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山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

町内の秋も更行明やしき

2009-04-22 23:56:32 | 文化・芸術
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―世間虚仮― 定額給付金

大阪市でも定額給付金の事務手続きが始まったようで、本日我が家にも給付案内及申請用紙同封の封書が届けられたが、その書面を見てまず感じさせられたのは、やはり法案成立段階で取り沙汰されていた事務煩瑣の問題だ。

その申請用紙たるや、全国の市町村なべて一律の書式かどうかは知らぬが、まあご大層なものである。受取を金融機関の振込とする場合には、口座名口座番号等を記入しなければならないのは無論のことだが、ご丁寧にもこの欄には個人情報保護のため貼付ける保護シールも添付されている。ところが裏面には本人確認のために運転免許証やパスポートなどのコピーを貼付けろとなっているし、おまけに金融機関口座確認書類として通帳またはキャッシュカードのコピーまで貼付けねばならないのだが、これらの欄には保護シールなぞ用意されていない。これでは頭隠して尻隠さず、まるで意味をなさない噴飯もので思わず笑ってしまったが、たしかこの事務経費に825億円の補正予算が計上されていた筈、そんな巨額を投じる大盤振舞の神経には、こんなくだらぬ無駄も些末なことでしかないのだろう。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「灰汁桶の巻」-15

   あつ風呂ずきの宵々の月  

  町内の秋も更行明やしき  去来

次男曰く、前句を病膏肓に入った人の体と見て、「秋も更行-ふけゆく-」-深くなる-と作っている。

垢掻を「吹く」と遣うようになった俗語の生れは、汗まじりの湯気を吹寄せて垢を掻くからか、それとも蒸されてふうふうのぼせるからかはっきりしないが、いずれにしろここでの付の思付の発端は「吹く」-他動詞-と「更く」-自動詞-の語呂合せに違いない。

但し、同じ入揚げるにしても、片や熱風呂通い、片や空家覗き、というのぼせとさましの対照的目移りが妙である。前句に色模様-湯女-を絡ませて読めば、「更行」秋のわびしさの情がいっそう利くだろう。秋と飽きの掛は和歌の常套だが、俳諧で遣えば秋が空-明き-になった、と去来は笑わせたいらしい、と。


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あつ風呂ずきの宵々の月

2009-04-20 16:36:15 | 文化・芸術
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―表象の森― 島之内小劇場生みの親、西原牧師の訃報

昨日の朝刊に西原明牧師-享年80歳-の訃報記事があった。彼が大阪の島之内教会から東京へと転出し、在阪時代と同様に自身牧師として奉職したシロアム教会で、自殺防止センターいわゆる「いのちの電話」の活動をひろげていった経緯などについては、昨年暮れの毎日新聞連載の特集記事「がんを生きる~寄り添いびと」で懐かしくも詳しく知るところとなったが、私の知る西原牧師は、その島之内教会時代、大阪で「いのちの電話」をはじめ、ずっとその中心にあって活動していた彼であり、とくに’70年代~’80年代、関西小劇場演劇の拠点として先駆的役割を担ってきた島之内小劇場のオーナー的存在としての彼だ。

島之内小劇場の誕生は’68年6月だそうだ。西原本人の回想談によれば、61年に教会活動の研修渡米した折、ニューヨークのワシントンスクエアにあるジャドソン記念教会で、当時としてはよく知られた詩人劇場、芝居やモダンダンス、ジャズ音楽などを上演していたのに出会ったのが動機になっている、という。のち’67年に島之内教会に赴任してきた彼にとって幸いしたのが、当時この教会一階部分を稽古場として借用していた劇団プロメテ-代表・岡村嘉隆-との出会いだった。教会の礼拝堂をそのまま利用した劇場空間というのも異色で、以後在阪の劇団のみならず東京などからのノリ打ち公演もよく掛かっていたものだ。また、この劇場を利用した島之内寄席もほぼ同時期に始まっているが、この発案も彼に拠るものであったらしい。

