山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

日記焼き捨てる火であたたまる

2009-10-09 12:22:23 | 文化・芸術
Dancecafe080928215

Information - CASOにおけるデカルコマニィ的展開「青空」展

―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、11月21日の稿に
11月21日、晴曇定めなくて時雨、市街行乞、宿は同前

夢現のうちに音をきいたが、やつぱり降る、晴れる、また降る、照りつつ降る、降つてゐるのに照つてゐる、きちがい日和だ、9時半から1時半まで行乞する、辛うじて食べて泊つて一杯飲むだけは与へせれた、時雨の功徳でもあり、袈裟の功徳でもある。-略-

下関の市街は歩いてゐるうちに、酒屋、魚屋、八百屋、うどん屋、餅屋-此頃は焼芋屋-、等々の食気屋の多いのに、今更のやうにも驚かないではゐられない、鮮人の多いのにも驚ろく、男は現代化してゐるけれど、女は固有の服装でゆうゆうと歩いてゐる、子供を腰につけてゐるのも面白い-日本人は背中につけ、西洋人は籃に入れてゐる-。

昨日も時化、今日も時雨だ、明日も時雨かも知れない、時化と関門、時化の関門と私とはいつも因縁がふかいらしい。-略-

しぐれの音が聞える、まつたく世間師殺しの天候だ、宵のうちに、隣室の土工さんが、やれやれやつと食ふだけは儲けて来た、土方殺すにや刃物はいらぬ、雨が三日降りやみな殺し、と自棄口調で唄つてゐたのを思ひだす、私だつて御同様、わがふところは秋の風どころぢやない、大時化のスツカラカンだ。

※表題句の外、15句を記す

―表象の森― 瞑想の即興

ここ数年、インド舞踊で全国的に活動の場をひろげている茶谷祐三子が、やっと我が四方館の稽古場に姿を見せた。

Pure Danceと本人が謂うところの即興は、「瞑想の踊り」と形容するに相応しいものであった。踊りに入る時点で彼女はある種の瞑想法ですでに日常性から脱して精神的な高みに達しているかのようにみえるのは、普段の表情とまるで異なる相貌になっているからだ。かといって憑依というべきものではなく、なにやら気品といったものが漂うような雰囲気がある。

振付の決まった18分余を要するOdissi Dance、この踊りを文字どおりpureに踊りきるのはとても難しい、と私には思えた。所作のたびに足に付けた鈴の音色と伴奏音との微妙なバランス、これは生演奏でなければまず無理だろう。だがそんなことよりも、次から次へ連綿と紡がれる細かい所作の綴れ織りともみえるこのOdissi Danceを、軽快にDynamicにかつ優雅に踊りうる者は、この日本にも小野雅子など何人か居るのだろうけれど、彼女が垣間見せてくれた「瞑想の踊り」のように、その精神の高みにおいて、それは神や仏なるものへの帰依や信仰から発してその化身へと昇華していくようなものでもあろうか、この長丁場を踊りきるのは至難のわざとみえる。

茶谷祐三子のインド生活は、ほぼ10年に及んだという。先師に仕えて踊りの習得に励んできたのは7年間、毎日8時間もの稽古という、ひたすら瞑想と踊りの訓練に明け暮れた日々だったろう。相当の長い年月を身心共にずぶりとその世界に浸りきった、そんな暮しのなかでしか身につけ得ないものがあるだろう。彼女は彼女なりにそういったものを身につけている。


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ふる郷の言葉となつた街にきた

2009-10-07 23:57:25 | 文化・芸術
Santouka081130038

Information – 四方館のWork Shop

四方館の身体表現 -Shihohkan’s Improvisation Dance-
そのKeywordは、場面の創出。

場面の創出とは
そこへとより来たったさまざまな表象群と
そこよりさき起こり来る表象群と、を
その瞬間一挙に
まったく新たなる相貌のもとに統轄しうる
そのような磁場を生み出すことである。

