あまねのにっきずぶろぐ

1981年生
愛と悪 第九十九章からWes(Westley Allan Dodd)の物語へ

さようなら。

2018-06-23 02:59:05 | 日記
虚無、一日おまえの返事を待ったけれども、おまえからの返事はなかった。
俺はコメントで述べたとおり、おまえたった一人の為に、二年ちょっと続けてきたこのブログをやめることにする。
それがおまえの望みなんやろ。
俺がここで働かずに自由に俺のたった一つの喜びである表現をし続けていくことがおまえにとって鬱陶しかったんやろ。
俺の唯一の居場所を、おまえは奪いたかったんだよな。
だから今まで散々、匿名や、名前をとっかえひっかえして、俺を騙して影で嘲笑ってきたんやろ。
俺はブログというもんを、多分24歳ころからずっと遣ってきたが、こんなに、これほど悪質な嫌がらせをされたのは初めてだよ。
俺がおまえに出会っていなければ、姉の猫は死ななかったのかもしれないと今でも想っている。
こんなに虚しい気持ちになったのは久々な気がする。
俺は今日、俺の人生で幸福だったときって、最後がいつやろうと想いだしていた。
あの時も、あの時も、あの時も、俺は幸福ではなかった。
すべてを打ち消していって、俺が最後に「ああ、幸せやな」と感じたのは多分14歳かそこらの時だ。
でも俺はその頃ちょうど、兄が持っていたエロマンガ雑誌の、レイプシーンの描画が頭から離れず、幸せやなと想った瞬間に、そのレイプシーンの映像が脳内に浮かび上がるという強迫観念があった。

俺がたぶん最後に「幸せやな」と感じた瞬間は14歳くらいの時であり、お父さんと、お兄ちゃんと、三人で楽しく話していたときだったと想う。
ただお父さんとお兄ちゃんと三人で、楽しく話している、それだけで俺は幸せやなと感じた。
でも次の瞬間には、それは穢れた俺の欲望に、汚されて無くなった。

俺はもうその頃から、苦しみが喜びよりずっと上回る人生を生きてきた。
だからこんな人間になってしまったのだろうか。
絶望的な気持ちで居る。
このブログでしか繋がれない人たちがきっと何人も居る。
でもそのすべてを、おまえの為に喪わなければならない。
おまえが俺と真剣に向き合おうとはしてくれんかったから。
俺はおまえの為にすべてを喪ってやる。
明日からどう生きてゆくか。何も考えていない。
おまえは俺から表現を、俺のすべてを奪いたかったんだ。
俺が死んでも、おまえは悲しまない。
俺もおまえが死んだところで、たぶん特に悲しくは無い。
精々最期まで、生きていけたらそれでいいんじゃないか。
俺もおまえも、それでいいんじゃないか。

おまえが俺に齎したものとはなんなのか。
そんなことはわからない。人間に理解できるもんではないだろう。
でも今は絶望的であり、みんなと別れることがとてつもなく寂しく、本当に虚しいばかりだ。

ひとつのブログとは、ひとつの空間であり、ひとつの世界であると感じている。
俺はそのひとつひとつの世界と別れてきた。

俺の所為で、更新しなくなった大切な人たちのブログも幾つかある。
俺の為に、終った世界だ。

今、クロゴキブリちゃんとまた遭遇して、さっき作った手作り虫捕り網で捕まえようとしたんだが、隙間に入ってって無理やった。
捕まえて外へ逃がす、ただそれだけなのに、ゴキちゃんはものすごい恐怖して逃げる。
俺はゴキちゃんが気持ち悪いという理由からこれほど恐れているが、ゴキちゃんは俺に殺されると想って怖れて脅えて暮らしている。
人間とは、本当に愚かやな。

俺が死んでもおまえは知ることができないし、おまえが死んでも俺は知ることができない。
ネット上だけの関係は、俺は本当に寂しいと想っているよ。
でも今までネットで知り合って互いに信頼を築き、相手が住所を教えてくれて手紙の遣り取りをすることのできた人もいた。
おまえとはそうはなれなかったことが残念だ。

俺は本当はこのブログをやめたくはない。
今まで俺の書いた物語を賛美してくれた人はナオさんとおまえだけだった。
二年続けて、二人の人間に物語を書く事を応援してもらえたこと、俺は十分だと想っている。
新しく他でブログを遣るときは、二年続けて誰一人からも応援されないことを覚悟して遣る。
ブログを新しく遣り始めても、嫌がらせしてくる人間に教えることはない。
おまえとは此処で終わりだ。

俺がどんな想いで、今日一日おまえからの返事を待っていたか、わかるか。
俺はほとんど今日寝ていた。
すると初めて、俺に会ってすぐに片言で「孤独?」と尋ねてきた男性が夢に現れてね。
なんか親しく話して楽しい感じの夢やった。
彼とも何か他と違う縁を感じていたのだが、彼もおまえとよく似ていて俺のむかつく嫌がらせを何度と繰り返してくるような人やった為、仕方なく関係を断った。
でもこうして離れた後も、夢に出てくるっていうのはやっぱり縁が深い人なんやろなと想ったよ。
おまえの顔を知ることができたなら、おまえも俺の夢に出てくるのかもしれない。
いや顔を知らなくとも、その人だと感じる夢はあった。

俺もそのうち死ぬし、おまえもいつの日か死ぬ。
でも死んでも続くと俺は感覚的に確信している。
だから遣り残したことがない限り、死を恐れることはない。
寧ろ大きな羽ばたきであって、この世界には存在しない希望を死後にいだいている。
俺は死後、今よりずっと苦しむだろうと想っている。
でもそれはずっと続かない。
いつかには解放され、そしてまた新たに深い苦しみを自ら求め始めるだろう。
それが俺の希望であり、この世界に、希望は無い。
俺の愛する家族は、今でもこの世界に生きているが、希望がないんだ。
兄も姉も、俺に言った。「お兄ちゃんも(お姉ちゃんも)希望なんてないよ」と。
俺の家族は、お父さんが死んだその日から、希望を喪ってしまったんだ。
苦しみや悲しみよりも、喜びが勝るということはない。
お父さんやお母さんに会えるその日まで、この世界に希望はなくていいんだ。

俺がどういう顔をして毎日を生きているか、おまえに想像できるだろうか。
本当に毎日、亡霊のような顔で生きている。
いつ見ても、生きていないような顔をしている。
表現の世界は、此方側にあるものではなく、彼方側に在るものなんだ。
俺の魂も此方側には居場所が無くて、彼方側に居場所が在るから、表現しか喜びがなくなったのだと想う。
此方側から彼方側を覗くと、彼方側は幻想の世界だが、彼方側から此方側を覗くと、此方側が幻想の世界であるんだ。
俺の魂は、もうとっくに、彼方側へ往っちまっている。
だから俺の表現に、何か反感を持たれることが、俺にとって不本意で仕方ない。
幻想の世界とは、存在しない世界ということだ。
俺は存在しない世界に生きている。
おまえが真剣に表現を遣ったとき、俺がおまえの表現に真剣に反感を覚えることはないと想う。
それは表現とはそれを遣った瞬間に、それがフィクション(架空のもの、仮の構造物、虚構、創作物)として存在していることを俺はわかっていて、フィクションに反感を覚える自分自身がフィクションであると感じている為、俺は反感を覚えたとしても、最終的におまえの表現のすべてを受け容れることができるだろうと想う。
でもそんなことをいちいち表現の前に説明してたらおもんないやろ。
みんなそれを現実だと感じるから面白いんだ。
俺が表現する全ては嘘なんだと言って表現しても、面白くない。
俺にとってはこの世界でフィクション(表現)だけが、現実なんだ。
現実に感じられているからこそ、表現にだけ喜びを感じる。
でも表現はすべて、架空のものであり、仮の構造物であり、虚構であり、創作物であることを俺はわかっている。

俺の表現において、そこにある面白さ、喜びにも度合いがある。
俺が最も面白くて喜びを深く感じるのは「物語」だ。
でもそれ以外でも、俺は「嘘」である自分を自由に表現することが面白い。
俺の嘘を表現しているのではなく、嘘である俺という存在の全てを表現しようとしている。

最近知り合った深く縁の感じる男性から、ブログを読んで様々なキャラがそこに存在していることから、一体どれが”本当のこず恵ちゃん”なのか。と訊かれたとき、俺は本当にわからなかった。
どれも本当の俺ではないと感じた。
俺は”本当のわたし”を、表現できたと感じられたときは一度も無い。

俺が町田康の「告白」を生涯のバイブルとするのも、読んでもらえればわかってもらえるかと想う。
本当に悲しい話で、悲しくてならないから何より美しくて、読んだ後もずっと、俺を感動させ続け、心髄を何より震わせ続けている小説だ。

