山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

春寒い島から島へ渡される

2010-07-03 23:52:08 | 文化・芸術
Santouka081130045

―世間虚仮― 梅雨の不快も‥

今日も朝早くから、豪雨と形容するのが相応しいほどに、雨が降り続いているが、この蒸し暑さ、堪らぬ不快さには、いまにも音を上げそうで、なんとかならぬものかと、辟易もいいところ。
今年の梅雨には、なんだかおぞましささえ感じているような私なのだが、そんな弱音も、自身の加齢の所為もいくらか与ってあるのかもしれぬ。
まあ、これほどに降れば、各地のダムも、例年騒がれるような、渇水の心配もないのだろうけど‥。

それに加えて、これは梅雨とはなんの因果もないことだが、このところ老眼の度がさらに進んだらしく、いよいよメガネが合わなくなってきている。細かい字を読むのも、PCに向かうのも、以前に増して気力を要するようだ。そんな苦も重なって、他人様以上に、今年の梅雨に対し恨みがましく思っているのかも‥。
いずれにせよ、歳古るほどに、適応能力も劣ってくるのだからして、身に堪えようが違ってきているのだろう。


―山頭火の一句―
行乞記再び -90
3月31日、晴、行程8里、平戸町、木村屋

早く出発する、歩々好風景だ、山に山、水に水である、短汀曲浦、炭車頻々だ。
江迎を行乞してゐて、ひよつこり双之介さんに再会して夢のやうに感じた、双之介さんはやつぱり不幸な人だつた。
双之介さん、つと立つて何か持つてきた、ウェストミンスターだ、一本いただいてブルの煙をくゆらす、乞食坊主と土耳古煙草とは調和しませんね。

日本百景九十九島、うつくしいといふ外ない。
田平から平戸へ、山も海も街もうつくしい、ちんまりとまとまつてソツがない、典型的日本風景の一つだらう。
テント伝導の太鼓が街を鳴らしてゆくのもふさはしい、お城の練垣が白く光つてゐる、-物みなうつくしいと感じた-すつかり好きになつてしまつた。

当地は爆弾三勇士の一人、作江伍長の出生地である、昨日本葬がはなばなしく執行されたといふ。-略-
此宿はしづかでよろしい、お客といつては私一人だ、一室一灯一鉢一人だ-宿に対してはお気の毒だけれど-。-略-

※表題句の外、2句を記す

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Photo/名勝九十九島の風景と、夕映えの眺め

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Photo/平戸の対岸にある、田平の天主堂とその傍らの墓地


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さくらが咲いて旅人である

2010-07-01 23:47:23 | 文化・芸術
Dc090707202

―表象の森― 土門拳の鬼

いい写真というものは、写したのではなくて、写ったのである。計算を踏み外した時にだけ、そういういい写真が出来る。僕はそれを、鬼が手伝った写真といっている。-「肖像写真について」1953年-

ぼくは心のふるさとへ帰るように、日本の古典、弘仁彫刻と文楽人形浄瑠璃の撮影に没頭した。昭和16-1941-年12月8日、対米宣戦布告の号外を見たのも、大阪四ツ橋の文楽座の楽屋だった。留守宅に赤紙が来てやしないかと、いつもあやぶみながら、空きっ腹をかかえて、寺から寺への旅をつづけていた。-「古寺巡礼」1963年-

報道写真家としてのぼくも、今日ただ今のアクチュアリティのある問題と取組んで、現場の目撃者として火柱の立つような告発なり、発言なりを行いたい。-「デモ取材と古寺巡礼」1968年-

死も生も絶対なのは、それが事実であるからだ。運命というようなメタフィジカルな思考を離れてむ゜、それは事実そのものとしての絶対性において、人間の全存在を決定している。それは、死か生かというような決定的な瞬間を定着するだけでなく、日常茶飯のすべてをも、その連鎖の上に成立させている。-「死ぬことと生きること」1974年-

ぼくに対する憎悪と反発、それはとうてい長い時間そのままではいられない爆発寸前の状態だった。ぼくは梅原さんの全身から、殺気に似たものを感じた。何よりも、ガバッと起ち上がって、カメラほけとばしはしまいかと、と恐れた。ぼくは、咄嗟のり間にもカメラを引抱えてうしろー退けるよう、油断なく気を配りながら、シャッターを切った。そして、もはやこれまでと思い、「有難うございました」と、お辞儀した。
梅原さんは、むっくり起ち上がった。籐椅子を両手で一杯に持ち上げた。そして、「ウン」と気合もろとも、アトリエの床へ叩きつけた。すさまじい音だった。一瞬しーんとした。
-「風貌」1953年、玄関払いを食わせるような手強い相手ほど、かえっていい写真が撮れる、という土門と、写真嫌いで知られた梅原龍三郎の、火花が散るような対決のエピソードである。-

―山頭火の一句― 行乞記再び -89
3月30日、晴、宿酔気味で滞在休養。

旅なればこそ、独身なればこそである、ありがたくもあり、ありがたくもない。-略-
昨夜は酔うたけれど脱線しなかつた、脱線料がないからでもあつたらうが、多少心得がよくなつたからでもあらう、-略-

同宿の老人がいろいろしんせつに宿の事や道筋の事を教へて下さつた、しつかりした、おちついた品のよう老人だつた、何のバイ-商売-か知らないが、よい人が落ちぶれたのだらう。

私はさつぱりと過去から脱却しなければならない、さうするには過去を清算しなければならない、私は否でも応でも自己清算に迫られてゐる。

※表題句の外、2句を記す

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Photo/相浦富士とも称される愛宕山と相浦川河口付近

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Photo/黒島天主堂で名高い九十九島最大の黒島へは、相浦港からフェリーで渡る


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