山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

晒の上にひばり囀る

2009-08-23 23:55:53 | 文化・芸術
Dinnershow0901

―四方のたより― Dinner Showの裏で‥

たった3.4日のことなのに、大阪へ戻ってくると、朝方はそれほどでもないのだが、夜は蒸し暑く、とても寝苦しい。長い運転の疲れも残っているから、身体は重くて仕方がないし、ちょっとした休み惚けのていたらくである。

さて、話は変わるが、私の作っている四方館のHPには、二人の外部者、私個人とはかなり深い関わりがあるが、四方館とは直接交わりのない二つのリンクサイト、ネパール・ポカラの「きしもと学舎の会」と歌い手の「松浦ゆみ」を紹介しているが、今夜はその松浦ゆみの話題を。

彼女はメジャーデビューしてからでもすでに10年目、それ以前のプロ活動、さらにはポップス中心のアマチュア歌手としての活動歴も加えれば、もう充分ベテランというに相応しい歌い手さんであろう。
ところがこの1.2年、その彼女に、ひょっとすると歌手人生最大で最後の転機ともいうべきものが訪れているようなのである。

2年前に出したCD、A面に「裏窓」、B面に「演歌みたいに捨てられて」を収録したものだが、それがカラオケの世界ではじわりじわりと浸透してきて、このところ中ヒット作となっているというのである。
とくに、その題からしてシャンソン風な「裏窓」は、かなりの歌唱力が要される曲だから、そのことがかえって難曲に挑戦してみたくなる年季の入ったカラオケ愛好者たちの間では、よく好まれ歌われているらしいのだ。

そういった評価が、東京のある著名な作曲家と知遇を得るきっかけとなったようで、彼女はいま、従来から永年世話になってきた在阪の作曲家との、両者の贔屓の間でディレンマに陥り、ずいぶん悩みを深くしているという。贔屓といってもそれは綺麗事、この世界ではそれぞれの野心と利害ばかりが跋扈する、魑魅魍魎の世界だろう。

そんな状況のなかで、10月、デビュー十周年のディナーショーを開くことになっているが、門外漢ながら彼女からさまざま話を聞くなかで、むろんそれらを具体的に記す訳にはいかないが、この企画とその直後の推移しだいで、重大局面に身を賭していくことになるのでは、と想像されてならないのである。

おそらく、10月の彼女のディナーショー、それは私にとっても彼女に関わることの、最後のものとなるだろう。仮にその余の、幾許かの相談事にのることがあったとしてもだ。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>

「空豆の巻」-34

  よこ雲にそよそよ風の吹出す  

   晒の上にひばり囀る  利牛

次男曰く、挙句前の花の定座を控えて春の季を引出している。微風の立つところ雲雀があると考えたというよりも、むしろ「そよそよ風」そのものを「ひばり」と見替え、つれて「よこ雲」を「晒-さらし-」と見替えた付である。
「去来抄」に「同じ竃の句は手柄なし。されど、先より生増しならんは、又格別なり」と云う、その「生増-うまれま-し」た句の一つと見てよい。

最後の巡はabcdとなるべきところを、adbcと組替えている。これは宗匠に花の座を譲り、挙句を執筆が務めた自然の成行である、と。

―四方のたより―今日のYou Tube-vol.44-

四方館DANCE CAFEより
「出遊-あそびいづらむ-天河織女-あまのかわたなばた-篇」Scene.6




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父が掃けば母は焚いてゐる落葉

2009-08-22 20:59:59 | 文化・芸術
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―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、10月19日の稿に
10月20日、晴、曇、雨、そして晴れ、妻町行乞、宿は同前-藤屋-

-略-、9時から2時まで行乞、行乞相は今日の私としては相当だつた、新酒、新漬、ほんたうにおいしい、生きることのよろこびを恵んでくれる。

歩かない日はさみしい、飲まない日はさみしい、作らない日はさみしい、ひとりでゐることはさみしいけれど、ひとりで歩き、ひとりで飲み、ひとりで作つてゐることはさみしくない。-略-、

新酒を飲み過ぎて-貨幣価値で13銭-とうとう酔つぱらつた、ここまで来るともうぢつとしてゐられない、宮崎の俳友との第2回会合は明後日あたりの約束だけれど、飛び出して汽車に乗る、列車内でも挿話が二つあつた、一つはとても元気な老人の健康を祝福したこと、彼も私もいい機嫌だつたのだ、その二は傲慢な、その癖小心な商人を叱つてやつた事。

