ギャラリー樟楠&あるぴいの銀花ギャラリー日記

作家の紹介から展覧会の様子。 ギャラリーのあるアルピーノ村の季節のお知らせ。

ふたつの別れ

2010年03月22日 14時48分19秒 | お知らせ

だんだんと、日差しも暖かくなり、桜の蕾のあと少しで咲いてくれそうです。この3連休は、アルピーノ入り口の木蓮がステキに咲いてくれました。(この後の、落ちた花弁の掃除が大変ですが)

昨日、ふたつの別れがありました。2008年の春より、あるぴいの銀花ギャラリーのお手伝いをしてくれていた、スタッフの浜中さんが退職されました。素敵な笑顔と 元気なおしゃべり、2年間で、アルピーノ村スタッフも含めたくさんのファンができました。子供連れのお客様が来ると、子供の相手をして、お父さんお母さんが 作品をゆっくり見れるようにしてくれたり、併設の喫茶スペースが忙しい時も、サッと手伝いに行き、お客様をお待たせしないように頑張ってくれました。

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Photo_2 :説明してるふりして、自分が楽しんでいる浜ちゃん。

自分の夢に近づくために、今回辞めることになりましたが、落ち着いたら、いつでも戻っておいで、みんな待ってるよ。お疲れ様です。

Photo_3 :2009年春 イタリア料理イルクオーレで発表された水島一生さんのハートのガラス絵。

3月21日未明、その 水島一生さんが、お亡くなりになりました。

川崎市のギャラリー華沙里http://www.shinyurigaoka.com/kasari/にて3日間だけ行われる の最後の個展。初日のオープニングパーティーで、サラダやおつまみを ご自分で作られて、皆様をお迎えした日の翌朝の事です。

2007年1月に見つかった咽頭ガン。3年間の闘病生活のなかでも、新しい発見に目を輝かせ、人との出会いに喜び、意欲的に作品を制作。埼玉でも、・2008年10月 あるぴいの銀花ギャラリー ・2009年3月 イルクオーレと、2度の個展。

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その後、5月に気管切開の手術により、声を失われました。会話を大切にしていた水島先生にとっては大きな決断だったと思いますが、「筆談ができるから、不自由はない」と気丈にふるまっておりました。年末に、喉から食べ物が入らなくなり 再入院、手術。それから3カ月と少し、点滴だけで栄養を取りながらも、個展に向けて頑張ってきて、初日を無事に迎えたのでした。

先日届いた、水島先生からの最後の手紙。大切なメセージが、たくさん綴ってありました。水島先生の言葉、時に厳しくもありました。しっかり受け止めて、これからの糧にしていきます。

水島先生 ありがとうございます。 

みかさん お疲れさまでした。

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水島一生さんのご冥福を 心より お祈りいたします。

あるぴいの銀花ギャラリー スタッフ一同

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