽の人形遣い吉田簑助が芸歴50年を経て紡ぐ芸談の数々とその半生記。

広河隆一編集「DAYS JAPAN -沖縄・海と人々-2008/03」
他にARTISTS JAPAN 56-藤島武二 57-坂本繁二郎 58-長谷川潔 59-竹内栖風 60-浅井忠

―図書館からの借本―
S.カウフマン「カウフマン、生命と宇宙を語る」日本経済新聞社
副題に「複雑系からみた進化の仕組み」。著者はウィトゲンシュタインの「探求」に動かされつつ、複雑系の思考を基に、物理学をはじめとした自然科学の前提そのものを問い直し、生命科学、宇宙論、はては経済学にも新たな洞察を与えようとする。

J.ダイアモンド「銃・病原菌・鉄 -下」草思社
下巻ではとりわけ言語表記の問題を軸に人間の歴史における各大陸間のさまざまな差違とその成り立ちを明らかにしていく。

梅原猛「歓喜する円空」新潮社
人生の晩年に至って著者梅原猛は「まつばり子-私生児-」円空の境涯に自身の身の上を重ね合わせては、その謎多き生涯や数多の木像仏の芸術性、さらには彼の宗教思想を読み解きながら、はては大胆にも円空を日本文化史上の重要人物として仮構しようとする、些か思い入れ過剰気味の梅原流円空論。

尼ヶ崎彬「ダンス・クリティーク-舞踊の現在/舞踊の身体」
団塊世代の著者は80年代の小劇場演劇ブームに共感をもって迎えたと云い、続いて登場する90年代Contemporary danceに至って「ダンスマガジン」に舞踊批評を書き継いでいったらしい。

別冊日経サイエンス「感覚と錯覚のミステリー」
事故や病気で失った足の痛みを感じたり,音楽を聞くと色が見えたり,単語を聞くと味を感じたり,といった不思議な例があるように,人間の感覚はまだまだ多くの謎を秘めているらしい。神経科学や脳科学,分子生物学など,さまざまな視点から感覚をめぐるミステリーを網羅する。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「霽の巻」-15
   命婦の君より来なんどこす   

  まがきまで津浪の水にくづれ行  荷兮

次男曰く、二句一章を山里から海辺へ移し、「米」を救難見舞ら読替えた趣向だが、雛作りはもともと形代流しの祓行事であるからこの場移しは絶妙に利く。
「しのぶまのわざとて雛を作り居る」人は、実方だけではない須磨流謫の光源氏も亦そうだ、と下敷の連想が自ずとはたらくように句は作られている。

三月-やよひ-の朔日に出で来たる巳の日-上巳、後には三月三日と定める-‥‥、舟にことごとしき人形のせて流すを見給ふにも、よそへられても、しらざりし大海の原に流れ来てひとかたにやは物は悲しき、とてゐ給へる御さま、さる晴に出でて言ふよしもなく見え給ふ。-源氏・須磨-

海辺は海辺でも津浪とまで大きく曲を設けたのは、荷兮らしい警策だ。
諸注「前二句一章也。命婦ノ君ヨリ見廻ニヨコシタルトミテ附タルナリ」-秘注-、「爰は津浪に一郷一群の荒たるさまを附て、前句の米を禁裡よりの御救ひ米と執なしたるなり」-升六-、「前句とのつづき、おのづから明らかにて、とかうを論ずるにも及ばざるべきなり」-露伴-、「是も面白からぬ付方なるも是非なし」-樋口功-、「全くの心付で附味は浅薄を免れない」-穎原退蔵-、など、わかっていない、と。


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命婦の君より来なんどこす

2008-03-18 22:36:47 | 文化・芸術

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―表象の森― 定説を覆すlesser blain

別冊日経サイエンス「感覚と錯覚のミステリー -五感はなぜだまされる-」のなかの「小脳の知られざる役割」-J.M.バウアー/L.M.パーソンズ-の小論はかなり関心を惹くものだった。
「little」の二重比較級「lesser」-より劣った、より小さい-些か情けなくなるような語を冠せられた「lesser blain-小脳-」は、ヒトの後頭部、脳幹の上に、大脳半球を覆う皮膚の下に位置する脳組織で、大きさは野球のボールほど、劣ったちっぽけな脳と名づけられているにも拘わらず、これを平たく延ばしてみると、その表面積は、大脳の左右半球の片側に匹敵するほどの広さに匹敵する、というのにまず一驚。