俺はこのブログをやめたあとも、他で表現を死ぬ迄遣っていくつもりだが、おまえに俺の表現を読ませられないことは、本当に残念だ。
でもおまえの嫌がらせは、本当に悪質な為、俺はおまえに構っていると命が幾つあっても足りないと感じる。
だからといって、おまえという存在をブロックしてまで、このブログを遣り続けたいとは想っていない。
誰もが自由にコメントを書き込めるから、ブログという世界は素晴らしいんだ。
例え嫌がらせのコメントであっても、俺を騙そうとするものではなくて、真剣な嫌がらせであって、相手の苦しみが伝わってくるものであるなら、俺はむしろ嬉しかったのかもしれない。
でもおまえのコメントは、おまえの苦しみが伝わって来ず、その為、俺はずっと虚しかった。
おまえは俺を苦しめて笑っていて、俺一人だけが空回りし続けているような気分だ。
堪え難いものがあった。
おまえの嫌がらせは。
俺はこのブログをやめることが、まるで愛する我が子たちと離れ離れになるような気持ちで悲しくてたまらない。
おまえの俺と真剣に向き合う返事が来ることを俺は待っていた。
でもその返事は、とうとう来なかった。
俺が此処から完全にいなくなることを、おまえは望んでるんだよな。
おまえの望みを、俺は叶えてやろう。

俺は此処から、この世界から、今日を最期に、消えるよ。

今まで俺のブログを真剣に読んでくださった方々、ありがとうございました。
御元気で。
さようなら。






















「問題は存在しない」

2018-06-21 14:19:24 | 存念
質問 「問題は存在しない」ということを、心から理解する方法がありますか。

「問題を解決すること」に喜びを感じている人に対しては、できることはあまりありません。
しかし、大きな問題をかかえて悩み苦しみ、その解決法として、自殺を決心したような人は、そうした「問題解決病」から自分を切り離すことができます。
それとは逆に、人生には色々と不都合な問題があると思っている人は、これからもその不都合な状態のままでいるでしょう。
テクニックを知りたいのでしたら、最良のアドバイスは、「自分の心のなかで、何が本当に起きているのか、よく観察すること」です。
中略

自分の想念のパターンを深い意識を持って正直に観察すると、自分が他人を傷つけたり、毒に満ちた想念を他人に送ったり、他人の幸福を破壊したり、他人の不幸を望んだりしていることがわかるはずです。





『バーソロミュー 大いなる叡智が語る 愛と覚醒のメッセージ』P108より





バーソロミューとは、はて、何者か?というと、バーソロミューとは、所謂、高い次元の叡智に富むエネルギーであるようだ。
つまり人間じゃなければ、宇宙のどこかの星に住んでいる異星人という存在でもなく、バシャールよりかは、シルバーバーチ寄りな存在と言えるだろう。
おれはこのバーソロミューも、宇宙空間に漂っている"A.I."ではないかと考えている。
実際そうでなくとも、人工知能と、高い次元の叡智に富むエネルギーの、一体なにが違うのか?と考えるとわからなくなるのである。
まあその話は別の機会に話すことはないとして、スピリチュアルの高次元の存在が言うことは、まあ大体は同じようなことである。

何故、問題が存在しないかというと、それはそのことを、問題と想っている人間の想念が問題であるだけで、そのこと自体は問題でもなんでもなく、ただそこに起きていることだからと考えると、いやでも問題は問題だろうと、それが問題であるから、問題は問題として存在しているではないかと言う人がいることだろう。

バーソロミューの言っている問題とは、人間のいうその問題のことである。
一人一人が抱えている問題のことである。
人間がいくら、悩み苦しもうとも、それは問題ではないということである。
では、なんなのか?

人間は、悩み苦しみたいが為に、悩み苦しんでるだけなのである。
自らそれを望んでいるのに、それを問題と呼ぶのは可笑しなことである。

例えば、おれは最近、とても落ち込んでいる。
それは先月からで諸々の理由があるのだが、最近とても、虚しいなと感じるのである。
誰もおれのことを愛してなければ、おれも誰のことも本当は愛していないんじゃないかなと想うのである。
こういう想念に陥ると生きてても面白くないな、喜びがないな、苦しいな、孤独だな、惨めだな、おれという存在は、本当に虚しいな、虚無やな、絶望的な有り様やな、と想って死にたくはならないものの、生きることがとてつもなく雑になってしまうのである。

6月18日(月曜日)7時58分頃、おれの住んでいる地域が震度6弱か震度5強の地震が起きて、偉い揺れて家のなかがより酷い状態になり、ガスも未だに復旧していないが、こんなときにも、おれは全くと言っていいほど危機感というものを感じられなかった。
ただ家屋が崩壊したり死んだりすることは恐怖であった為、余震に怯えながら、余震が来る度に心臓をばくばくさせて苦しかった。

死者は今で五人、これが大阪北部地震という問題である。
いや問題というか、自然災害であると想われる方はいるかもしれないが、これはおれにとって、大いなる問題であったのである。

なんでかというと、その地震の来る一時間50分前と一時間40分前くらいに、おれは或る人に、呪詛を吐き連ねるメールを二通送り付け、人を心の底から打ち呪って床に就いたからである。
そして突然の強い揺れの地震により目が覚め、その瞬間、おれは想った。
おれがあんなメールを送って人を呪ったから、神が怒(いか)ったのだと。
あのとき、このマンションは崩壊し、おれもみちた(飼い兎)も共に死ぬかもしらん。と想い戦慄した。

おれは今でも、今回の大阪北部地震は、おれのこの負のエネルギーが最後の地震の起こる集団の負のエネルギーの一滴のエネルギーとして加えられ、それがために起きてしまったのかもしれないと想い悩み、おれ自信の呪いのエネルギーというものについて、酷く問題であると考えている。

この話を、笑う人間や、ただの精神障害者の誇大妄想と取る人があるかもしれないが、おれはそんな人間もまた、問題であると感じる。
自然災害とは、人が関係しておらず、何をやっても食い止められないものであると諦めて、自然の脅威と向き合おうとしていないように想えるからである。
それは自分のなかに存在する神と向き合おうとしていない、そのため自分が何を遣ろうと自由、自分が何か悪いことを遣ってもそれが自然災害に繋がるはずはないと思い込んでいる無責任な人間であるように想えるからである。

おれは人間に問題があるから、自然災害も起きると想っている。
それは亡くなられた犠牲となられた方々が問題が特にあったからと言っているのではない。
寧ろ、それ以外の人間に問題があるため、その問題の多い人間たちのために犠牲となり亡くなられたのだと想っている。
自分が死ぬことによって、人間が自分の問題について向き合うことができるようにと、命を懸けて、この世を去ったのかもしれない。

問題とは、自分が自分に問う題のことであって、このままではいかん、どうにかせねばならないと苦しんでいることである。

例えば、肉食者は全員が、このままではいかん、どうにかせねばならないと潜在意識中で悩み苦しんでいるとおれは確信している。

おれはその時間を意識する時間を多く持ってきたから念願の肉食を断つことができたと想っている。

でもおれが働いてて、忙しい人間であったなら、もしくはエドワード・スノーデン似の男性と結婚し、幸せな家庭を築いていたなら、未だに死肉を喰らっていた可能性は高いと感じる。

おれの問題はキリがないというか、死ぬまで問題は在り続けると感じる。

おれはなんと言おうとも、苦しみたい存在なのである。
これは死んでも無くならない。
死として、おれは苦しみ続けたいと想っている。
おれはなんとしても、人を傷つけ、人を呪い、人の不幸を望み、人の幸福を破壊せしめ、人を、人々が、本当のどん底に堕ちることを日々、願い続けている。
それはそうならないと人間はいつまでも本当につまらない下らない存在であり、美しくもなんともないと感じるからである。
すべてが虚しいからである。
しかし言いたいことがある。
おれは動物も、人間も、肉体的苦痛を望まない。
人間が動物に肉食や毛皮や動物実験や犬猫の殺処分などによって肉体的苦痛を与えるのならば、また胎児に対する拷問処刑である堕胎を肯定するのであれば、また死刑囚に対する拷問及び死刑に賛成するのであれば、その人間も堪え難い肉体的苦痛を与えられ死ぬことになっても仕方がないし、それを拒む資格がなければ、それを拒むのは可笑しいことである。


