あまねのにっきずぶろぐ

1981年生
愛と悪 第九十九章からWes(Westley Allan Dodd)の物語へ

ちびまる子ちゃん

2018-08-29 07:19:10 | 漫画

ちびまる子ちゃん 第19話「おかあさんの日」

 

 

 

 

ちびまる子ちゃん 第19話「おかあさんの日」、第20話「ゆううつな参観日」「5月のオリエンタル小僧」 
https://youtu.be/_7GsUaaZ1Do

 

昨日の晩からずっと観てたのだが、来たな…

ちびまる子ちゃんで多分一番感動する回「第19話 おかあさんの日」。

号泣しました。わたしはお母さんの記憶がなくて、父の日にも何かあげた記憶もないのだけれども…。

 

 

 

 

ちびまる子ちゃんはわたしが8歳の時から22歳の頃までずっと放映されてたときはよく観ていました。

お父さんが死んでしまう年のわたしが22歳(2003年)の時までお父さんと一緒にちびまる子ちゃんを観ていた。

でもお父さんがいなくなって、ちびまる子ちゃんとかほとんどお父さんを想いだすものを観れなくなってしまったから、多分2003年以降は観ていない。

 

 

ちびまる子ちゃんの作者さくらももこが亡くなったことが全然実感が湧かない。

それもうちのお母さんと同じ病気で。(しかも旧姓の苗字も母の旧姓と同じで名前も母と二文字同じで吃驚しています)

わたしの母は42歳で乳がんが見つかったときは既に末期で、そこから二年ほどの闘病の末にガンが脳にまで転移してモルヒネで朦朧とするなかに44歳で息を引き取った。

乳がんは女性の死亡率第5位(女性の30歳から64歳では、乳がんが死亡原因のトップ)、がん罹患率第1位で12人に1人が乳がんを発症する(欧米では8人に1人)と言われているほど増加している病気です。

乳がんになる女性の割合は50年前は50人に1人、乳がんで亡くなる女性は2013年には1万3000人を超え、35年前と比べて3倍以上にもなっている。

乳がんの増加の原因の一つに食生活の欧米化が上げられています。

女性ホルモンの1つであるエストロゲン(卵胞ホルモン)は乳がんのがん細胞を増殖させることが知られている。

女性ホルモンバランスを崩し、不自然に増加させてしまうものといえば一番に乳製品(牛乳)、そして成長ホルモン剤を与えられている家畜の肉があります。

何年か前に、不整脈で病院で検査を受けたときに、母は乳がんで44歳で死んだことを伝えると医師から「お母さんは乳製品はよく摂られていましたか?」と訊かれました。

医学界でも乳がんと乳製品や畜肉との因果関係が叫ばれてきているからです。

乳製品や畜肉は前立腺がんとの因果関係もあると言われています。


 

牛乳と肉は乳ガンのリスクを急速に早める

実際、ヨーロッパの研究でも高脂肪食をよく摂る女性は、そうでない女性に比べて2倍も乳がんになるリスクが高まるという結果が出ており、がん調査機関EPICは、高脂肪食の例として、ソーセージなどの肉製品、バター、チーズ、クリームなどの乳製品、チョコ、ビスケットなどのスイーツをあげていますが、これは日本人が日々口にしているものであり、あまりに身近過ぎるため、知らないうちにパクパク食べてしまった経験は誰にでもあるのではないでしょうか。

食の欧米化は肉と乳製品に依存しており、実際、肉の食べ過ぎは乳がん発症の一因として、多くの医療関係者が指摘しています。

また「乳がんと牛乳」の著者であり、科学者でもあるジェイン・プラント氏は、牛乳には子どもの急速な成長を支えるための様々な成長促進物資が含まれており、成長が止まった成人が、このような成長因子やホルモンをたっぷり含んだ牛乳を飲み続けるとどうなるかを調査した上で、「乳がんになる、ならないは単なる科学の問題、すなわち牛乳や乳製品を摂るか、摂らないかによって決まるのだ」と結論づけています。