私はといえば、’72年7月に「身ぶり学入門-コトバのあとさき-」を、この教会の礼拝空間をそのままに利用して上演しているのが、自身の転回点となった舞台として、なんといっても印象深く記憶に残る。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「灰汁桶の巻」-14

  金鍔と人によばるゝ身のやすさ  

   あつ風呂ずきの宵々の月  凡兆

次男曰く、初裏八句目、月の定座。句末に投込の躰に作っている。
其人の会釈-金鍔-を以て付け、更に又会釈-熱風呂好-を重ねて付ける、というような鈍なはこびはない。二句の人物は別人、というより観相の対付である。ならば片や金鍔の身分になるまで、片や熱風呂好になるまでには、それなりの努力、人知れぬ苦労があるということだろう。そう読めば取合せの妙になる。

三浦浄心の「慶長見聞集」に面白い話がある。「見しは昔。江戸繁昌のはじめ、天正十九年卯年夏の頃とかよ。伊勢與市と云し者、銭瓶橋の辺りに銭湯風呂を一つ立る。風炉銭は永楽一銭なり。皆人珍しきものかなとて入給ひぬ。されども其頃は風呂不鍛錬の人あまた有りて、あら熱の湯の雫や、息がつまりて物も云われず、煙にて目もあかれぬ、などと云ひて小風呂の口に立ふさがり、ぬる風呂を好みしが、今は町毎に風呂有、びた拾五文、廿銭づつにて入也。湯女と云ひてなまめける女ども廿人、三拾人ならび居て、あかを掻き、髪をそそぐ。扨又、其外に容色類なく、心様優にやさしき女房共、湯よ茶よと云ひて持来り戯れ、浮世語りをなす。頭をめぐらし一度笑めば、百の媚をなして男の心を迷はす。云々‥」-ゆなぶろ繁昌の事-。

云うところは、上がり湯用の小風呂を別に設けた蒸風呂のことと知られるが、石榴口と呼ぶ低いくぐりから這入る仕掛になった共同浴室だ。密室の湯気に馴れるまでには、それだけでもけっこう忍耐と工夫が要る。況や、毎夜の熱蒸好となれば、並の鍛錬ではない。浄心の記事は、色模様も絡ませてそっくりそのまま、凡兆句のたねになる。尤も凡兆がこれを読んでいたという証拠はない。慶長も元禄もこの種の風俗は同じだった、と考えるべきかもしれぬ、と。


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金鍔と人によばるゝ身のやすさ

2009-04-18 19:34:33 | 文化・芸術
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―四方のたより― ちょっぴり成長

青空ひろがる陽光のもと自転車を走らせればすぐにも汗ばんでくるほどで、夏日に達しようかというバカ陽気だ。
今日はKAORUKO手習いのピアノの発表会だが、会場の阿倍野区民センターへは自転車で行くのが通例のようになって、ちょいとしたサイクリングというわけである。

習い始めて3年目で、発表会への出演も3度目、晴れの舞台に緊張で強張ってしまいがちだった子も、ようやく少しは馴れてきたと見えて、子どもたちみんなと一緒に舞台に並んで撮る記念写真にも今回初めて無事おさまった。石の上にも三年、まさに三度目の正直といったところか。

演奏の出来はといえば、外の子どもたちと比較できるほど聴いてはいないからよくは分からぬが、遅々として牛歩の如くとはいえ、マイペースでそれなりに上達しているとはいえそうだ。もともと勧めてみた母親のほうだって、別段ゆくゆくはなんて押しつけがましい期待をかけているわけではないのだから、このさき何年続こうと続くまいとさして拘らぬし、子ども時代の彩りのひとつにでもなればと、まあそんなところでいいのだろう。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「灰汁桶の巻」-13