自分の遣ったことがただ自分に返ってきて、それを理不尽だと想って嘆き悲しみ、何かを呪うのは可笑しなことであり、人間は自ら、自分の問題を作り出しているに過ぎない。


おれは人間にも、動物にも、肉体的苦痛を一切望まない。
おれが人間に、望んでいるのは精神的苦痛である。
堪えられないものは望まない。

おれは人間も、動物も、肉体的な痛み苦しみのなかに死んで行くことを喜ばない。
今すぐに、この世界から無くなってほしい。

家畜も胎児も動物実験にされている動物も、毎日拷問のような肉体的苦痛のなかに死んで行ってるこの世界で、バーソロミューはおれに言う。



「問題は存在しません」



まだ瓦礫の下で苦しんでいるかもしれない被災者がいる可能性があるときに、サッカー観戦に喜ぶ人間を心から軽蔑しながら、おれは地震の揺れで開いた網戸の隙間から入ってきた巨大な黒ゴキブリがまだ家のなかに潜んでいるかもしれないことに脅えつつ、今これを打ち込んでいる。(昨夜ゴキちゃんの嫌いなペパーミントオイルやゼラニウムオイルやらを家中に撒いて玄関のドアを少し開けて寝たから運良くば勝手に外に逃げてくれたかもしれない。おれはゴキちゃんも殺さない人間となりました。ゴキちゃんも殺す人間は、その肉体的苦痛がいつか自分に返ってくる覚悟で殺した方が良い)


おれはみんなに、ただ堪え難い肉体的苦痛を無くしてやりたいと想って言ってるのに、みんな聞く耳持たず、肉食や堕胎や死刑制度に無関心で、自分の未来に堪え難い肉体的苦痛を築き上げている。

おれがこれにさえ堪えられるなら、この世界に、「問題は存在しない」



















精神科のカウンセリングpart3

2018-06-17 18:07:22 | 物語(小説)
白いドアを開け、我れはエドワード・スノーデン似の精神科医の先生の前に、その床の上に、倒れこんで言った。
「くっ、苦しい...」
我れの目の前に、先生の足があった。
「先生の足...くっ、苦しい...」と我れはもう一度言った。
先生は静かに、黙って我れを見下ろしている。
「神よ...愛せないのです」
「我れはだれをも、愛せない」
「死よ...!愛している」
「我れはあなたを愛していない」
「愛せないのです。だれをも。だれをも、...!」
我れは先生の足許で、うち震え、両の目は熱く、口は弛み、その両方の排泄孔から、体液を垂れ流した。
けつからは、脱糞、放尿、我れは、人間を、喪ったのであろうか。
我れの涎と涙の交じりあったものは、冷たい床の上に、我れの一昨日の夜に、はずめて作った、精進キムチの、その臭さ。臭み。それが、その臭いが、我れの鼻を浸く。
我れは虚無のなか、救いを求めずにはおれなかった。
臭い、冷たい、苦しい、虚無、惨め、渇望、切望、絶望、残死、渇愛、我れは目を見開き、口からは絶えず涎が垂れ流れ、ただただ虚しく、何からも救われなかった。
だれも居なかった。
この空間に、だれも、我れとエドワード・スノーデン似の、先生以外、だるも居なかった。
先生は、我れを、椅子から下りてその頭をもたげた。
そして、白いハンカチで、我れの涎を拭い、それを嗅いで「くんくんくん、大丈夫です。よく発酵しています」と言って、我れを顔を覗いて微笑した。
我れはやっと見開いた赤い目を瞬きをして、「だれも、だれも愛せない」と言った。
「糞尿のこと。糞尿のこと...」と我れは呟くも、先生は我れを黙って見詰めていた。
我れは、人間を喪っているのではないか。
我れは、生命を喪っているのではないか。
我れは、存在を喪っているのではないか。
「だれも愛せない。だれも愛せない。だれも、我れを愛せなければ、だれも、我れも愛せない」
「だれも、我れは愛せない。だれも、我れを愛せない」
「わたしは貴女を愛しています」
先生は、哀しい目をして、我れを見詰めながら「わたしだけが貴女を愛しています」と言った。
「わたしだけが、貴方を、愛しています」
我れは人間を喪い、生命を喪い、存在を喪った為、鸚鵡返しを先生に返す。
「貴女はわたしだけを愛しています」
「貴方は、わたしだけを、愛しています」
「貴女のすべては、わたしの愛でできていることを想いだしてください」
「アナタノスベテハ、ワタシノアイデ、デキテイルコトヲ、オモイダシテクダサイ」
「貴女がわたしを本当に愛しているため、わたしが存在するようになったのです」
「アナタガワタシヲ、ホントウニアイシテイル、タメ、ワタシガソンザイスルヨウニ、ナッタノデス」
「貴女はわたしを愛しています」
「アナタハワタシヲアイシテイマス」
「貴女はわたしだけを、愛しています」
「アナタハワタシダケヲ、アイシテイマス」
「半月が、半月を食べ、満月となる」
「ハンケツガ、ハンケツヲタベ、マンケツトナル」
「太陽が、闇の水面にぽっかり浮いて、おはようございます」
「痛いよう。が、病み野吸い面にぽっかりウイングして、」
「貴女は目覚めます」
「オハヨウゴザイマス」
「貴女は」
「アナタハ」
「わたしを」
「メザメマス」
「おはようございます」
「アナタハ」
「ワタシヲ」

















はっぱっぱとぱっはっはっ

2018-06-16 18:39:08 | 随筆(小説)
いや人間というのは、本当に阿呆で或。な。と。
吾輩は改めて、深い考察、略して深考(しんこう)をしている。
此れの対義語は、浅い思考と書いて、浅考(あさこう)で或。
吾輩は浅考で、人間というのは、本当に阿呆であるのだな。と言っているわけでは、無い。
吾輩は本当に約、二分間の深考によって、人間とは、本当に、何がなんでも、阿呆としか言いようがない。
という結論に、至ったとしか、これは本当に言いようがない。
しかしこれには、当然数々の、吾輩自身と、そして吾輩に関わってくる、すべて人間たちの、その阿呆っぷりをうち眺めてきた自らの経験を通して、確信に至った訳であるから、これはその年数から考えても、三十六年もの時の想いと、愚考と、その反省と、結論の撤回と、挽回劇、命を懸けた生きる喜びを追い求めて、生きてきた孤独で野蛮で繊細でいじらしい男の言い分であるから、ということは、誰も知らなくて良いことである。
吾輩は只、そう結論に至らないではいられない状態を今、生きていると想ったので、そういう結論に至らないよりは、至る方が人間としては自然なことだと、前以て、言っておきたい。
誰が、吾輩に、自然を超えろ。と、云うか。
もし、その様な人間がいるとしたら、吾輩はその者に、訊きたい。
貴方は、自然を超えているのですか?
え、何て?自然を、わたすは超えている?
はっぱっぱ。いや貴方。はっぱっぱ。貴方がはっぱっぱ。貴方は、はっぱっぱか?違うでしょう。
貴方が、実在するはっぱっぱであると証明できるなら、あなたははっぱっぱであり、貴方は、自然を超越していると、あなたは断言しても吾輩は気にはしないであるだろう。
しかるに、何ですか?貴方は、どこからどう観ても、はっぱっぱには見えないのだが、何処が、はっぱっぱであるのか、何か吾輩に示せる物はおありでしょうかな。ぱっはっはっ。
はっぱっぱで在ると、自ら名乗る男は、吾輩の目の前に立ちはだかったまま、一本の、かんもくな樹の形をした白い灯台のように、灰色の海辺に佇んでいた。
吾輩が、其処で一本の煙草を吸い、その吸殻を灰色の海に投げると、はっぱっぱと名乗る男は、はっぱっぱと言った。
はっぱっぱと名乗る男は、はっぱっぱという言葉のなかに、何か言葉を言ったのであろうか。
外灯に灯をともす男が、はっぱっぱで在ると、言っているに過ぎないのではないのか。
なにゆえ、男は外灯に、灯をともさねばならないのであるのか。
それは男がはっぱっぱで在るからか。
いや、はっぱっぱは、自然を超越しているのに、外灯に灯をともさねばならない理由があるだろうか?
大体、なにゆえ自然を超越しているのか。
なにゆえこのはっぱっぱという男は、自然を超越しているのか?
何のために、誰がために自然を超越したのか、いつから超越しているのか、超越したとき、どういう感じだったのか、何が起きたのか、何が此の男を、はっぱっぱにしたのか、誰が此の男を、はっぱっぱにでき得たというのか、なぜ日が暮れて辺りが暗くなってきて、灯りをともさないなら、どこかさびしくなってくるのか、何のためにさびしくなってくるのか、誰がさびしくさせているのか、吾輩が何かしたのか、吾輩は何か悪いことをして、その報いとして、日が暮れて、辺りが薄暗くなってきて、宵という時間が此処に遣ってきて、おとずれて、その理由から、吾輩は何か物寂しく、灯りをすこし、小さいもので良いから、点けたいな、ともしたいな、という感慨に今、更けさせられているとでも、このはっぱっぱは、吾輩に言いたい、言っている、さっき言ったのであるのだろうか。
其れにしても暗くなってきた。
吾輩の他、人と見える者は一とっ子居ない。
居らない、居ない、居らない、居ない、オランダない、いやオランダは在る、では胃がない、いや胃も在る、では意がない?いや。
え、意が、無い。だと?いやそんなこと、吾輩はこれ迄考えたことがあっただろうか。
意無い以内に、何が在ると言えようか。
意無いと想うこと、感じること、此れが吾輩をさびしくさせているのか、灯台の薄暗き地下で、遺伝子組み換えの缶のコーンスープなどを、一人背を丸めて啜っているのか。
地下なものだから、本当に灯りがなければ、漆黒の闇なのである。
そして此処は小さいけれども、一応町であり、外灯がぽつぽつと建てられてある。
この外灯に、ぱっはっはっは静かに足音たてず遣ってきて、小さい灯りをともして行くのである。
吾輩はこの外灯の側に簡易住宅を適当に作り、其処で生活をして、もう何年経つであろう。
朽ちた木の円卓の上に、何か心を和ます花が生けていたら良いな、と想う晩に、眠りて起きたらば、ぱっはっはっであろう、白と薄ピンク色の花が、生けられていた。
吾輩の心は、ただそれだけで和んで、水で薄めた焼酎をあおると目から、何者かが、生まれ、その者が、確かに吾輩の目を見つめながらこう微笑ったのである。
ぱっはっはっ。