―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、11月20日の稿に
11月20日、曇、時雨、下関市行乞、本町通り、岩田屋

朝風呂に入れて下さつたのはありがたかつた、源三郎さんといつしょにでかける、少し借りる-何しろ深耶馬を下るためにといふので2円ばかり貯つてゐたのだが、宇島までにすつかり無くなつた、宇島で行乞したくないのを無理に行乞したのは、持金20銭しかないので、食べて泊るだけにも22銭の不足だつたからである-。

駅で別れる、しぐれがなかなかやみさうにもない、気分もおちつかないので、関門を渡る、晴間々々に3時間ばかり行乞、まだ早すぎるけれど、昨春馴染の此宿へ泊る、万事さつぱりしてゐて、おちつける宿、私の好きな宿である。

酒は心をやはらげ湯は身体をやはらげる、身心共にやはらげられて寝たのに、虱の夢をみたのはどうしたことだらう!-もう一杯飲みたい誘惑に敗けたからかも知れない!-

下関はなつかしい土地だ、生れた故郷へもう一歩だ、といふよりもすでに故郷だ、修学旅行地として、取引地として、また遊蕩地として-20余年前の悪夢がよみがへる、‥

秋風の関門を渡る-かも知れませんよと白船君に、旅立つ時、書いて出したが、しぐれの関門を渡る-となつたが、ここからは引き返す外ない、感慨無量といふところだ。

※表題句の外、2句を記す

-世間虚仮- 月額制から時給制へ、非常勤講師のPoor化

大阪府下の小中高に勤務する非常勤講師の報酬が、橋下府政下、本年度より、月額制から時給制へと改められ、実態は2割減の減収になっているという。逆に言えば、府予算における非常勤講師雇用経費を、この変更で2割節減しているということだ。

ずいぶんとケチ臭いところに目を付けたものだと思われるのだが、どっこいどうやらこの傾向は全国的なものらしい。昨年度時点で月額制だった府県はわずかに数ケ所だったという話で、この実情にも驚かされる。

非常勤講師とフルタイムの常勤講師とを含めた、いわゆる非正規雇用の教員も全国的に増加傾向だという。昨年度の全国小中高校教員に占める非正規教員の割合は14.1%。大阪府でも増加傾向にあり、とりわけ府立高校は全教員数のうち27%-今年5月時点-を占めるというから、この実態にも驚かされる。

少人数学級の加速傾向や高校における教育の多様化傾向にあって、教員の絶対必要数は高まる一方、そんな状況下で教員の非正規雇用がいよいよ進行している訳だ。

それにしても少人数学級や教育の多様化が、直ちに非正規化へと接続されるという現実、ここにも豊かな社会から滑り落ち遠離りゆくこの国の姿がある。


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蒲団ふうわりふる郷の夢

2009-10-06 04:22:16 | 文化・芸術
080209150

Information - CASOにおけるデカルコマニィ的展開「青空」展

―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、11月19日の稿に
11月19日、晴、行程3里、門司、源三郎居、

嫌々行乞して椎田まで、もう我慢出来ないし、門司までの汽車賃だけはあるので大里まで飛ぶ、そこから広石町を尋ね歩いて、源三郎居の厄介になる、だいぶ探したが、酒屋のおかみさんも、魚屋のおやぢさんも、また若い巡査も-彼は若いだけ巡査臭ぷんぷんであつたが-、私と源三郎さんのやうな中流以上の知識階級乃至サラリーマンとを結びつけえなかつたのはあたりまへだらう。

源三郎さんは-奥さんも父君も-好感を持たないではゐられないやうな人柄である、たらふく酒を飲ませていただいて、ぞんぶん河豚を食べさせていただいて、そして絹夜具に寝せていたたいた。-略-
※表題句の外、2句を記す