小脳が運動を司るという仮説は19世紀半ば、複数の生理学者によって提唱された。小脳を取り除くと身体の動きの統御がうまくとれなくなることが判ったからだ。
しかし最近の研究から、それは過去の常識となりつつある。ここ15年間ほどの最近の研究では、小脳に損傷を負うと、言語や視覚・聴覚など五感にさまざまな障害が起きることが判ってきた。
最近では、小脳がワーキングメモリーや注意力、計画や予定の立案といった知的活動、情動の制御などと関係していることを示す研究が増えている、と著者らは曰う。

触覚刺激に対して小脳はとりわけ活動が活発化するらしい。
その活性化マップは、刺激を受けた体表の位置とその信号を受けとる脳の領域との空間的な位置関係が対応している大脳の場合とは異なって、バラバラに断片化された配置図となっている、という。
この事実に表れていることは、五感の知覚情報などに対し、小脳と大脳が互いに機能分化しているのではなく、階層的な構造を有している、ということになるのだろう。
どうやら小脳は、従来の定説から大きく逸脱して、触覚を中心に五感の知覚情報をコーディネートすることを担っているとみえる。

小論の末尾あたり、とりわけ私の関心を惹いた著者らの作業仮説を惹いておく。
運動機能の統合に冠する研究によると、小脳に損傷を受けた人は動きが鈍く単純になる。これし質の高い知覚情報が得られなくなったことに対処するための合理的な戦略だ。この考えをさらに敷衍すると、興味深いことに、小脳を完全に取り去るよりも、欠陥のある小脳が機能し続ける方が、より深刻な問題を引き起こすと考えられる。
感覚情報の制御機構を敢然失ったときは脳の他の組織が補えるが、不完全な制御機構が動いていると別の領域が質の悪い情報を使おうとする結果、機能障害が続くだろう。この種の影響によって、知覚情報にうまく応答できない自閉症のような疾病と小脳の関係を説明できるかもしれない。

些か怖くなるよう仮説だが、もしこれらのことがよくよく解明されれば、知的障害者への外科的治療などという行為も近未来起こり得ることになるのかもしれない。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「霽の巻」-14

  しのぶまのわざとて雛を作り居る 

   命婦の君より来なんどこす   重吾

命婦-みょうぶ-

次男曰く、都も恋し、人も恋し、雛人形などこしらえて無聊を紛らしている昨今だ、と伝えてやったら、命婦の君が歌の代りに米を送ってよこした、と付ている。命婦は令制で五位以上の女官を云うが、ここは前の句を貴種流離、男-実方とは限らない-と見定めて、その位取りに持ち出した句材だろう。ある女房とでも読んでおけばよい。

前句は恋ではないが、それらしい仕掛はある。「米なんどこす」は、贈答ふうに、誘いを躱-かわ-し惚-とぼ-けて仕立てたところがみそで、作者重吾は雛人形作りを実の行為と見たとも虚と見たとも云っていないが、女の気を惹くために云い遣った「雛を作り居る」と読んだ方が問答の面白さを生む。同情の思案に困って米を贈ったと読んでもそれはそれで解釈にはなるが、例によって絵空事で暮しの足しに人形作りなどしている筈がない、と見抜いたうえでの米贈りならみごとな恋の冷ましになる。実方のほととぎすの歌の披露に始まり、その恋遊び上手は当座の話題になった筈だ。

「しのぶ間の業はあまたあらんに、雛を作るとある其職のやさしければ、そこを御所浪人と見て、ゆかりの命婦より助力せらるると附たるなり。此句の賞する所は、前句雛とあれば、誰とても春季を附べき所なるに、是は雑の句として次を附たる心の扱ひ甚だおもしろし」-升六-

春季を以て継がなかったのは、以下、花の座-裏十一句目-まで四句春-雛作りを春と見れば五句春-とせざるを得ぬ重くれを嫌ったからだろう。表も四句春である。
「職」であろうと手すさびであろうと、雛作りを雑と読むことに格別の違はない。
また、露伴、樋口功、穎原退蔵ら諸注いずれも前句の人を女と見て、まったくつまらぬ解釈をする、と。


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