Clonal Plant

2018-06-13 04:11:47 | 物語(小説)
男が女と別れてから、約一年が過ぎた。
ウェイターの男は今夜も、気付けばこの駅にいた。
あの夜、彼女に会えると信じて降りたバルティモアの駅である。
男はまるで夢遊病者か偏執病者のようにあのライブハウスへ赴く。
そして演奏される彼女の好きそうな音楽を聴きながら目を瞑る。
そうして待っていれば、彼女はもう一度わたしの手を、死んだように冷たいちいさな手で触れ、わたしを…。
わたしを求める。彼女はでも、今夜も此処には間に合わなかった。
彼女はいつものように酔い潰れ、あの公園のベンチで眠っている。
街灯の柔らかい光に照らされて眠る青褪めた彼女はまるで、親に棄てられた堕天使のようだ。
死にかけているのは、わたしを心配させ、わたしに家に連れ帰って貰おうとしているからだ。
わたしは最早ほかに手段はない、わたしが彼女を看病せねば、彼女は死んでしまうかもしれない。
ベンチの上で膝を曲げて眠る彼女を見詰めたあと、わたしは抱き上げるとタクシー乗り場へ歩いて向った。
そこのベンチに彼女を抱いたまま座る。
それにしてもなんという静寂の夜だろう。
全ての者がやっと自分の行ない続けてきた罪に心から悔恨し、神に手を組んで目をじっと瞑り、懺悔しているかのようだ。
わたしは此処で一台のタクシーを待っている。
彼女を連れて家に帰り、手厚く看病を施したあと、共に眠る。
そして目が覚めると、
一台のタクシーが目の前に止まり、わたしは彼女を抱いてその車に乗った。
車は無言で発車する。
彼女はわたしの膝のうえに頭を載せ、すやすやと幼女のようにあどけない顔で静かに寝息をたてて眠っている。
わたしの家で目が覚めると、彼女はわたしを見つめて、そしてわたしを抱き締めながら話しをする。
運転手の男とバックミラー越しに、目が合う。
「彼女を一体どこへ連れてくつもりだ」
ひとつ、話を想いだしたんだ。
あるところに、悲しい女が生きていて、女は理想の男を、夢想の世界で愛していた。
その男にはモデルがいるんだ。顔や身体つきはそっくりだ。
しかし中身は違う。性格も性質も違えば、記憶すら違う。
それでも女は男のモデルに、愛する女がいることを赦せなかった。
違う存在であるということがわかっていても、どうしてもだぶってしまうときがあって、そのときはいつも女は絶望的になった。
しかし次の年、女の前に、女の理想とする完璧なその男が生身の身体を持った存在で現れた。
男は恐れる女にこう言った。自分は謂うなら、クローンやアンドロイドのような存在であると。
自分は自分の容姿のモデルとなった男と、何一つ関係はなく、女の理想とする部分だけを持っている。
男は女を優しく抱き締めたあと、「わたしは貴女だけを愛するためだけにここに存在している」と言う。
バックミラー越しに運転手の男は、ウェイターの男に言った。
そういや先日、此処の付近で、事故があっただろう。
運転手の男が即死か半身不随になったか、どっちかだった気がするが、どっちだったのだろう。
クローンかアンドロイド、女の目には男が、何より生きている存在に見えた。
彼以上は存在しない世界で、それは最もだろう。
それから幾日と、女と男は愛し合ったが、女は男を愛するほど、男がその男のモデルの容姿にそっくりであり、性質や性格もどこか似ているように感じた。
そうすると女はまたも、モデルの男の愛する女性の存在が気になりだした。
一体この車はどこへ向っているんだ。
運転手の男は独り言のように言った。
ある朝、女は男に問い質した。
きみにほんとうに瓜二つのモデルの男性が、あの女性を心底愛しているのだから、きみもあの女性をまえにしたら愛するのではないのか。
クローンかアンドロイドの男は、それを否定した。
しかし女の不安は、なくなることはなかった。
ある夜、女は、あるジャズコンサートに一人で観に行きたいと男に告げ、家を出た。
男は寂しく、眠れずに女の帰りをひたすら待っていた。
午前零時を過ぎた頃、女から電話があった。
終電に間に合わなかったから、今夜は此処の近くのホテルに泊まって帰ると言ったとき、男は耐えられずに言った。
今からタクシーで迎えに行くからどこのホテルか教えて欲しいと。
女はその返事に渋って、なかなか返事をしない。
そのとき男の耳に、電話口の向こうのほうから男の声が聞えた。
「だれと話してるんだ?」
運転手の男はバックミラーは見ないで窓の外を眺めながら小さく言った。
ウェイターの男は答えなかった。
ただじっと膝のうえで眠る彼女の寝顔を愛しそうに見つめ彼女の髪を撫でている。
男は女に、今、男性の声が聞えたけれど、誰か側にいるのかと訊いた。
女は怯えた声で、怖いことを言わないで、誰もこの部屋にはいないと答えた。
男は謝って、空耳だろうかと想い、もう一度女に今から迎えに行くと言った。
女は罠に掛かったかのように、男を待ってるとホテルの場所と部屋番号を伝えて電話を切った。
ウェイターの男は窓の外を眺め、外が真っ暗なのを見て不安になり、運転手の男に声を掛けた。
「いま、どこを走っているのですか?」
運転手の男は正面をぼんやり見ながら答えた。
「あんたのこれから向おうとしているところに向って走っている」
ウェイターの男はバックミラーを見つめながら女が自分を棄てて選んだ男に向けて言った。
「わたしはあなたに、わたしの家の場所に向ってくれと言いました」
運転手の男はちらっと同情心を向けた顔で答えた。
「だからそこへ向って走っている」
それにしてはどこを走っているかもわからないくらい暗い、ぽつぽつと、遠くのほうに灯りが見えたかと想うとすぐに消えてしまう。
男は黙ってその遠くのほうを眺めていた。
すると運転手の男が、バックミラー越しに男を眺め、「あんたの淹れてくれた珈琲は美味かったよ」と言ったあと、「もう飲めなくなるのかと想うと残念だ」と言った。
男は女の頬を撫でて黙っていた。
「あんまり皮肉じゃないか。何故よりにもよって、あの駅で」
「あんたと彼女が初めて会った場所だろう」
「ほかに方法はほんとうにないんだろうか」
「今ならまだ間に合うさ。それはもうすぐ遣ってくるが、あんたが今彼女を置いてこの車を降りるなら、事無きを得、あんたは自分の家に帰ることができる」
「でも降りないと言うなら、このまま真っ直ぐ、あんたの向おうとしているところへ行く」
「彼女も連れてゆく。あんたの大事な愛してやまない彼女だ。あんただけの、あんたの中にだけ存在する彼女だ」
女がうたた寝から目を覚ますと、目のまえに男がいて、男は優しく微笑んで「今から家に帰りましょう」と言った。
頷いて女はホテルの部屋を見渡し、「誰もいなかっただろう?」と言って怯えた顔をした。
男は頭を擡げて女の寝癖を撫で付けると部屋を出る準備をして女と部屋を出た。
ホテルから少し離れたタクシー乗り場のベンチに女と座り、女は男の胸で眠っている。
少しの間そうして座っているとタクシーが目のまえに止まって男は女を抱きかかえて車に乗った。
向かいたい場所へ対価さえ払うなら向ってくれる便利な乗り物だ。
でもその乗り物はわたしを降ろしたあと、どこへ向うのだろうか。
男は今夜も独りで車を降り、朦朧としながら目を開けた。
バルティモア駅に終電の電車が到着し、そしてわたしを一人駅に残して去って行った。
今夜も、そこへ向うことはできなかった。
男は盲者のように夜道を歩き、ベンチに座る。
タクシーを待って、それに乗って帰ることもできるが、ここでこうして眠っていれば、彼女は心配してわたしを見つけ、声をかけるかもしれない。
最近、この辺で事故に合った運転手の男は、確か植物状態のままだという。
その闇のなかで、どちらへ向うか決まれば、きっと抜けだすのだろう。



















