喪中葉書を出し終えたら、それを受け取った方達から、電話やお手紙を受け取り、又また涙が止まらず、しなければならない事が、はかどらない。
みんな心配して、「知らなかって、ゴメンね」と言う方が多く、いろいろ心配して話して下さるので、特に女性の方の電話は、長~い。
皆さん、私の事を心配して色々聞いて下さったり、「こうしなさいよ」、「何々してはダメよ」など等・・
「皆さん、ご心配かけてすみません」の気持ちでいっぱいです。
中には、養護学校の先生をされていた方が、かなりのご高齢になられ、子供さんがなくて、夫婦で老人施設に入られている方ですが、施設から電話を下さいました。
また、A4の用紙にびっしり文字打ちされたお手紙を下さった主人との釣り友達だった、今は定年退職されていますが、京大の先生だった方からの文面は、主人の思い出がいっぱい書いてあり、涙涙でなかなか最後まで読み終わる事が出来ませんでした。
主人が、よく釣り友さんたちを誘って、舞鶴へ釣りに行くときは、いつも私の実家に泊まって、早朝に釣りに出かけていました。
母も、お父さんたちが来て泊まることを、いつも快く受け入れてくれていました。
ここに書いたことは、母も、主人も、そのほかの方たちも、みんなみんな私たち家族の一番いい状態だった頃のいい思い出の一コマです。
みんな心配して、「知らなかって、ゴメンね」と言う方が多く、いろいろ心配して話して下さるので、特に女性の方の電話は、長~い。
皆さん、私の事を心配して色々聞いて下さったり、「こうしなさいよ」、「何々してはダメよ」など等・・
「皆さん、ご心配かけてすみません」の気持ちでいっぱいです。
中には、養護学校の先生をされていた方が、かなりのご高齢になられ、子供さんがなくて、夫婦で老人施設に入られている方ですが、施設から電話を下さいました。
また、A4の用紙にびっしり文字打ちされたお手紙を下さった主人との釣り友達だった、今は定年退職されていますが、京大の先生だった方からの文面は、主人の思い出がいっぱい書いてあり、涙涙でなかなか最後まで読み終わる事が出来ませんでした。
主人が、よく釣り友さんたちを誘って、舞鶴へ釣りに行くときは、いつも私の実家に泊まって、早朝に釣りに出かけていました。
母も、お父さんたちが来て泊まることを、いつも快く受け入れてくれていました。
ここに書いたことは、母も、主人も、そのほかの方たちも、みんなみんな私たち家族の一番いい状態だった頃のいい思い出の一コマです。