―四方のたより― 名古屋の大須大道町人祭

名古屋市は大須観音の門前町、大須商店街を中心に、全国から集まった大道芸人たちが繰り広げるPerformanceで毎年賑わってきた大須大道町人祭も、もう32回目を数えるという。

その初期から中期、10年くらい前までは大道芸といっても、嘗てのアングラ系のPerformerがかなりの勢力を占めていた筈だが、今年の出演者たちの顔ぶれを眺めれば、大駱駝艦の金粉ショーと人間美術館の雪竹太郎、そしてデカルコ・マリィ一党の物之怪曼荼羅と三者くらいのもので、年々賑わいを増すほどにPerformerたちの芸質も、毒から薬へと、今様のお笑い芸人たち同様にずいぶんと健全なものに変貌してきているものとみえる。

デカルコ・マリィが、このイベントの初期、いつごろから出演し始めたのか、詳しくは知らない私だが、おそらく20年は優に越え、芸人たちのあいだでは最も長い、連続記録保持者なのだろう。

以前から一度くらいは臨場しておかねばなるまいと思ってはきたのだが、初期の頃の毒気臭がまだ微かには感じられよう今年あたり行っておかねば、すっかりその機も失せてしまいそうだと、そんな予感が擡げてきた。


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朝、万年青の赤さがあつた

2009-10-04 07:59:08 | 文化・芸術
0509rehea_048

Information – 松浦ゆみのDinner Show

―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、11月18日の稿に
11月18日、曇、宇ノ島八屋行乞、宿は同前、いい宿である

行乞したくないけれど9時から3時まで行乞、おいしい濁酒を飲んで、あたたかい湯に入る、そして寝る、どうしても孤独の行乞者に戻りきれないので閉口々々。
※表題句は、16日付記載の中から

―日々余話―運動会中止、新型インフル!

2学期に入ってまもなくから、クラス毎にあるいは学年毎に、ダンスの集団演技や競技の練習を繰り返してきた運動会が、新型インフルエンザの流行でとうとう中止に追い込まれてしまった。

・学校よりお知らせ-PTA携帯連絡網による第1便-10.3.PM3:20-
10月4日-日-の運動会当日、インフルエンザ等による欠席者が多数出ることが予測される事態となりました。
その場合は児童の健康と感染拡大を予防する観点から、プログラムの一部をカットし、午前中に団体競技・演技のみ実施することも考えております。
尚、その場合も、弁当につきましては、希望される方には運動会終了後、運動場・講堂を開放する予定です。
最終判断は明日-10月4日-児童の登校状況を見て行います。-小学校校長

・保護者の皆様へ-PTA携帯連絡網による第2便-10.3.PM7:48-
明日-10月4日-に予定しておりました運動会ですが、現時点でインフルエンザによる学級休業となるクラスが出ることが確実となりました。
つきましては、感染を防ぐため、明日の運動会はとりやめます。
児童は午前中のみの平常授業となります。
後日のことについては、検討後、明日プリントにてお知らせいたします。
急なことでご迷惑をおかけしますが、どうぞ宜しくお願いいたします。-小学校校長

我がマンションは学校正門前に道路を隔ててあるから、運動会の練習など学校の様子が手に取るようにわかる。ブラスバンドの練習などはいささかうるさいほどに聞こえてきていた。

事ここに到る2.3日前、学校から帰ってきた子ども-KAORUKO-の話によれば、隣組さんでは欠席児童が10人、とと聞いていた。児童が30人しかいないのだから、すでに3割を越える欠席率だ、これで学級閉鎖にならないのは、インフルエンザと特定できているケースがなお半数に満たない状況であったのだろう。

KAORUKOによれば、そのクラスの2日-金曜-の欠席は9人だった、と聞いてもおり、学級閉鎖-運動会中止の線は、充分あり得ることと予想もされたのだったが‥。
いざ現実に中止となってみれば、子どもたちの落胆はやはり大きかろう。KAORUKOの場合、以前はあまり早くもなかった駆けっこが、これも成長曲線の不特定さか、近頃はなぜか得意になってきたらしく、トップでテープを切るのを楽しみにしていた節もある。