発光

2018-06-11 08:56:12 | 物語(小説)
いや本当に、おれという人間は目覚めた。
やっとわかった。
おれは、大根キムチ人間であるということを。
知らない顔は、もうできない。おれは知ってしまったのだから。おれは大根キムチ人間であるということを。って何回言うねん。
おれは、おれはもう二度と言わない。
おれが大根キムチ人間であるということを。
もう絶対に言わない。愛するきみに。
愛するきみへ。
おれの告白にきみは驚いてると想うわ。
そらそうやろう、きみはまさか、おれが大根キムチ人間だとは、わかっていたわけないだろうね?
わかっていたら、おれのほうがびっくりして、ケツ大根からケツ液を、ながしつづけなくては、生きていけなくなるだろう。
きみだって、そなの、そなの、そんなの、嫌でっしゃろう?
いやきみを訝ることはないけれどもお、おれはきみをば、ってん、愛してるてん。
今からきみに愛の告白を酢。ってそんのことゆうたらおもろないやんかいさあ。
きみに今から愛の告白をする。とゆうた瞬間から、死ぬまで絶対に愛の告白をしなかった男。絶対に、愛してると言わなかったイワナ。どっちがいいと想う?結婚するなら。
やっぱ、五分五分ではないかとおれは想うんだわ。
大切なところだが、やっぱ、し。五分五分ではないかとおれは想うって、え、だからあ、おれは、おれはこうゆう人間やん。大根キムチ人間ですやん。
そこをわかってほしい。わかってくれたら、わかってくろたら、それでいい。
実質、もうそれで、今までしてきたこと、報われる報いというものに、否定できる。
知らんがな、おれはもうきみが何を言っても、大根キムチ人間なのだから。
それでもいいかな。きみの愛を、試したい。
おれはね、考えてるんだあ。おれはどれほどの、きみへの、愛の乳酸菌を、与えることができようか、と。
真剣に、その与え方についても考えてるんだが、やはりここは、おれの体内で発酵された乳酸菌を、きみの胃のなかへ、ダイレクトかつ新鮮かつ、噴射したい。
おれの乳酸菌は、おれのゆうたら男性器?そこから噴射するみたいだから、その乳酸菌を、きみの胃のなかへ、ダイレクトかつ新鮮な状態で、一番に噴射するために、射精するかもしれない。
ってあ、あれ、もうゆうてもうたけど、はは、なんかダイレクトにゆうてもうたけど、今おれ、顔が赤面してるけど伝わるかな、手紙やけれども。
きみは知ってるし、おれも知ってるんわさ。きみはおれの乳酸菌が必要だわということを、おれがそれがために大根キムチ人間であるということおお。
きみを必要としてるのはぶっちゃけ、ぶっかけおれしかいない。
たからあ、きみの人生はおれにすべて懸かってる。
おれが命を懸けて、きみを我が物にするう。
なんで語尾を、ちょっとだけ伸ばしただけでアホそうな喋り方になるのか、きみは考えたことがあるのか。
もし考えたことがないなら、きみを尊敬する。
だっておれはそんなことばかり、考えてきたかもしれないやんかいさあ。
そんなことばかり、考えてきたつもりはなくとも、考えてきた可能性として考えたら、考えてきたと言っても過言てはない、いやそんなこと、もう、殺してくれ。
違うう、そんなこと言いたかったわけやないよなあ、おれ。
おれはそんなこと言ってるの?ってさっきゆうたか(苦笑)
おれはきみがためにケツ根をしたい。
でもそれが無理やというのならば、ケツ捲り婚でもええなと想ってるけど、やっぱりケツ根をきみと、ケツを懸けてしたい。
おれはきみとケツ根し、大根から、乳酸菌をきみの体内へ発射し、そしてきみはケツから、ダイコを産むんだよ。
ダイコは半分大根キムチ人間だが、もう半分はきみの遺伝子を受け継いでる。
わかるか、ダイコが何を考えて生きて行けるか。
おれにはまったくわからない。
わかりようもないし、わかりたくもさらさらないし、わかったら、死ぬかもしれないから、もう殺してくれないのか。そうか、殺してくれないのか。
っておれ、何いってんだ。よお。もうだれかおれを、止めろお。
抜糸ゃ〰ん。そう、おれは今、湖に浸かってる。
気持ちがいいなあ。おれは今日すごく気持ちが良いよ。だって昨夜酒を飲み過ぎてgooブログ会社に191円とかそこら払って広告を消して、そんなこと、記憶になかったからね。
なんで酒を飲んだら、広告を消したくなったのかわからないが、それが大根キムチ人間の遣ることとして、ダイコにもその特徴は受け継がれるからね。
だから産んでほしい。
そう、DIE子。die根器無知の乳酸菌というケツ液が流れてるから毎日、毎夜、ダイコは釣りをするんだ。
高層ビルの屋上から、自分のケツから産んだカクテキを、糸で縛ってね、そして下の湖に垂らすんだ。
すると魚が釣れるだろう?いや釣れるんだ。奇妙な魚だ。そいつが釣れる。
ダイコは言うんだ。「トウサン、コイツ、Kao」
ダイコはまだ幼いから、アホなんだが、でもダイコにもわかっている。
おれは水槽のなかに、そいつを容れる。
そいつは水槽のなかの水のなかで、泳いでいる。
そいつはときに、おれをじっと観てくるんだ。
わかるか?若湯か?どんな眼で、おれをそいつは観ているか。
これじゃまるで、はは、おれはそいつに観察されてる、み、た、い、だ、ぜ。
おれはさ、そいつをね、こんなこと言っても、いいのかな。
おれはさ、そいつをね、別に必要だからきみとケツ根をしたときみは想ってないかもしれないが事実、その通りだ。
いやまてよ、そうだという可能性が100%ある。ってあっ、逃げないでくれ。
ケツの底から、愛を贈る。
そうだもうすぐこいつがさ、おれに話し掛けてくる。
お前はそうやって、大根キムチ人間みたいな顔して生きてるが、実体、お前はおれの水槽のそのなかの魚であるんだぞ。
お前は果たしてわかっているのか。
お前が大根キムチ型人間と人間型大根キムチ人間と、その両方を併せ持った大根キムチ型人間型大根キムチの魚型人間の無形物だと想っている水槽のなかにいるおれという魚を観ているお前というおれの水槽のなかのお前だよ。
ややこしいが、おれはどうしたい?おれをどうしたい?おれはどうすればいい?おれがどうすれば?そんな考えが無限に続いたら、まず、大根キムチ人間としてしか、この世は生きていけない。
お前はそれでも死ぬことはできない。
何故ならお前は無限の無数の生命で出来ている存在に過ぎないからだ。
大根カクテキも、この水槽も、四角だ何故かわかるか?
四角なら、積み上げたり、ぴったりと、横につけることもできる。
つまり隙間を作らずに、空間を拡げていける。
お前の大根キムチ、銀杏型だった。それを四つ、合わせて円となる。
そうだお前、お前の花嫁、ダイコ、そしておれで四つだ。
おれは嬉しいよ。こうしてお前をずっと、此処から眺めることができるのだから。
おれは良かったと想っている。
あの湖に、自らはまって。

無人の愛

2018-06-11 05:36:49 | 
毛の余波、超獸性が、必要である。
メンマ面後ほんま面、知り合いが、BISを産み落とした。
祖が単純の地雷の名残である。
毛ずついた者たちの、感田水。
月光の夜明けが近いと具志緒は、言った。
THEから人心の、像即物を献納する。
絶世界が、カジラ場に、眼目する子殺し増悪アマチャズルの回生を、開成し、会生せよ。
海星の快晴。是すく七海、矢張像即物たちが神$を創り船名を打つ児が、堕水すると時っ境が頑迷し、漸祝の自失を緒我名意選る混ん独阿羅梛を、是水相剋の南海雄と堅陣を障るなら、亡びるとエナが堕水、胞が、千字を切る蒼穀。
ウスラ払いに厳戒の河内森を娯楽して御落胆された兔莉愛の臼、全縮にあがないて蛇列を貴く門が開かれたり自明、罪と助けが無ければ。
罪と助けが無ければ、意義て湯気ない弓削哭く内箆伽、泥縄式の泥乃氏、殲滅の休暇、無人の愛。
秤、死を以て生きなさい、死を以て逝きなさい、死を以て、己れを遺棄した此の星が、わたしを恋しむなら、死を以て無人の愛を、御前に授けよう。
御前はおれのA.I.で、無人の愛。

