昨日(16日)は京都では五山の送り火の日でした。
毎年、テレビの中継で見ています。
何年か前には、入院中の病院から、この日は、いつもの消灯時間が9時のところ、送り火を見てもいいと言うことで、自分で動ける患者は、東病棟と西病棟の中間にある広いラウンジまで行って、見ることが出来ました。
このときは、あぁ綺麗だなと言う感じで見ていました。
去年からは、また、家でテレビ中継を見ています。
しかし、去年あたりから、この五山の送り火が、今までとは、見ていると、綺麗だなぁという気持ちよりも、何だかもの悲しく見えるようになりました。
送り火と言う意味がはっきり解って来たのが、身に染みて、やはり身近なものが亡くなって、そういう人たちへの思いが心にずっしりと入り込んでいるためだなと感じます。
今日の新聞記事によると、お盆に迎えた先祖の霊を送る伝統行事と書いてありました。
昨日の夜は、京都市内は、強い雨の中、市街を囲む山々に浮かんだ火文字を、鴨川沿いなどから約3万人(京都府警調べ)の見物客らが見守った。
午後8時、京都市左京区の如意ケ嶽に、「大文字」がともり、その後、東から西へと「妙法」、「船形」、「左大文字」、「鳥居形」の火文字が次々とうかんだ。と書いてありました。
五山送り火
毎年、テレビの中継で見ています。
何年か前には、入院中の病院から、この日は、いつもの消灯時間が9時のところ、送り火を見てもいいと言うことで、自分で動ける患者は、東病棟と西病棟の中間にある広いラウンジまで行って、見ることが出来ました。
このときは、あぁ綺麗だなと言う感じで見ていました。
去年からは、また、家でテレビ中継を見ています。
しかし、去年あたりから、この五山の送り火が、今までとは、見ていると、綺麗だなぁという気持ちよりも、何だかもの悲しく見えるようになりました。
送り火と言う意味がはっきり解って来たのが、身に染みて、やはり身近なものが亡くなって、そういう人たちへの思いが心にずっしりと入り込んでいるためだなと感じます。
今日の新聞記事によると、お盆に迎えた先祖の霊を送る伝統行事と書いてありました。
昨日の夜は、京都市内は、強い雨の中、市街を囲む山々に浮かんだ火文字を、鴨川沿いなどから約3万人(京都府警調べ)の見物客らが見守った。
午後8時、京都市左京区の如意ケ嶽に、「大文字」がともり、その後、東から西へと「妙法」、「船形」、「左大文字」、「鳥居形」の火文字が次々とうかんだ。と書いてありました。
五山送り火