9時近くなつて、闘牛児居を驚かす、いつものヨタ話を3時近くまで続けた、‥その間には小さい観音様へ供養の読経までした、数日分の新聞も読んだ。

放談、漫談、愚談、等々は我々の安全弁だ。

―日々余話― 小さい夏の‥

4日振りの投稿は、夏の小旅行で留守したため。
19日-水-の早朝に発って、本日午後帰ってきました。

今年もまた信州へ-白馬の和田野の森のはずれ近く、瀟洒なペンションに2泊と、さらに越後糸魚川へ抜け、北アルプスの背-北側へ-廻って、秘湯で名高い蓮華温泉に1泊。
旅中、曇天続きで、ときに雨にも降られ、白馬の山脈はとんと拝めず、些か口惜しい旅ながら、天候相手では、偶々今年は巡り合せが悪かった、と矛を収めるしかない。

蓮華温泉へと足を伸ばした昨晩も、深夜まで雨が降り続いていたのだが、3時頃には雨音も止んで、ふと見上げると、ぽっかりと円く抜けたような中空に星々が煌めいていた。
待ちあぐねた晴れ間を逃す手はないとばかり、空が白みきった5時頃には連合いたちを起こしては、秘湯めぐりの散策を一時間余、細い坂道ばかりできつかったが、早朝の涼風が心地よかったし、白馬岳の姿もくっきりと見えて、この旅3泊4日の、点睛のひとときとなった。

―四方のたより―今日のYou Tube-vol.43-
四方館DANCE CAFEより
「出遊-あそびいづらむ-天河織女-あまのかわたなばた-篇」Scene.5



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よこ雲にそよそよ風の吹出す

2009-08-18 21:14:24 | 文化・芸術
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―四方のたより―神沢師の七回忌近く

神沢師が逝かれてはや6年が経とうとしている。その命日、9月6日に学園前の稽古場で法要を兼ねてのイベントが企画されているようで、もう十日ほど前か、書面の案内が寄せられている。
曰く「アンティゴネー」上演会、とか。

「父は生前、ギリシア悲劇の『アンティゴネー』を上演する意図を持っていたようです。最初の舞踊公演にギリシア悲劇にちなんだ『山羊の歌』というタイトルを賦し、またギリシア悲劇の名作の中でも『エレクトラ』『トロイアの女たち』『メディア』といった女性を中心にした作品を上演してきましたから。この思いは確かにあったのでしょう。父のそんな「思い残し」を、一つの作品にしようというのが私の気持ちです。」と子息和明氏は書面のなかで言っている。

また「創作の場であった<神沢創作舞踊研究所>の稽古場で、所縁の者たちが<神澤和夫>を観客にして上演する」あるいは「演じるのも観るのも、研究所に関わった人たち。研究所、稽古場にこだわった、私的な企画です」というあたりから類推されてくるのは、遺された者たち、とりわけ茂子夫人にとってのいっさいのけじめ、となるべきものであろうかと思われる。

神澤師の記憶が、それぞれの心の中にどのように生きていようとも、神澤和夫の仕事、それはなによりもまず協働者たる茂子夫人の舞踊いっさいを含み込み、さらには彼とシンクロナイズした同伴随伴のもろもろの者たちすべてを内包したものとして、七回忌を機に、その壮大な歌仙は、この企画「アンティゴネー」上演の会をもって挙げ句とされなければならぬ、そういう強い意志が和明氏を貫いているように見受けられるのだ。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>
「空豆の巻」-33

   山の根際の鉦かすか也  

  よこ雲にそよそよ風の吹出す  孤屋

次男曰く、「かすか」なものは「そよそよ風」だと、承けて作っている。「吹出-ふきいだ-す」が蛇足のようだが、「やみにけり」では起情に水を差すし、「面白う」では乗りすぎる。五七五遣句のことばづかいの落着くところは「吹出す」あたりか。

「よこ雲」は「山の根際」との釣合、と。

―四方のたより―今日のYou Tube-vol.42-

四方館DANCE CAFEより
「出遊-あそびいづらむ-天河織女-あまのかわたなばた-篇」Scene.4




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豊年のよろこびの唄もなし

2009-08-17 22:45:53 | 文化・芸術
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―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、10月19日の稿に
10月19日、曇、時々雨、行程5里、妻町、藤屋

因果歴然、歩きたうないが歩かなければならない、昨夜飲み余したビールを持ち帰つてゐたので、まづそれを飲む、その勢で草鞋を穿く、昨日の自分を忘れるために、今日の糧を頂戴するために、そして妻局留置の郵便物を受取るために-酒のうまいやうに、友のたよりはなつかしい-。

