と殺(屠畜)場の庭の凍り付いた血溜まりの上で風の吹くままにスケートする白い小さな羽根、エホバ。
夢を見ました。わたしの親愛なるBeckのコンサート会場にわたしはいて、Beckが休憩を取ると、何故かわたしは床に座っている彼の側にいて、彼の太腿を親しげにさすり、振り向いた彼の持っている袋に大量に入った平べったいお菓子を見て拙い英語でこう言うのです。
「This is oily.」
彼はあの優しい笑顔で笑ってわたしにお菓子を一枚渡します。
わたしはそれを食べます。
すると見た目は確かに油っぽそうだったのに、食べるとメープルシロップが効いているような甘くてしっとりした大変美味しいお菓子だったのです。
わたしが感動すると彼はわたしに大きな袋ごと渡します。
こんなに美味しいお菓子を大量に貰えたことにわたしは喜んでいます。
そして、場面は変わり、Beckはアメリカへ帰る時間が遣って来て、わたしは彼を見送る為に外に居ます。
彼は何故か、まるでサーカス団のようにもう一人の付き添いの人間と一緒に着ぐるみを着ているのですが、彼だけが子供の姿になっており、彼はワニ🐊の着ぐるみを着ているのです。
とても愛らしい彼が、わたしに近づいて少年の声でこう言います。
「さっきの形を忘れないでね。」
そこで彼は胸の前で両手で形を作ります。
わたしはそれでようやく想いだします。
さっき、彼と大事な儀式を行ったことを。
わたしはその儀式を知らなくて、彼がわたしに教えるのです。
わたしに、両手で逆三角形▽の下の二つの辺を作るようにと彼は言います。
わたしがその形を両手で作ると、彼は両手で三角形△の上の二つの辺の形を作り、わたしの逆三角の上に被せるようにして置きます。
すると彼とわたしの手で作られた三角形が合わさって四つの角のある正方形の菱形の形が出来上がります。
四つの角の点を線で結ぶとクロスが出来上がります。
この菱形はすべての辺と角が等しい正方形であるはずです。
この儀式に、どんな意味があるのか?わたしはわかりませんでしたし、彼も教えてはくれませんでした。
でも目が醒めると、もしかしてあれは聖杯伝説の聖杯を作る儀式なのではないかと考えました。
聖杯の逆三角形の杯▽は子宮と女性を象徴しているのだと言われています。
そしてその上に被さる三角形△は”尖ったもの””傷つけるもの””刀”を表していると考えられます。
それは男性器と男性の象徴であり、その二つが合わさることは”創造”を意味しています。
この記事を読み返すと、創造の”創”という字に入っている倉と刀の、”倉”の意味とは、穴蔵、穴の空いた空間、子宮を表しており、それは逆四角錐の形であって、それが聖杯となるのだと想いました。
女性の子宮の形が逆三角形▽であることには、とてつもない深い理由が隠されているのかもしれません。(しかしわたしの子宮は奇形であり、逆三角ではなくハート型です。これは神がわたしに最初から子どもをできにくくする身体として作られたのだろうと想います。)
三角形△とは、”天と地と人”の三位一体を表しているのかもしれない。
この三角△と、逆三角▽が、生殖行為をすると想像すると、三角△は、逆三角▽の形を取り、尖った男性器となって逆三角▽である子宮のなかに入り、重ね合わされねばなりません。
そうすることで二つは一体となり、一つの新たなる三角形△が創造されます。
ということは、三角△と逆三角▽の合わさりである正方形、または正八面体である形とは、”創造されたもの”を象徴しているのではなく、”創造”そのものを象徴しているものであると考えられます。
わたしは考察の結果、すべての古代の建造物の三角形の下には逆三角形が存在しているのではないかと想像しました。
例えばピラミッドの地下には王の墓がありますが、その墓の形は逆三角形ではないのかと考えました。
すると四角錐が上下合わされた巨大な正八面体がそこに出来上がります。
ピラミッドは太陽信仰の元に作られており、彼らが崇拝していたのはあなたとは別の神です。
あなたが悪魔と見做す邪神の存在、その存在を古代の多くの民族が崇拝して来ました。
十字架も、太陽信仰のシンボルであるはずです。(因みにわたしは最近、自分の幻想の世界でBeckの特徴を持った理想の男性を真の太陽神であると考えている”ホルス(Hōros)”という名で呼び、愛していました。)
あなたの教えは、悪魔を崇拝する宗教に利用されてしまったのです。
その為、あなたは十字架を憎んでおられ、偶像を崇拝する悪魔崇拝のキリスト教のすべてをハルマゲドンの時に滅ぼされます。
しかし其の後には、すべての存在する宗教を滅ぼされたあとに、メシアを通してあなたはわたしたちにこう告げます。
「わたしはひとつ、大切なことをあなたがたに言わなかった。人が真に救われるのは宗教ではない。そこに在る律法や決められた信仰によるものではない。ひとりひとりが、自由に何を信仰して生きて死ぬのかを、決断する愛によって、人は真に救われるので在る。はっきり言いますが、愛は信仰に勝るもので在る。これを最初にあなたがたに教えるべきであったことを、わたしは後悔してきた。わたしの王国には、もはや宗教は存在しない。わたしを崇拝せよと、わたしがだれにも言う必要もない。神の王国は神と共に、進化しつづけているからで在る。それであなたがたは自分の持つ力で、あなたの愛によって、何が正しく、何が正しくないのかを、見極められるようになりなさい。あなたがたすべてのうちに、神が宿っているからで在る。」