 


 

 

がんは早期発見をと言われていますが、早期発見よりも意識しなくてはならないのが食生活です。

実際、わたしが急に胸のしこりが痛み出したのが、2011年当時付き合っていた恋人が牛乳が好きで、同じものが飲みたくなって意識して多く摂っていた時期でした。

しこりは良性でしたが痛みがなかなか消えず、不安な日々でした。

それが2012年から畜肉と乳製品と卵を断って、その頃から痛まなくなっていることに気付きました。

たまにお酒を飲みすぎると痛むことがありますが、ずっと続くような痛みではありません。

 

 

うちの姉は今年で53歳で、さくらももこと同い年です。

まだまだすごく若いと感じる年齢です。

実際に何が原因であるかはわからないことですし、本人が決めてこの世を去ることもあると想います。

でも、全員が全員そうであるかもわからないし、もし本当に乳製品や肉などの因果関係によって多くの人々が若くで亡くなって行っているのだとしたら、残念に想うのが人情ではないでしょうか…?

 

 

 

 

 

さくらももこは、なんとなくおばあちゃんの年になるまで長生きしそうだなと感じていました。

子供の頃にちびまる子ちゃんが大好きで、兄が揃えていたちびまる子ちゃんの漫画をこっそりいつも読んでいたりとか、お父さんのお金盗んでちびまる子ちゃんの手鏡を買って、その後もずっと使っていたこととか想いだしていました。

 

 

(デジタル)コジコジ・海のおじいさんのおんがく

 

多分わたしが16歳くらいの頃、姉の家に父と遊びに行ったときに、姉がパソコンでコジコジのちょっとしたゲームソフトみたいなものを見せてくれて、それで初めて「コジコジ」を知って、姉がその時何度も、コジコジに出てくる「歌うコーヒー人形」の口真似をして高い声で「コーヒーを淹れましょぉ~♪美味しくってぇ~たまらない~♪」と繰り返し歌っていて(笑)すごく面白くて楽しくて一緒に笑い合ったことを想いだしました。

 

アニメ 2018 「コジコジ」 - 第6話「江戸っ子の国ゲタ屋一家がやってきた」

この回にその歌うコーヒー人形が出てきます。

彼、欲しいな…(笑)起き場所がちょっと困りますが…w

コジコジの漫画も全巻持ってました。

 

 

(デジタル) コジコジ絵本・夏のようせいのおくりもの

(デジタル)コジコジ絵本・ハーモニカをふこう

 

さくらももこのエッセイは中学生のときから図書館で借りて読んでいたように想います。

『もものかんづめ』『さるのこしかけ』『そういうふうにできている』など特に面白かった。

やっぱり全然実感が湧かない。

日常のなかでよく彼女の作品の言葉が浮かぶことがありました。

まる子のお姉ちゃんが中学生か高校生になって、涙を落としながら言った「みんなに可愛いとちやほやされたって全く嬉しくない。たった一人の好きな人から好きになってもらえないなら意味がない…」というような言葉を想いだしてはいつも共感したり、この世界は「そういうふうにできている」のだという表現がすごく好きでした。

 

彼女はどこかとても達観しているような人でした。

 

 

 

(デジタル)コジコジ絵本・コジコジがやってきた

 

 

 

ちびまる子ちゃんの世界は永遠です。

 

 

 

 

 

 

 

 


漫画「透明なゆりかご」赤ちゃんの求める愛は人間すべての求めているもの

2017-05-21 16:20:03 | 漫画






沖田 ×華の漫画「透明のゆりかご③」の第15話「7日間の命」を震える手でむせび泣きながら読んだ。
今までこれほど泣きながら読む漫画があったろうかと想う。

作者が1997年の当時高校生のときにバイトをしていた産婦人科で起こったことが描かれている漫画です。
単純な絵で人間の内面を表しているさくらももこのような漫画で、すごくいいんですよ。
単純な絵だから余計に感情移入してしまうってのもあるでしょうね。