   迎せはしき殿よりのふみ  

  金鍔と人によばるゝ身のやすさ  芭蕉

次男曰く、「殿よりのふみ」を受取る人を女から男に見替え、恋離れとしたはこびだが、おなじ休息でも束の間のそれ-打越と前-女-と「金鍔-きんつば-」のそれとは違うというのが、もう一つの大切な狙いだろう。

男女の気苦労の違いに眼をつけて句長を磨き上げるとは、うまい奪い方をする。当然、「人によばるゝ身のやすさ」とは、噂の仕立で我身の感想ではない。自・他のはこびから見ても、裏三句目凡兆の「風薫る」以下、自・自・時宜と続けて再び自の句を継ぐことなどありえない。「迎せはしき殿よりのふみ」は他の句である。付けて芭蕉の句も、金鍔を其の人の会釈とした他の作りだ。とかく評釈家が自他の見定めを避けたがるはこびだが、理に適った話作りをすればそう読むしかない。

その点に気付くと、噂の人物の俤のひとつも探りたくなる。思いがけぬこの兆しは連句の面白さである。さしづめ、相応しいのは幕藩体制の中に用人政治の優位を認識させた、かの柳沢吉保だろう。吉保は館林藩主徳川綱吉の稚児小姓として出仕、綱吉が5代将軍となるや、小納戸役に進み、次第に重んじられて、元禄元年側用人に任じ併せて諸侯に列せられた。31歳の時である。これより先、貞享元年には、大老堀田正俊が若年寄稲葉正休-綱吉のもと側衆-によって、江戸城本丸の御用部屋で刺殺されるという事件が起きている。幕閣の職制はすでに崩れつつあった。吉保が名実共にその権勢を恣にするのは元禄10年頃からだが、羽振りのよさは既に世間の評判になっていた筈だ。

金鍔はもと、刀身具に華美を競った桃山・江戸初期の一流行だが、寛永末頃から金の産出量が激減するにつれてその実用性を失った。元禄前後には、遊里通いなどの差料の見栄として僅かに名残をとどめ、語意も伊達者や権臣などを指す痛言へと転化したようだ。曰くありげに遣われたことばである。西鶴の「好色五人女」-貞享3年刊-には、「其年のほど十五か六か七まではゆかじ。水色の袷帷子に紫の中幅帯、金鍔の一つ脇差、髪は茶筅に取乱、そのゆたけさ女のごとし」と、当世若衆姿を描いている、と。


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迎せはしき殿よりのふみ

2009-04-15 23:57:17 | 文化・芸術
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―四方のたより― 携帯MailをPCへ

携帯のE-Mailを多用するようになってもう10ヶ月近く。そのやりとりのなかにはかなり大事なものもあって、記録として残しておいたほうがよいと思われるものが相当ある。ずいぶんと貯まってきたので保存すべく、まずはMicroSD-Memoryを携帯に取り付け、ここへ移動させた。

その上でPCに転送してみるも、VMGなる拡張子ではPCのMailerでは読めない。Freeの変換SoftをDownloadして拡張子はemlとなったが、Mailerに保存するには、面倒なことに一つ一つ開いては、あらためてフォルダに保存しなければならない。受信Mailと送信Mailで合せて800ほどだからコリャ大変だ。よほど暇な時を見つけてやるしかないか。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「灰汁桶の巻」-12

  ものおもひけふは忘れて休む日に  

   迎せはしき殿よりのふみ  去来

次男曰く、「前句恋とも恋ならずとも片付がたき句ある時は、必ず恋の句を付て、前句ともに恋になすべし」。「三冊子」が伝える師説だが、蕉風に限らず当然有るべき心がけである。

「迎-むかへ-せはしき殿よりの使者」と作れば「ものおもひ」を恋に奪ったとは決めかねるが、「ふみ」と抱合せれば「ものおもひ」が恋になるのではないか、と言葉の微妙な伝統に解釈のさぐりを入れたところがみそだ。「ふみ」と作っても、単独の句では恋とは云えぬ。去来らしい武骨なユーモアで、この伺いは一座の笑いを引出すに足りたろうが、その恋の中味を、休みたい-休ませぬ、と掛合に仕立てたコミックな情の煽りがよく利いている。