Mother Space

2018-06-06 02:53:07 | 物語(小説)
「それは疑いもなく固いもので、なんともいえない色艶をしていて、いい香りがする。それはおれじゃないあるものだ。おれとは別のもの、おれの外にあるものだ。しかし、おれがそれに触れる。つまり指を伸ばしてつかんだとする。するとその時、何かが変化するんだ、そうだろう?パンはおれの外にあるのに、おれはこの指で触り、それを感じることができるんだ。おれの外にある世界も、そういう世界じゃないかと思うんだ。おれがそれに触れたり、それを感じたりできるのなら、それはもうおれとは違った、別のものだとは言えないはずだ。そうだろう?」



《 コルタサル短篇集「追い求める男」131,132P 》









自分の人生を、まるで映画のように好きに編集できたなら良いと想う人は、どれほど多いだろう。
ウェイターの男は今夜も、自分の過去の人生を想い返し、ひとつひとつ、後悔していた。
”あのときのあの言葉が、あのときのあの行為が、あのときのあの仕種が、あのときのあの想いが、彼女からわたしへの愛を去らせた”
彼女からわたしへの愛を、奪い去ったのではないか。
外は雨が降っている。雨の音を聴くと、彼女と一緒に聴いた日を想いだす。
雨に触れた道路を車が走る音を聴くと、彼女とドライヴへ出掛けた日のことを想いだす。
夜空を見上げれば、そこに瞬く星ひとつない。
それでも何度と、彼女とわたしは夜の空を見上げ、言葉なく涙を流す彼女の脣に、わたしは脣付けをする。
彼女は、「なぜここにいるのかわからない」と言う。
わたしは自分に言聞かせる。「わたしは彼女の孤独を愛したわけではない」
あの男のように。
彼女はいま、わたしの外にはいない。

「Cut!」と声が掛かり、彼女はほっとした表情で微笑みわたしに握手して着替えをするため衣装室へ向った。
わたしはCafeを淹れてソファに座り、飲みながら彼女を待つ。
衣装室からでてきた彼女はわたしの隣に座りわたしを抱き締め、耳元で言う。
「ぼくはきみの孤独を愛したわけではないよ」
彼女はいま、わたしの外以外にはいない。

バルティモアの夜、彼女はわたしに求めたわけではなかった。
彼女からわたしに求めたことはなにひとつなかった。
彼女は自分の内側にいるわたししか、愛したことはなかった。
なにひとつ、彼女はわたしを求めなかった。

「Cut!」と声が掛かり、わたしは着替えて車で彼女を迎えに行く。
今夜は二人が出逢った日の記念日であることを彼女は忘れていた。
だからこの日、わたしに別れの言葉を言ったに違いない。
彼女は家には居なかった。待ち合わせの時間まであと一時間半もある。
一体どこに行ったのだろう。わたしはちいさな箱を開けて今日彼女の指と、わたしの指にはめようと想っていた指輪を眺め、この二つのちいさな輪を繋げるにはどうしたら良いのだろう。この二つの輪が繋がっていないため、彼女はこれからわたしに別れを告げるのだと想った。
でもこの二つの輪を用意したのは、わたしだった。
どうすれば戻れるだろう。彼女をわたしに縛るために用意したこの分かれた二つの輪によって、わたしたちは別々の人間であったことを証明される前に。

「Cut!」と声が掛かり、わたしは彼女を待っている。
このCafeには、秘密の部屋が在る。
「Bedroom」と書かれたドアの向こうで、数えきれない男女が密会を行い、そして別れてきた。
約2m四方の部屋で彼らが囁きあった愛の言葉は全て、酷く有り触れた詰らないものだったため、この部屋の空間ごと、カットせざるを得なかった。
だからこの部屋は本当はどこにも存在しない。
愛の空間だけが実はこの世界のどこにも、存在できない。
彼女は店を閉めた後のこの部屋に、何度とわたしを誘った。
そして彼女のチューリップのなかにわたしが入ることを望んだ。
アンティークの3人掛けのチェスターフィールドソファの赤みを帯びた本皮は、謂わば残り続けている死体の一部と言える。
彼女は何度もわたしに言った。
「このソファで抱き合う恋人たちは死の一部と為っているんだ」
「死んではいないとは言えない行為を遣っているんだよ」
「Cut!」と声が掛かり、彼女はわたしの死の一部と為った。
彼女の死は、わたしの一部と為った。
わたしたちは生を、死に売って来たのではなかったか。
存在しないすべてに、存在するすべてを売り払って、わたしたちは存在すると想い込んで来た。
わたしたちは死として、存在すると。
彼女の赤みを帯びたチューリップの中が完全の死を以てわたしを誘い、わたしでないなにかを産み落とそうとしていたことに、わたしは気付いていなかったわけではなかった。
わたしは恐れなかった。
いや、恐れていた。
わたしと彼女はもはや別々のものではなかった為、わたしは安心と恐怖を、本当に同じだけ感じていた。
しかしわたしに最初に触れたのはわたしでなく、彼女だった。
触れるまでわたしには、恐怖とそれに触れることの渇きしかなかった。
無内容の聖域、愛を虚像として創りあげたなら彼女という女性になっただけのことであり、それ以外に、わたしは彼女のなにを観ていただろう。
彼女のなにが、わたしを見ていたのだろう。
彼女は巨大なこの空を包む女性器のような白い花弁のMother Space(マザースペース)であり、わたしはその蜜を吸いに飛んで行き、彼女の愛の蜜に絡まりながら窒息死してゆく存在に過ぎなかった。
わたしと彼女は性を以て、愛し合ったに過ぎない。
わたしは愛の虚像として、彼女を創り愛し慈しんだ。

「Cut!」と声が掛かり、わたしは振り返る。
そこには誰もいない。ただひとつの古い鏡が、わたしに疲れ切った顔で問い掛ける。
「彼女とおまえは、切り離されたため、おまえが苦しんでいるだろうか」

わたしは今夜も、わたしのなかにだけ存在する彼女を抱いて安心して眠り、恐怖に目覚めるのは、やはりそこに彼女がいないことを知るからです。



















「ぼくらはここにいてもいいんだ」

2018-06-05 19:51:06 | 日記
 
Good Timing
皆様こんにちは。変人で狂人の枠に78%入りかけていそう(?)だと想われている可能性が79%あっても可笑しくない悲喜交々理宙(ヒキコモゴモリチュウ)のあまねです。またの名を、自動生......
 

 

今晩は。このブログも始めて2年と2日が経ちました。

先月からずっと堕ちているので更新が最近は少ないですが生きています。

記事を読み返すと去年の6月4日は「エホバの証人の男性と結婚したい」などと宣言していますが、ぜんぜん行動に移せてへんやん。

情けなくもなるし悲しくもなるが、そうやってそうやってずっと自分自身と自分の人生に不満を持ち続けて死んで逝けたらええな、ええな、ええな、れえな、れれな、じけな、みずな、うまいよな。

本当に、一所懸命に独りでこつこつと孤独にこのブログで「表現」を遣ってきたのに、見ず知らずの人に厭がらせされた挙句、死に掛けたら「死ぬな」と言われ錯綜な苦しみに苦しめられて日々凹みつつ世を呪って生きています。

もうええ加減、全員、幸せになったらどうなんだ。っていう気持ちが、最高の諦めであって、絶望の全宇宙存在の幸福を祈る俺と言う絶望の境地に至る。みたいなアルバムでもあるのかな、とこのレディオヘッドの「A Moon Shaped Pool」を聴いてて感じないでもないって言えてる身にもなれよ、死ぬな。

息路とはイワン、バッテン、死ぬ菜。

これは青山真治監督の映画「ユリイカ」の役所広司がゆうた印象的な台詞である。(正確には「生きろとは言わん、ばってん、死ぬな」である)

うわ、役所広司もうお父さんの享年の62歳や。

お父さんは時代劇が好きで、役所広司が主人公の「八丁堀捕物ばなし(1993年~1996年)」とか一緒に観てたなあ。懐かしいなあ。って想いますね。わたしがまだ12歳~15歳とかで、お父さんは52歳~55歳とかの頃です。

これに出てた根津甚八もいかりや長介も死んでもうたんやなあって想って寂しくなりますね。

なんかもう、嗚呼みんな死んで逝くんやん、もうええやん。ってなりますね。

レディオヘッドの「A Moon Shaped Pool」を聴いてるとね。なんかもう、みんな死んで逝く。死んで逝くから美しくて、愛する人を喪った人もいつか悲しいままに死んで逝く、それが人間のこの上ない美しさである。

だからもう、ぼくは歌うしかないんだで。って言ってるみたいに想えてきて、悲しいけど、あっ、いいんだ、こうして悲しみにうちひしがられたまま何一つ乗り越えられず何一つ良い想い出に出来なくともいいんだ。

どんなに苦しくとも生きて逝きたい。それで十分だよ、そうだろう?