透明なゆりかご 産婦人科医院看護師見習い日記 / 3 ここで試し読みができます。



第15話「7日間の命」はどういうお話かと言いますと、
作者の勤める産婦人科にやってきた坂本夫妻は妊娠7ヶ月で幸せいっぱいなのですが、以前の妊娠時に胎児の臓器がないことがわかって4ヶ月で惜しくも中絶手術をした経緯がありました。
そのことでお母さんは精神不安定になっていましたが、また赤ちゃんを授かったことで精神は安定し、今度こそという想いが強くありました。

しかし今回の検査の結果、胎児は心臓と肺と大動脈に奇形が3つ以上合併している重度の心臓病であることがわかりました。
手術をしても改善する可能性は低く、延命の処置で1~2ヶ月、なしでは一週間は生きられないと言われました。















それで今回もお腹の子を堕ろすことを夫妻はやむなく決めるのですが、お母さんの精神状態はまた戻ってしまいました。
お父さんも苦しんでいるのですが、それがなかなかお母さんには伝わらず、ここでお父さんがある提案をお母さんに出します。
それは子どもを堕ろさずに産んでみないか?ということでした。
お母さんは産みたいけれども、それは親のわがままではないかと言います。
でもお父さんが、お腹のなかの赤ちゃんに尋ねてみると、赤ちゃんはお腹を蹴って返事をします。










そして無事に出産をしてとても可愛い赤ちゃんが生まれました。
赤ちゃんは見た目には何の異常も見られなくて、両親はもしかしたらこのまま生きられるかも・・・と願います。
しかし5日目から呼吸が弱くなってきて、ゆっくりゆっくりと、赤ちゃんが死んでいってしまうのです。
たった7日間の命とご両親は言っていますが、実際は胎内にいたときからの命ですから、十月十日(とつきとおか、妊娠期間)と産まれてからの7日間の命なわけですね。
ご両親は、「親子の大事な時間を過ごすことができました。時間以上の思い出を心に刻み込むことができました。わたしたちは家族になれました。本当に産んでよかったと想います」と作者に向かって言います。
作者は看取ることは悲しみだけではなく、そこに存在したことを記憶にとどめることでもあるんだ。ということに気づきます。

作者は夫妻に接して、夫妻の決断が正しかったかどうかわからないけれども、赤ちゃんはお母さんとお父さんの愛情を感じられたから「透明な子供」ではなかったんだと感じます。



昔では胎児の病状がわからなかったのですが今ではものすごく細かく胎児の状態を知ることができるようなので胎児に奇形や病気があるとわかれば堕ろしてしまうご両親がいるわけですね。
それは両親の利己的なことなのか、それとも赤ちゃんの為に想ってなのかわかることではありませんが、赤ちゃんっていうのは、たった一瞬でもいいからお母さんに抱っこしてもらいたいという気持ちがあるようにわたしは想えてならないんですよね。

そこには赤ちゃん自身の苦労や苦痛もあるのかもしれません。
でもそれなら、堕ろすことにも、同じだけか、もしかしたらそれ以上の苦痛があるかもしれないわけですね。
それなら産んだほうが良いのではないかとわたしは想いますね。

目も当てられないほどの姿の赤ちゃんが生まれてくる可能性もあります。
でもそうだとしても、赤ちゃんはお母さんに抱っこされたい気持ちがあるんだと想えば、お母さんはどんな赤ちゃんでも愛おしくなるかもしれません。

わたしはその可能性に懸けて、どんな病気や奇形児だったとしても、もし妊娠したなら産みたいと想います。

赤ちゃんが一瞬でも、わたしに抱っこされて幸せな感覚を知ることができるのなら、赤ちゃんは産まれてこれてよかったと想えるかもしれないし、わたしも産んでよかったと想えるかもしれないからです。