妻まで5里の山路、大正15年に一度踏んだ土である、あの時はもう二度とこの山も見ることはあるまいと思つたことであるが、命があつて縁があつてまた通るのである、途中、三名、岩崎、平群といふ町を行乞して、やつと今日の入費だけ戴いた、-略-

留置郵便は端書、手紙、雑誌、合せて11あつた、くりかへして読んで懐かしがつた、寸鶏頭君の文章は悲しかつた、悲しいよりも痛ましかつた、「痰壺のその顔へ吐いてやれ」といふ句や、母堂の不用意な言葉などは凄まじかつた、どうぞ彼が植えさせたチューリップの花を観て微笑することが出来るやうに。-略-
※表題句の外、11句を記す

―世間虚仮― 幸福の空騒ぎ

やれ、出るの出ないのと、幸福の科学の大川隆法が、告示近くなって二転三転と大騒ぎしていたが、どうやらやっぱり出ることになったらしい。

ところがなぜか、比例区東京ブロックから近畿ブロックへと、いつのまにか転身なさっている。もちろん名簿順位は1位と変わらないが‥。これって東京比例区より近畿のほうが、得票が多かろうと、独自のリサーチでもあったと云うことか。
それにしても、民主党を利することになるからと、告示も間近となっての空騒ぎ、大挙して撤退すると言ってみたり、直前になってのドタバタ劇には、開いた口がふさがらない醜態ぶりだ。

‘95年には信者数1000万人を突破したと豪語した幸福の科学、まあこれは眉唾にちがいないが、300万とも500万人も巷で喧伝されてきたのも事実だが、比例区であれ選挙区であれ、果たしてどれだけの票を集めるのか、私などにも、その総得票数の結果だけがちょっと気になる幸福実現党の選挙だ。

―四方のたより―今日のYou Tube-vol.41-

四方館DANCE CAFEより
「出遊-あそびいづらむ-天河織女-あまのかわたなばた-篇」Scene.3




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山の根際の鉦かすか也

2009-08-16 23:59:04 | 文化・芸術
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―日々余話― 盆の稽古の四方山話

7月26日から東京へと二つのバレエ講習会を受けるため東京へ行っていたありさが、ほぼ4週間ぶりに帰ってきて、久しぶりに顔を出す筈だった今日の稽古だが、先の講習を受けたソフィア・バレエ・アカデミーから、スタジオ公演に怪我で欠員が出来たとかで急遽呼び出され、再び上京して来られず。

皆既日食に日程を合わせて奄美へ帰っていた発声参加の田中勝美さんが、これまた1ヶ月半ぶりか、12時に顔を出して、一緒に小一時間の発声レッスン。
御年37歳とかの彼女の娘さんが、藤條虫丸に師事した平松麻衣という舞踏家と聞いて驚かされたが、考えてみれば、昔からアングラ演劇などはいろいろと足繁く通ってきた母親の、その娘がそういった道に踏み込んでいくのも、そりゃありそうなことではある。どうやら舞踏仲間の何人かでphysical poetsという名のグループを組んでいるらしい。

6年ぶりくらいだったか、一昨日会った四季の竹村君が、弁護士の卵-司法修習生-となった一回り以上歳の離れた若い夫人を伴って、稽古場に着いたのは約束の2時半過ぎだった。

かなりほっそりしたタイプかと想像していたが中肉中背、人の話を聞くときの眼がなかなか鋭い、さすがしっかりした好感の持てる子だ。
稽古を終えてから2時間近く、初会にもかかわらずこの夫婦との雑談は、気のおけない愉しいものだった。

<連句の世界-安東次男「風狂始末-芭蕉連句評釈」より>
「空豆の巻」-32

  このごろは宿の通りもうすらぎし  

   山の根際の鉦かすか也  岱水

次男曰く、さびれた宿場町は得てして山の根際などに在る、と考えれば合点のゆく作りだが、それだけでは「このごろは」の作意が消えてしまう。噂を落鮎売の愚痴と見定めた付だろう。売れぬ落鮎を嘆く行商の耳に山の根際あたりから念仏講の伏鉦-ふせがね-が聞こえてきた、と解すれば「このごろは」と「かすか也」は響きあう。「鉦かすか也」は「落鮎」との釣合である。

町がひっそりしているのをいぶかしく思ったら、人は山の根際に寄合っていた、という転換の思付は景気をうまく起す俳諧の一体になる。「うすらぎらし」は嘆き、「かすか也」は起情である。売れぬ落鮎はそれとして、手持無沙汰な行商の興も誘われて動くだろう、と。

―四方のたより―今日のYou Tube-vol.40-

四方館DANCE CAFÉより
「出遊-あそびいづらむ-天河織女-あまのかわたなばた-篇」Scene.2




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