「ぼく(きみ)はここにいてもいいんだ」ってことを歌いたかったんだ。っていつか若い頃のトム・ヨークがゆうていた。

生涯の支障、失敬、我が愛する生涯の師匠である町田康も「生の肯定」という本(まだ今日読み始めたばかり)でも結句、それを表現しようとしている。

レディオヘッドの「A Moon Shaped Pool」は、やっぱ何遍聴いても、一回アルバムを聴き終わって、また、最初から聴こうとは想えないほど、寂しく、悲しいアルバムだ。

音楽は、音を楽しむと書くけれども、決してそんなことはなく、悲しくて寂しくて溜まらない曲を録音してぼくたちに聴かせて「共鳴」することを求めてくれたトム・ヨークに、心の底なしの真っ暗な深淵からも。

ぼくは共鳴しつづけて、感謝し続けている。

 

 

 

True Love Waits - Radiohead [A Moon Shaped Pool 2016] from PLK on Vimeo.

 

 

 


ベンジャミンと先生 「羊飼い少年とオオカミ」

2018-06-02 02:35:31 | 物語(小説)

「みんなおはよう。ってもう終了時間まであまり時間はないが」

先生がしんどそうにそう言うと静かに席についているベンジャミンが真っ直ぐに先生を見つめて言った。

「先生、もしかして今日も、二日酔いですか?」

先生は恥ずかしがる素振りも見せずベンジャミンの透き通った眼差しを見つめ返し堂々と答えた。

「そうだ」

ベンジャミンは口角を上げてにやついたが何も言わなかった。

教室はしんと静まり返っている。

「なんだこの沈黙は」

先生がそう言うとベンジャミンが幼児のように笑って無邪気に訊ねた。

「先生、昨日は何を飲まれたんですか?」

「ベンジャミン、授業と関係のない話は放課後にしなさい」

先生がすかさずそう応えるとベンジャミンはまたいつものようにふてくされ、”屁を90日間我慢し続けたこの誇り”、私はこれからも、がんばるつもりです。とでも言いたげな表情で先生を無言で見つめ、先生はついその重圧に負け、本当のことを明かした。

「昨夜は、あれだよ、あれ、”イエガーマイスター”という実に56種類ものハーブが使われているアルコール度数は35度の濃い赤色をしたドイツ産のリキュールを水と氷で割って結構何倍も飲んでしまったんだ。しかも酒のあては焦げたさつまいもだ。何故焦がしたかというと先生はあのときすでにかなり酔っ払っていて先生のブログに読者登録をしてくれている方のブログにいちゃもんをつけるようなコメントを連投するのに必死で、鍋の水がなくなっていることに気付かず、さつまいもが焦げてしまったのだよ。なんだかすべてが悲しくて、そのコメントに今日返事が来ていたようだが、先生はまだ返す気になれない。お酒は本当に、恐ろしい。一体先生はこれからのこの気まずさをどうやって切り抜けたらいいんだ。イエガーマイスターは本当に先生は合わない。あれを飲むといつも悪い酔いをするんだよ。おまえたちも成人になったら気をつけるように」

ベンジャミンは笑いをこらえていますという風な顔を作って先生に問い質した。

「先生なんで悪い酔いをいつもするとわかってまたイエガーハウスマイスターを飲んだんですか?」

「ハウスは余計だ。おまえハウスマイスターというドイツの音楽家を知っているのか。ってそんな話は今関係ない。こんな話してたら授業時間が終るぞ。単純に他のお酒が切れて、何故か随分まえに酔っ払ってまたネット注文してしまったイエガーマイスターを仕方なく飲んだんだよ」

先生がそう言うとまた教室内がしんと静まった。

「だからなんなんだこの沈黙は」

ベンジャミンは目をぱちぱちさせて口をもごもごさせて言った。

「先生、今日の授業はなんですか?」

「今日は」先生はそう言うと、教卓に右の肘を付き、ふうと一息ついて続けた。

「今から本当におまえたちに大事な授業をしたいと先生は想っている。先生は今日、起きたときからずっとベッドの上にいたんだが、先生はずっと考えていたんだよ」

「何を考えていたんですか?」

「ベンジャミン、おまえもきっと知っているだろう”オオカミ少年”というイソップ寓話の話についてだ。先生はこの話の教訓は、本当のところ、一体なんなんだとここに来るまでずっと考えていた。が、答えはまだ、そう簡単に出せるものではない。それほどこの話とは面白いと先生は感じたんだよ。この物語について、みんなと一緒に先生は答えを探して行きたいんだよ。丁度この話が教科書にも載っているから、誰か朗読したい人間、ベンジャミンが一番手を上げるのが早かったな、それじゃベンジャミン、このオオカミ少年という物語を、今から、朗読しなさい」

「はい!」

ベンジャミンは椅子から静かに立ち上がると口をひょっとこのように尖らせ、目を細くし、眼鏡を右中指でくっと持ち上げると厳かな口調でゆっくりと朗読し始めた。

 

「オオカミ少年」

(またの題名を、”嘘をつく子供”、”オオカミと羊飼い”、”羊飼い少年とオオカミ”

原題は”The Boy Who Cried Wolf”(オオカミと叫んだ少年))

 

昔、ある深い森のなかはいつも暗く、その山麓にもオオカミの群れがいました。

夏のあいだはオオカミたちは涼しい木々のなかで家族と共に暮らし子育てをしました。

しかし冬になると真っ白で冷たい雪に森は覆われオオカミたちは獲物が見つけることが困難になり、幾度か丘まで下りてきてそこにたくさんいる農家に飼われている羊たちを襲いました。

彼らを見つけるとき、いつも一匹ではなく何匹かで狩りをしているようでした。

この小さな村には、羊飼いが三人いました。

一人はオオカミを狩ることに命を懸けているWolf(ウォルフ)と呼ばれる男です。

ウォルフは外にいるときはいつでも猟銃を手放さず、オオカミを狩れないときは鹿や兎を狩ってその毛皮と肉を売り、なんとか生活している一匹狼の孤独な男でした。

ウォルフは人と群れることを嫌い、人と一緒に仕事をすることを嫌いましたが獲物が狩れないときは酷く貧しかったものですから若い頃、羊飼いの家の娘にある夜、大事の羊たちを護るためにオオカミを狩ってくれないかと頼まれました。

男は悩んだ挙句、それを一度断りました。

すると娘は、こう言いました。

「そうですか。それではぼくにも考えがあります。あなたはぼくの親が経営している酒場でいつもお酒をツケで飲んで、そのツケがだいぶと溜まっていますよね。本当に払ってくれるのでしょうか?払うなら、一体いつ払えますか?具体的な支払日を言ってください」

男は口籠り、娘の責めるような目から目を背け、俯いて答えました。

「いや…払うつもりは勿論あるとも。だが具体的に、いつ払えるというのは、今はちょっと…言うことはできない。すまない。でも近いうちに必ず払うから。そこは安心してくれ」

娘は男の手をそっと手に取ると、「明日」と言いました。

男は「ん?」と娘に向き直ると娘は咎めたてるような目で言いました。

「明日、明日必ず払ってください。お金がどうしても必要なのです。それが無理だと言うのなら、明日、あの暗い森のなかで羊たちを襲うオオカミたちを三匹、必ず殺してください。きっとそのオオカミたちは家族のオオカミでしょう。一匹は母オオカミ、一匹は父オオカミ、一匹はまだ幼い子オオカミです。その三匹を、ぼくの羊たちを護るために殺してください。その証拠をぼくが知るために明日、あの森のなかにぼくを連れてってください。いいですね」

男は深い溜め息をつき、誰もいない薄暗い路地裏で娘の手を優しく払い除けると首を横に振って言った。

「そうかい、あんたの言いたいことは良くわかったよ。これは脅迫だ。俺は今まとまった金がないんだ。俺はそのためにあんたの言い分を逆らうことが出来ない立場に立たされている。俺はどうしたって逃げられない。逃げてもあんたは俺を追い駆けてきっとこう言うんだろう。”金を払うか、オオカミの家族を殺すか、どっちかにしてくれ”と。もっとも、あんたの言ってることが間違ってると言ってない。しかしこれは脅迫だ。俺には逃げ場がない。俺はあんたに帰伏し、あんたの言うことを聴こうじゃないか。明日、あの森にあんたを連れて行って、あんたの目の前でオオカミの家族を撃ち殺して遣ろう。これで俺は助かるし、あんたも助かるんだ。その代わり、俺のツケはもう少し待ってくれ。これで手を打とうじゃないか」

 