つまり、普通に考えればこれは、寵愛ひとかたならぬ側室とか御女中の宿下りだろうが、嫁の里帰りの寓喩でもよい-「殿」は亭主どの-、とくだけて読取せるところに俳がある。

二句はむろん女の上だが、「ふみ」の受取人を男に見替えて次座は恋離れとさせる用意は、先の「蛭の口処」-芭蕉-・「ものおもひ」-野水-に続いて、去来の内にある。三者同じ手口で、手早く軽快にはこんでいる。

   摩耶が高根に雲のかかれる
  ものおもひけふは忘れて休む日に
   蛭の口処をかきて気味よき
  ゆふめしにかますご喰へば風薫る
   迎せはしき殿よりのふみ

と仮に長句を入替えると、そうはゆかぬだろう。これでもはこびに障りはなく、話もそれなりに拵えられるが、活語がたちまち死に体になるのがよくわかる。これでは銘々、独り合点な連想ゲームだ、と。


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ものおもひけふは忘れて休む日に

2009-04-13 15:22:05 | 文化・芸術
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―四方のたより― 心の際-こころのきわ-

六甲の植物園に紫陽花を見に行ったのはもう何年前だったか、秋にK女が生まれたその年の初夏だったとすれば’01年か。

11日の土曜、ひさしぶりにその六甲山へ、このたびはK女と二人でドライブ行。このところ仕事に追われる連れ合いは一向に休日も取れないから、子守代わりにフィールドアスレチックででも遊ばせてやるかと出かけてみたのだが、この年になると身体にきついこと夥しい。帰りの運転など、気怠さからか襲いくる睡魔に抗いようもなく、とうとう43号線の西宮辺りで30分程停車して仮眠をとる始末で、哀しいかなおのが体力の衰えを実感させられる。

さて、昨日はいつもの稽古だが、この日は、負の意味において、記憶に留めねばならぬ日となった。

昨年の10月末よりすでに5ヶ月余を経て、とうとうこの日を迎えてしまったについては思うこといろいろあれど、いまはなんとも言葉に尽くしがたい。
偶さかこの三日ほど、竹内整一の「日本人はなぜ『さようなら』と別れるのか」-ちくま新書-を、他書と併せ読んだりしており、今朝ほど読了したのだが、
この「さよなら」が、「さようであるならば」か、はたまた「そうならなければならないならば」のいずれに偏るものか、その判別も下しかねるが、ただおのれ一身の「心の際」-器量-のこととして受けとめずばなるまい。

いまはただ、本書の中で採られていた、浄土真宗の僧であった金子大栄-1881~1976-が「色即是空、空即是色」を意訳したもの、とされる詞を書き留めておく。
「花びらは散る
 花は散らない」

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「灰汁桶の巻」-11

   蛭の口処をかきて気味よき  

  ものおもひけふは忘れて休む日に  野水

次男曰く、「蛭の口処」を雑の詞に執成した、時宜の付だが、「ものおもひ」を恋の呼出しと察知させる「-に」留めがうまい。

「休む日に」は逆-前句-にも順-次句-にもはたらく。前句と合せれば「ものおもひ」は農民のその日暮しの思案で、恋の詞というわけではない。だからこそ恋に奪いたくなるたのしみもあるのだが、仮にこれを「休みけり」と留めれば、「ものおもひ」はとたんに、無表情、無内容なことばと化してしまう。打越以下三句の見渡しも、同一人物の徒な付伸しにとどまって、連句にならぬ。

はこびは軍記に寄せた興のあとを承けて、恋句のひとつもほしいところだ。蛭に二用があれば物思いにも二用がある、と閃いた思付が「に」留めを生んだゆえんで、寄継ぎの手本のような句である、と。


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