はたして、たんに延期ですむものか、それとも中止となって、一炊の夢まぼろし、露と消えてしまうのか、学校関係者にとっては悩ましく判断の難しいところだろうが、この分では後者の線が可能性大だろう。


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つきあたつてまがれば風

2009-10-02 23:50:14 | 文化・芸術
Dc09070757

Information – 四方館のWork Shop

四方館の身体表現 -Shihohkan’s Improvisation Dance-
そのKeywordは、場面の創出。
場面の創出とは
そこへとより来たったさまざまな表象群と
そこよりさき起こり来る表象群と、を
その瞬間一挙に
まったく新たなる相貌のもとに統轄しうる
そのような磁場を生み出すことである。

―山頭火の一句― 昭和5年の行乞記、11月17日の稿に
11月17日、晴、行程1里、宇ノ島、太田屋

朝酒は勿躰ないと思つたけれど、見た以上は飲まずにはゐられない私である、ほろほろ酔うてお暇する、いつまたあはれるか、それはわからない、けふここで顔と顔を合せてる-人生はこれだけだ、これだけでよろしい、これだけ以上になつては困る。‥

情のこもつた別れの言葉をあとにして、すたすた歩く、とても行乞なんか出来るものぢやない、1里歩いて宇ノ島、教へられてゐた宿へ泊る、何しろ淋しくてならないので濁酒を二三杯ひつかける、そして休んだ、かういふ場合には酔うて寝る外ないのだから。-略-

友人からのたより-昧々居で受け取つたもの-をまた、くりかへしくりかへし読んだ、そして人間、友、心といふものにうたれた。-略-

※表題句の外、4句を記す
その中に、「別れてきた道がまつすぐ」の句が見える

―世間虚仮― 芸術性か社会貢献か

橋下府知事が大鉈を振るった文化事業への補助金削減で、存続の危機に晒されてきた大阪センチュリー交響楽団が、知事との最終的な折衝もすれ違ったまま、民営化へと歩まざるを得なくなり、スポンサー探しに乗り出すことになった模様だ。

対立点ははっきりしている、芸術性か社会貢献か。知事側の主張は簡単明瞭、府の文化事業ならば、コンサートホールでの演奏活動よりも学校や病院を訪問して鑑賞会を行うなどの直接サービスを最優先させろ、と曰っているそうな。

センチュリー側としては、20年前の成立経緯からも、また20年の活動の積み重ねのなかで成熟させてきた音楽性を真っ向から否定するかの如き知事の要請を飲むわけにはいくまい。社会貢献の活動を否定しさるものではないが、芸術性あっての社会貢献、主従の別はおのずから決まってこよう。

現状では、センチュリーの年間予算は7億1千万円、H20年度の補助金は3億9千万だったが、H21年には1億1千万に減額されており、このままでは存続し得ないことは一目瞭然、スポンサーを府から民へと乗り換えざるを得ないわけだが、川の流れに身を任せる笹の葉同然、覚束ないことこのうえない仕儀となってしまった。

捨てる神あれば拾う神あり、
以前から大阪府に遺贈の申し出をしていた芦屋在住の老婦人、今年6月に亡くなっているが、生前音楽愛好家だった彼女の遺志は、府の楽団への寄付であったということで、この10月末にもセンチュリーへの贈与が手続きされる運びだ、と。

だが、奇特な浄財でたとえ一時はしのいだとしても、府に替わるスポンサーが現れないことにはたちまち存続不能となる。企業スポーツ崩壊の昨今でもある。はたして企業スポンサーなど、救いの手は伸びるものかどうか‥。

なんだか、橋下府政への呪詛の呻きが聞こえてきそうな、そんな一件だ。


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