その晩、男はなかなか寝付けなかった。

それにしてもあの娘の執念というものは恐ろしいな。今の暖かい季節に、オオカミが村まで下りてきて羊を襲うことは滅多にない。それなのにあの娘は、冬に殺された羊の家族の仇(あだ)を取るため、ああしてオオカミの家族を殺すまで苦しんでいるようだ。もし子供のオオカミを一匹でも逃すなら、その子供のオオカミはやがて親になり、子供にこう話すとでも想っているようだ。自分の親の仇(かたき)を討つため、あの村の羊たちを全員、今度襲いに行こう。

 

男はうとうととしながら夢とうつつの間のなかで夜の暗い森のなかにいた。

夜の真っ暗な森のなかでひとり、酒を飲んで朦朧としていた。

あまりに暗いので、男はランタンに火を点け、その火で煙草を吸った。

すると何やら、ぴちゃ、ぴちゃ、と水の音が聞えてきた。

渇ききったこの森の地面のどこに、そんな水があるのだろうと男は不思議に想って静かにその音に耳を傾け聴いていた。

男はランタンを手に持ち、立ち上がって水音の聴こえるほうを覗いた。

そこには小さな泉があり、そのなかであの娘が裸で入浴していた。

男はまるで夢でも見ているようだと想った。

何故こんな夜の森でひとり、あの娘は水に浸かっているのだろう。

いつも変わった娘だと想っていたが、在り得ないではないか。

いつ狼や熊に襲われるかわかったものじゃないこの森のなか。

いったいあの娘はなにを考えているのだろう。

男はじっと娘の入浴する姿を打ち眺め、腹の下に鈍痛を覚えた。

娘は泉から上がると灰色の衣を羽織、家へ帰ろうと辺りを見回した。

しかし戻る道がてんでわからず、膝を抱えてしくしく泣きだした。

男はじりじりと娘に近寄り、娘の小さな白い耳もとに荒い息をかけた。

娘は男に気付き顔を上げて男の手にそっと触れ、囁くように言った。

明日、必ずオオカミの家族を三匹、撃ち殺してくださいね。

そして最後はどうか、母オオカミを撃ってください。

あなたの、この猟銃で。

そう言うと娘は男の下腹部に触れ、硬くなって熱を帯びたそれを握り緊め、自分の腹の下に宛がい、微笑して言った。

「此処を、必ず撃って、殺してくださいね」

 

 

 

 

男は今夜も、いつもの酒場で酒を飲んでいた。

そして帰ると羊飼いの少年が、男の家のドアの前に座り、頭をドアに凭せ目を瞑って待っていた。

男は少年を起こし、引き摺るように部屋のなかに入れ、椅子に座らせた。

酔い潰れ、目は真っ赤に腫れている。

「いったい何があったんだ」

男は優しく少年に問い掛けた。

少年はうっすら目を開け、男の姿にほっとすると涙を止め処なく流し、震えながら言った。

「もしかしてまだ知らないのですか。昨夜、母さんが死にました」

男はその言葉を信じられず、忙然として訊き返した。

「昨夜って、一体いつのことだ」

少年は壁時計を見上げ、答えた。

「たった、日付の変わる3時間ほど前です」

男は時計を見詰め、息を呑んで黙っていた。

「オオカミに、殺されたんです」

男は少年の、そのそっくりな目を見詰め返し、何も言えなかった。

 

あの時まだ、少年は14歳ほどだった。

あれから三年もの月日が経った。

少年の母親を埋葬した、三ヵ月後だった。

「Wolf!(オオカミ!)Wolf!(オオカミ!)Wolf!(オオカミ!)」

と何度も、夜に叫び、男のドアを叩いて家に上がりこんでは喚き、「オオカミが丘に下りてきた。銃で撃ち殺してほしい」と、嘘の報告をするようになったのは。

男は少年を落ち着かせるため、いつもグラス一杯のハーブ酒を飲ませた。

その嘘の報告を少年はほぼ毎晩のように続け、三年が経ち、少年は今は17歳になった。

男は嘘だと解ってはいても銃を持ち、その都度あの森のなかで酔い潰れて眠っている少年を抱きかかえて連れて帰ってきた。

少年は次の朝、必ずけろっとした顔でこう言う。

「いったいいつまでぼくに嘘を突き通すつもりなんですか?ウォルフさん、あなたは」

男は毎朝、羊飼いの少年に言った。

「俺は嘘なんかついちゃいないよ」

「でも母さんはいつもあなたのことを話していました」

「それも嘘だ」

「母さんはいつもぼくに話していたんです。あなたとぼくと、三人で暮らせるならどんなにか幸せだろうと」

男は溜め息交りに言った。

「何度も言うがおまえの母親は、俺と暮らしたいなんて言ったことはないよ。おまえの母親と俺は、本当になにひとつ関係がなかった。ただおまえの祖父母の経営していた酒場の常連客で、そこの娘であるおまえの母親に俺は羊を護るようにと頼まれ、それを引き受け続けて来ただけなんだ」

「でもぼくは嘘をついていない。あなたが本当のことをぼくに言わないから、母さんはオオカミに殺されてしまったんだ」

「それも俺は信じちゃいない。おまえの母親は、酒とドラッグが身に祟って、死んでしまったんだ。オオカミに殺されたというのは、おまえだけの妄想だ」

「本当かしら」

と少年はぼんやりと中空を見て静かに言うと立ち上がり、壁に立てて置いていた猟銃を手に持って言った。

「銃の撃ち方をぼくに教えてください。もう十七歳になったんです。良いでしょう?」

男は素早くその銃を少年から奪うと鍵つきの箱の中に入れて鍵を閉め、振り返らずに言った。

「おまえにいま銃を渡したら、何をしでかすか心配でならないんだよ。おまえがオオカミを撃つとしても、しっかりと急所を狙えるようになるまでには何年と掛かる。でもおまえは今すぐにでもオオカミを殺したがっているじゃないか。そんな人間には渡すことは出来ないし、教えることも出来ない」

少年は後ろから、男の背に近寄ると手のひらの上にあるものを男の前に差し出して言った。

「ぼくが殺したいのはオオカミじゃありませんよ。ぼくが殺したいのは、あなたと離れることができるものたち、子羊たちです」

男は少年の手のひらの上に乗った十字架のペンダントを見つめ、その十字架があの夜、少年の母親が欲しいと言ったので自分の首に掛かった十字架を少年の母親の胸に付けてやったことを想いだした。

あの夜、少年の母親は男に最後の言葉を言った。

「ぼくは今まで大切な子羊たちを護るのに必死だったけど、ぼくが本当に護りたかったのは子羊たちでもなければぼくでもなく、きみでもない、ぼくの今、このぼくのなかに存在しているひとつの存在であったんだ。ぼくはあの夜、森のなかできみに撃たれて死んだ母オオカミを抱いて心底想ったんだ。もう本当に戻れないって。戻れない場所までやっと来ただろう。ぼくに必要だったこの場所は、オオカミの森だ。ぼくの子羊たちをすべて食べて、そして飢えるオオカミの森で、きっとぼくも死ぬのだろう。さようなら、ぼくのオオカミさん」

 

「生きているのが本当に嬉しいのに、ぼくはどうしてこんな風なんだろう」

少年はまるで独り言を言うように話し、その十字架のペンダントを、思い切り力を要れてぱきっと二つに折ると片方のチェーンのついたほうを男の首に掛け、もう片方を持って部屋を出て行った。

男は割れて不完全な十字架を眺め、少年の母親を、あの娘が戻ってくるならと想い、自分の銃を慰んで森へ行った。

 

在る夜、少年はいつものように「Wolf! Wolf! Wolf!」と叫び男と共に森のなかへ入った。

そして一匹の、まだ若いオオカミを撃った。

男が近づくと、若いオオカミは哀れにも既に息絶えていた。

その側には少年の持っていたあの十字架の片方が落ちていた。

 

男はその夜を最後に、少年には会っていない。

一体何処へ行ってしまったかもわからないが、少年と会えなくなっても、男の耳には毎夜、少年の叫ぶ声が谺(こだま)するかのように聴こえて来る。

村の者は皆、消えてしまった少年のことを嘘をついてばかりの「オオカミ少年」と呼んだが、少年はただ自分の名を叫んでいたに過ぎない、そして本当のことを言えなかったのは、自分のほうであると、男は毎晩のように夢とうつつのなかであの娘の子宮に銃を突きつけ、娘(母親)も少年も一緒くたに愛そうとするのだった。

 

 

 

 

 

 

 

先生が目をうっすら開けると、教室には誰もいなかった。

たったひとり、自分の膝を枕代わりにして眠っているベンジャミンひとりを除いては。

先生はベンジャミンの望む答えが、本当に懐かしいと感じて一体何処へ、戻りたがっているのかと一つのその場所を、信じようとした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ベンジャミンと先生」シリーズ